第47話

文字数 1,600文字


「まあ、上手くいきよったな」
 呂邸を辞して客桟の部屋に戻ってくるや、興奮の面持ちで(リィゥ)次倩(ツーチィェン)が言った。
「ここまでくれば、あとはおまえの弁舌しだいちゅうわけや」
 思惑の通りにことが運んで有頂天、という(てい)の次倩に対し、(ホー)(ジェ)は、そこに思い至れなかった自分に不満げな表情(かお)である。
「……昌公緩に渡りをつけていたのか」
 溜息のような声で何捷が質すと、次倩はにやりと笑った。
「おう、はじめからな。そらそうやろう、()()()()のために伝手(つて)を作ったんやで。売り込む先はおっきいほどええ。……まあ(ツァィ)才俊(ツァィヂィン)は太傅の子飼いやねんから、一石二鳥やしな」
「…………」
 なるほどと、今さらながらに連れの言い分を聞いた何捷は、
「それで、なんで俺の弁舌次第となるんだ?」 と訊いてみた。
 太傅・昌公緩に近付きたいのは次倩であって自分ではない。
 が、そんな何捷を流次倩はからからと笑った。
「おいおい。宮中のお偉方相手に語れる学識なんて()()にあるかいな」
 そして、事も無げに言ってのけたのだ。
「それに()()は大夫の(すえ)。ややこしいことは陪従する士の役割や。――上の(もん)は、下の者をいかに使えるか、その度量を示す。そういうもんやろ」
 その悪びれた様子の微塵もない次倩に、何捷は、返す言葉がなにもなかった。


 そうして数日の後には、流次倩と范克の主従は、逢の太傅、昌公緩の面前に立つこととなった――。
 昌の臣の列する大間の中へと、素衣・素裳・素冠の出で立ちの流次倩と、范克こと何捷が通される。上座に向かい揖を終え、面を上げた段になって、初めて逢の太傅・昌公緩を見た。
 昌公緩は、思っていたよりも丸々とした体躯の、酷薄そうな目をした小男だった。内心、何捷は幻滅を禁じ得なかった。
 そんな何捷にはさほどの興味もないように、昌公は左右の臣に頷いて見せた。
 先ず大夫の裔を称する流次倩が、吹挙(すいきょ)( )(=自己のアピール)をうながされた。
 すると次倩は、
「我が意は(ファン)(クゥァ)()るところ。些事(さじ)(詳細。ささいな事)は(クゥァ)に尋ねられよ」
 と堂々たる声で応じ、あとは鷹揚な面差しを居並ぶ者どもに向けるという、不敵なことをしてみせたのだった。
 その居ずまいはたしかに〝大夫らしい〟といえるものだった。居並ぶ昌の臣は、これを呆れてよいものかと互いに目線を交わすと、つぎに范克( )(つまりは何捷)の方を向いた。何捷は腹をくくって顔を上げた。

 何捷は左右の臣らと論を戦わせた。その際、礼のありようを問われれば(ガオ)偉瀚(ウェイハン)の言がすらすらと口を()いて出てき、経世致用の学( )(=実学)を述べるには南宮(ナンゴン)(タン)(おし)えが援けとなった。
 二十一という年齢(とし)よりも若く見える(実際に若いのだが)范克の博識と論旨の明確さに、昌の臣らは次々と得心したように昌公を向き、肯くのだった。
 やがて一通りの諮問が終わったとき、大間に新たな人物(ひと)が入ってきた。
 上座に向かって静かに進んできた男は、何捷の隣にまで歩を進めると、昌公に拱手の礼をして言った。
「府中に外せぬ用向きがありましたゆえ、遅れました」
「おお、宰輔よ。やはり参ったのか」
 何捷はあやうく面を向けそうになった。昌公がそう応じた男こそ、逢の天官宰輔、(ツァィ)才俊(ツァィヂィン)そのひとなのであった――。

 蔡才俊はこの年、三十五歳。痩せて血色は悪く、上背も(この一年で伸びたとはいえ)何捷のそれとさほどかわらない。その容貌は決して異彩を放つものではなかった。
 ただ、その目には〝力〟があった。
 少なくとも、何捷には()()が感じられた。

「さて……」
 蔡才俊は何捷に向き直って言った。
「君の論を聞かせてもらった。だいぶ()()()()()学問をしてきたようだね」
 何捷は、ひと先ずは拱手をし、蔡才俊の次の言葉を待つ。
「私からは〝回りくどい〟聴き方はしない――」
 蔡才俊は穏やかに諮問の言葉を発した。
「逢の廟議において変法を通すには、なにをすればよい?」

 何捷は、秘かに呼吸を整えた。
 ――よし。いまからが正念場だ……。
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