第36話

文字数 1,915文字


「なんだって……?」
 あどけなさの残る(ヂャン)(フゥイ)少年の顔が、いかにも勿体つけたもの言いで終えるや、居合わせた学徒らは顔を見合わせることとなった。
「ありえない。禄を削るというが、禄の(もとい)となる貢賦(こうふ)(貢物と税金)を預かっているのは諸大夫ではないか。禄を削るなどと言いだせば、実際には彼ら大夫は貢賦の額を偽って懐に隠してしまうのが()()だろうよ」
「さよう。賦税が彼ら大夫の懐を通る以上、洛邑の蔵に納められる税が消えてしまうだけとなるぞ。王権の強化どころか王府が立ち行かなくなる」
 講堂に居た学徒のうちの半数は、そのように言って張暉の云う〝変法の真の目的〟とやらを鼻で笑った。
 そんな先輩学徒らに動ずることなく、張暉は(敢えてそうしたのだろう)淡々と続けた。
「――そう。大夫に貢賦の監督権があることを、問題としているんですよ」
 その言にすぐさま反応したのは、講堂内に居た学徒の中でも少数派といえる。その中に(ホー)(ジェ)もいた。

「……では、」 いち早く反応した年長の学徒が張暉を向いた。「諸大夫から徴税権を取り上げると」
 これに一部の学徒が反駁(はんぱく)するようにざわめき立った。彼らの多くは大夫の子弟で、貢賦に係る特権は氏族と王とを結ぶ盟約であると解している。もしそれが干犯(かんぱん)されれば、氏族をあげて抗うのが当然であると、彼らは考えている。
「いいえ、まさか――」
 慌てて張暉は、両手を振り回してみせた。
「一足飛びにそのようなことをすれば、国を割る大事となるは必定(ひつじょう)でしょう」
 それから年齢(とし)に似合わぬ()()表情に戻り、「……ですから、先ずは()()()爵位・禄位については世襲を許さぬ、というところから始めるようです。そういった()()は、功を上げた者に与える、と」 などと声を顰めて言う。

 物知り顔の張暉に、大夫の子らは息巻いて返した。
「なにを莫迦(ばか)なことを。爵位・禄位の世襲は天地の道理。逢朝六百年の伝統を覆せるものか」 そのなかには(ファ)子瀚(ヅゥハン)の〝取り巻き〟であった者の顔もあった。
 彼らにとって、そのようなことは戯言(ざれごと)以外のなにものでもなかった。
 もっとも、一方では、
「そのようなことになれば、爵位も禄をも失う者が出るやも……。そうなれば、いったいどのように生きてはゆけばよいと……」
 と、顔を青褪めさせる富家名門の若い顔もある。
 そして、そのような者に冷や水を浴びせたのは何捷だった。

「…――自らの力量で功を立てればいいんだ。そう言ってるじゃないか」
 講堂の端に座っていあた何捷が冴え冴えとした表情(かお)を向いてそう言い放つと、あーあ、とばかりに張暉が顔を顰めた。同様の表情となった(シュイ)(ユィン)と偶然に目が合うや、ふたりは肩をすくめ合う。
(もう少し〝言い方〟を考えた方がいい) と。
 だが何捷は、いっこうにそのようなことを気にするものではなかった。富家良家の子弟らの顔を、不遜ともいえる表情で見据えている。
「ふん。たしかにそれはそうだが、この場合は主上の軽率を憂いているのだ」
 そんな何捷を見返して口を開いたのは、子瀚の〝取り巻き〟の中でも(さか)しらな方の少年であった。名を(トン)(ヂォン)という。
「――もしもそのようなことが強行されれば八百諸侯の反撥(はんぱつ)を招き、王府はたちまちに廟議(びょうぎ)もなにも立ち行かなくなる。そんなこともわからないのか」
 挑発するような声音のその騰政の言に、何捷は乗らなかった。
「諸侯の反撥は織り込んでいるさ。力で押さえつける算段があるんだ」
 何捷の冷淡な物言いに、騰政はいよいよ息巻くことになる。
「はん! いまの主上にいったいどのような力があるというのだ。畿内の兵権は王淑が担っているんだぞ」
 思わず不穏当なうえに不敬を重ねた物言いとなっていることに、騰政は気付いていない。
「血の巡りの悪いやつだな……」 何捷は表情を変えずに言い返した。
「――(ヂャン)(フゥイ)の言では、爵位・禄位を取り上げられるのは、畿内の諸侯とのことだったぞ」
 騰政の表情が怪訝なものとなる。何捷は仕方のないやつだな、という目になって続けた。
「王畿の()に封じられた四方伯は、その限りではないと言っているだろ?」
 すると何捷の云わんとしたことに、遅まきながら気づいた騰政が、あっ、という表情になった。

 俗に王畿千里と呼び習わされる王都の周辺を畿内という。逢の中枢である。それに対し、畿内に外接する地を「方」といった。「方」には畿内の四方をそれぞれ守り固める大権を付与された方伯が置かれている。北の原伯国、東の塙伯国、南の昌公国、西の津侯国がそれである(……ただし、津侯国については形骸化して久しい)。
 そのうち最大の軍事力を持つのは「原」であり、次いで「昌」である。かてて加えて「昌」は三公を世襲することで畿内・宮廷内にも勢力を保っている――。
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