第49話

文字数 1,842文字


 この国(中華)が度重なる飢饉に見舞われている。
 大司徒( )(地官長)が租の全免を上奏し、それが()れられるというのは、実に五十年ぶりのこと……(まさ)に災厄である。
 そうした中で、天官宰輔・(ツァィ)才俊(ツァィヂィン)の〝変法〟は進められていた。
 蔡才俊に率いられる天官府の鋭才たちは、目下の事態に対応しつつも、一歩一歩を踏み固めていくようにして、着実に国体を変えてゆく――。

 先ず、この凶作への対応を利用することで守旧派の抵抗を抑え、ついに、四夷( )(※逢朝廷に帰順しない周辺民族)に対峙している四方伯とその勢力下の諸侯を除く畿内の地、王畿千里に限り、その徴税権を諸侯から地官府へ移すことに成功する。
 徴税の権利を主張することは納入の義務を課せられるということでもある。天官府はこの()かる負担を(もっ)て諸侯を恫喝した。地官による租の免除は、軍の備えを担う四方伯を例外とする他は、逢の直轄する采邑に限ったのである。
 収穫が見込めぬば、徴税の義務を負う諸侯は、自らの蔵を開いて応分の租を負担しなければならないが、諸侯のすべてに十分な五穀の備蓄があるわけではない。そもそもが、ここ数年の凶作である。
 加えて租の納入に先立ち、畿内の各関における五穀移送に係る通行料の免除をしている。これなどは畿内の関が王府直轄であるから()()の現物穀物の流通の把握であり、裏を返せば、()()()()()()取引に対する取締りの強化である。
 これで畿内の小邑を領有する諸侯大夫らは、比較的に余裕のある邑から調達することも(まま)ならなくなり、(つい)に徴税権を放棄することになった。
 すでに疲弊しきった畿内の諸侯・大夫には、租納入の負担は堪えられるものではなかった。徴税権を失ったとしても納入義務の負担から逃れられることは、多くの諸侯大夫にとって渡りに舟だったのだ。
 こうなれば畿内諸侯は禄位以上の収入を得ることが出来なくなり、采地の国情を超えて濫費(らんぴ)(浪費すること)するが如き君侯は、経済的に自立できなくなる。
 そう仕向けたうえで、蔡才俊は、最終的には禄位の世襲の廃止を目論んでいる。
 蔡才俊を使()()太傅・昌公緩は、自身、四方伯の雄でありこの大改革で失うもののない立場とあって、政敵である太師・鷲申君と王淑閥の力の源泉が奪われていく様にほくそ笑んでいた。

 いっぽう、守旧派の領袖たる太師・鷲申君は、卿・大夫の爵位・封号の世襲を守ることが精一杯であった。それほどに蔡才俊と彼が見出した士を擁する天官府は、陣容に隙がなかった。
 とりわけ鷲申君を(いら)つかせたのが、宮卿補・(リャオ)振瑞(ヂェンルイ)と大史・(シャオ)尊寶(スンバォ)、ふたりの存在である。共に()()は境丘学派で学んだ俊才……つまり鷲申君にとっては〝飼い犬に手を噛まれた〟といっていい(てい)である。
 鷲申君にしてみれば、()()()()()ことのないよう、甥である章弦君に境丘の学匠・学徒らを預けたはずであった。にも係わらず、彼らのような若い才能が、昌公・(イャォ)(ファン)の許で辣腕を(ふる)っている。
 廖振瑞は昌公方を油断させるために泳がせており、蕭尊寶に至っては相手の動きを知るために送り込んだのだったが……、それにしても〝やりすぎ〟であると、彼ならずとも顔が強張る事態だった。

 だが、苛つきながらも鷲申君は天官府の手腕を評価せざるを得なかった。
 状況に(たす)けられた面は大きいといえ、ここまでのところ、飢饉に喘ぐ諸侯の動きに先んじて打った策は、どれも的を射ている。
 王府に権能を集めるのであれば、その実利の源泉たる税制を押さえるか、権威を与信する爵位・封号にまつわる特権を押さえるか、その何れかが有効な策となる。
 蔡才俊は、未曽有の天変の中、混乱のない租の運用を建前に徴税の仕組みを押さえた。
 次は禄位世襲の廃止であろう。
 そうしてその後には、爵位世襲の(なら)いを改める。
 ――八百諸侯に、一旦(いったん)、禄位を返上させ、改めてその職責に応じて付与し、働きの秀でた者については一代に限り爵位を授与する。
 そんなところであろう。

 実のところ、鷲申君自身、若き日にはそのような〝変法〟を夢想した。
 だが現実には、父公をはじめ、有力諸侯や士大夫の激しい反撥に諦めたのだ。
 鷲申君はあらためて思う。
 王朝を襲う奇禍さえも利そうというその手腕は見事だ。仮に、自分の若き時代(とき)に同じような飢饉が連なって起きたとして、それを利用してでも国の根幹を変え得ただろうか。
 答えは〝否〟である。
 そして()()を思い知らせる役回りに、いま自分がいるのだということを、鷲申君は自覚している。
 逢の太師は、若者の〝危険な火遊び〟を許しはしない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み