第47話
文字数 1,946文字
頃王の十六年の夏は、例年にも増して暑く、そして長かった。
西海・南海の諸邑は早くから
昨年から続く
しかし秋の深まりとともに、飢饉は沈静化するどころか、畿内、沿海、北辺へと拡大の一途を辿る。
日に日に増えるばかりの民を、もはや役人は追うこともしなくなっている。どうせ都に出てきたところで、彼らに食う当てがあるはずもない。数日を経ず、みな飢えて死ぬと、わかっているからである。
「風が冷たくなりましたね――」
境丘の門道を馬を進める
「秋の陽は、まことに短うございますな。なにやら急かされているようで、気がもめてなりませぬ」
桃原の
そのようなとき、
どこからの浮浪者だろう。向かいの塀の影にうずくまっていた身なりの貧しい男女が、ふたりにぼんやりとした視線を投げ、すぐに無表情に力なくうなだれた。
「…――そういえば
子瀚は、その声に意識を戻され、鄭承を向いた。
「先日、洛邑に赴いたおり、公車司馬令の邸から、加冠したばかりだろう、
鄭承は王宮の在る洛邑にも店を出している。季節ごとに数度、二つの都を往復しており、洛邑で見聞きしたことを、こうして伝えてくれていた。
子瀚の形の良い眉根が、ほう? と、寄った。
この春に逢の亜卿となり公車司馬令に任じられた
太傅が見出したという沿海
だが、その中に何捷が居たとして、鄭承の
鄭承は〝加冠したばかりだろう若い官吏〟と云った。何捷は、冠礼まであと数年を待つ
「話をしたのですか」
「いえ。門を出てきたところを、ちらと見ただけのことでしたから。ですが、もしあれが
子瀚は、そう応じた鄭承の表情から、どうやら本当に何捷であるか否かよりも、流次倩という人物について語りたいのだろうと、そう判じて流について問うことで先を促した。
「
「悪い噂を耳にすることもありますが、他方、よい話も聞こえてきます――」
鄭承の語るところ、流次倩は公車司馬令の
(※各地からの上奏文、四方からの献上品、あるいは王への拝謁者は、いずれも司馬門に集まることになっており、公車令はその集まった文書・物品・人物を管理する)
ただし、のべつ幕なしに、というわけではないところが、この男の不思議なところだ。
法外な〝袖の下〟を要求されるのは私腹を肥やす悪辣な俗物の類ばかりで、そうでないものから取り立てるということはせず、むしろ清貧の者が司馬門に参ずれば、その威儀を整えてやるために、自ら身銭を切るようなこともする。
また着服した財も懐に入れるばかりでなく、市中の貧しい者どもに振舞うようなこともしていた。
それからさらには、何やら風体のよろしくない者を
だが着実に、天子の側近としての信任を得てもいるようだ…――。