第52話
文字数 1,880文字
その表情から、さすがにただならぬ出来事と読み取ったのだろう。
南宮 唐 は張 暉 を正房の自室に上げると、卓を前に凝然と腕を組み、目を閉じて話をするよう促した。張暉は、逸る気持ちを抑えるのに苦労しながら、いま先に外廷で蕭 尊寶 から聞いたことを伝え始める。
息せき切った報告が終わっても、南宮唐は身じろぎ一つしなかった。
「あの……南宮 老師――」
沈黙に耐えかねたその張暉の声を聞き流し、南宮唐は、次の間との仕切りの戸の方を向いて口を開いた。
「聞いての通りだ。仲逸 、入ってくれ」
すると戸が開いて、そこに姿を現したのは王孫 航 だった。
張暉は、桃原に居るはずの彼が、王城に近付くことすら危険な彼が、なぜここ洛邑に居るのかと、問うような視線になって二人を向いた。だが南宮唐も王孫航も、そんな張暉を半ば無視するように応じはしなかった。
南宮唐は、王孫航が戸口から歩を進めて卓に落ち着くのを待って、静かな口調で言った。
「おぬしの云う通り、太師は兵を挙げるらしい」
「言うた通りであろう。太師はすでに冷静さを欠いておられる。この時節に武力で太傅方を抑え込まんとなさるは、愚の骨頂……」
王孫仲逸こと航は、彼自身は冷静な、表情の消された貌 でそう言い放った。
相手は同じ姚 姓の雄、南方伯にして太傅・昌公緩。しかもその背後には、逢の天子の影さえちらついている。
一方の太師方は、飢饉と天官府の策謀とで、与力する畿内諸侯の力は削られるばかりである。そもそも、いかに三公筆頭の席に長く在ろうと、太師はあくまで逢の臣下。万一、昌公方の兵の動きが速く、天子の身柄を掌中にできなければ、これは明らかに叛逆となる。
しかも太傅の側は、天官府をはじめ六官府の中位・実務を担う若手に支持を集めている。いわば府第 に詰める百官の士の半分を敵に回している状況なのである。仮に戦に勝ったとしても、官衙に能吏なくしては真面 な執政が行えようはずもない。
「天下を二分し、国を衰えさせても太傅を排除しようとの目論見は、もはや臣下の分を超えておる。あのお人は、徳治による国体を望んでいたと思うていたが、これは買い被りであったらしいな」
数年に及ぶ太傅との対立が主上との懸隔 (気持の上で距離)を生み、鷲申君から平常心を奪ったのか。
本来であれば、甥である王淑公なり章弦君なりが彼を宥 めねばならないのだが、〝斑洲の乱〟の折、鷲申君に引き立てられたといえる二人に、それは難しかった。加えて、章弦公主・娥 姚 を通じての主上への誼 が、章弦君にはある。皮肉にも、逢王室を縛るための政略が自らの腹を縛り付ける結果となっていた。
いま洛中に太師の企みを知る者は少ないが、知った者はみな一様に仰天するであろうほどに、彼の企みは唐突だった。
もはや太師は、国を衰退させてでも、権勢を手中にせんとしている。はからずもその方策に滲む権勢欲の大きさ不遜 さに、南宮唐は落胆を覚えていた。
本当に仁政を志す者が、このような愚行に走るはずがない。鷲申君が境丘に学派を開かせたのは、あくまで自らの野心を援けさせるためであったのか。理想の治政を論じたあの百家の争鳴は、絵空事であったのか。ただ府第に官吏を送り込む方便に、自分たちは踊らされていたのか。
そう考えると、若き日に境丘に集った自分や友たちが、そこで切磋琢磨し、やがて学匠と呼ばれて育てた若い世代の弟子たちが、哀れに思われてくる。
尊寶の忠告の通りに太傅の側が勝利すれば、境丘学派は鷲申君の食客だったとして、かつてない危機を迎えるだろう。またもし太師の側が勝ったとしても、多くの学匠・学徒らは、もはやその欺瞞に欺かれはすまい。少なくとも南宮唐は、そう信じている。
(我らは天下の孤児になるやもしれぬ――)
知らず溜息を洩らした南宮唐に、王孫航は静かに訊いた。
「さて、南宮 唐 よ。おぬし、この戦、どちらが勝つと思う」
「いまはまだ何とも言えぬ。詔勅を作成する天官府に、昌公は蔡 才俊 を宰輔として送り込んでいるが、もともとあそこは大半が境丘閥……太師の子飼いであるからな」
これまで長く三公の位に在り、自らの閥で府第 を固めてきたのが鷲申君である。如何に蔡宰輔が切れ者であろうと、組織を差配するには太師の側に一日の長がある。
しかしそれを聞くなり、王孫航はふと口許を緩めた。蔑みとも嗤いともつかない、不思議な表情となった。
「だが、早速この件 は外廷の外に漏れ伝わったぞ」
「…………」
言葉の出てこない南宮唐に、王孫航は肯いてみせた。
「さらに言えば、宮卿補の廖 沈 ……あやつなど、すでに太師を裏切る理屈は組み終えておろうよ」
息せき切った報告が終わっても、南宮唐は身じろぎ一つしなかった。
「あの……
沈黙に耐えかねたその張暉の声を聞き流し、南宮唐は、次の間との仕切りの戸の方を向いて口を開いた。
「聞いての通りだ。
すると戸が開いて、そこに姿を現したのは
張暉は、桃原に居るはずの彼が、王城に近付くことすら危険な彼が、なぜここ洛邑に居るのかと、問うような視線になって二人を向いた。だが南宮唐も王孫航も、そんな張暉を半ば無視するように応じはしなかった。
南宮唐は、王孫航が戸口から歩を進めて卓に落ち着くのを待って、静かな口調で言った。
「おぬしの云う通り、太師は兵を挙げるらしい」
「言うた通りであろう。太師はすでに冷静さを欠いておられる。この時節に武力で太傅方を抑え込まんとなさるは、愚の骨頂……」
王孫仲逸こと航は、彼自身は冷静な、表情の消された
相手は同じ
一方の太師方は、飢饉と天官府の策謀とで、与力する畿内諸侯の力は削られるばかりである。そもそも、いかに三公筆頭の席に長く在ろうと、太師はあくまで逢の臣下。万一、昌公方の兵の動きが速く、天子の身柄を掌中にできなければ、これは明らかに叛逆となる。
しかも太傅の側は、天官府をはじめ六官府の中位・実務を担う若手に支持を集めている。いわば
「天下を二分し、国を衰えさせても太傅を排除しようとの目論見は、もはや臣下の分を超えておる。あのお人は、徳治による国体を望んでいたと思うていたが、これは買い被りであったらしいな」
数年に及ぶ太傅との対立が主上との
本来であれば、甥である王淑公なり章弦君なりが彼を
いま洛中に太師の企みを知る者は少ないが、知った者はみな一様に仰天するであろうほどに、彼の企みは唐突だった。
もはや太師は、国を衰退させてでも、権勢を手中にせんとしている。はからずもその方策に滲む権勢欲の大きさ
本当に仁政を志す者が、このような愚行に走るはずがない。鷲申君が境丘に学派を開かせたのは、あくまで自らの野心を援けさせるためであったのか。理想の治政を論じたあの百家の争鳴は、絵空事であったのか。ただ府第に官吏を送り込む方便に、自分たちは踊らされていたのか。
そう考えると、若き日に境丘に集った自分や友たちが、そこで切磋琢磨し、やがて学匠と呼ばれて育てた若い世代の弟子たちが、哀れに思われてくる。
尊寶の忠告の通りに太傅の側が勝利すれば、境丘学派は鷲申君の食客だったとして、かつてない危機を迎えるだろう。またもし太師の側が勝ったとしても、多くの学匠・学徒らは、もはやその欺瞞に欺かれはすまい。少なくとも南宮唐は、そう信じている。
(我らは天下の孤児になるやもしれぬ――)
知らず溜息を洩らした南宮唐に、王孫航は静かに訊いた。
「さて、
「いまはまだ何とも言えぬ。詔勅を作成する天官府に、昌公は
これまで長く三公の位に在り、自らの閥で
しかしそれを聞くなり、王孫航はふと口許を緩めた。蔑みとも嗤いともつかない、不思議な表情となった。
「だが、早速この
「…………」
言葉の出てこない南宮唐に、王孫航は肯いてみせた。
「さらに言えば、宮卿補の