第25話
文字数 1,739文字
日ごとに涼しさを増す秋風が、大路の端の水路をさざめかせた。
だが、そんな洒脱な〝調べ〟に聞き入る者など、路の左右を埋める老若男女の中に見出すことはできなかった。皆、人いきれに顔を上気させ、目を興味で輝かせている。
小路や路地裏から飛び出してくる野次馬の目当ては、『青翠院』の名妓・翠雅雯の美々しい輿入れの行列である。
前後に多くの下男下女を従えた華やかな女輿が、しずしずと条の大路を進んでいく。
翠雅雯を身請けしたのは、王淑一の大坐賈(店舗を構える卸・小卸・小売商)・鄭氏の跡取りで、名を承といった。〝生真面目が深衣を着て歩いているような男〟というのはいたもので、王孫航などとは真逆の人と言えた。
しかしながら、その王孫航がこの縁を結んだのだから、世の中は面白い。
五年ほどまえに妻に先立たれた鄭承は妾も持たぬ律義者だったので子が居らず、まだ三十路を過ぎたばかりという年齢を考えれば後妻を捜さねばならない身であった。が、当の鄭承にその気はなく、一族の中から跡取りを、などと考えていた節がある。
王孫航との係わりは、彼の師たる高偉瀚の客人の身許を引き受けた際に得た知己から始まる。折々の宴席――詩や楽といった技芸の集いも含む――を青翠院に設けた王孫航に半ば強引に招かれ、相伴することが増えた鄭承は、宴席のたびに花形の雅雯と同席することとなり、次第に彼女のひととなりを知って、ついには妻問うことになったのである。
……ある宴の席で、このようなことがあったらしい。雅雯の妹分の娘が「塙」からの客商(店を持たずに各地の物産を売買する卸問屋商人)に粗相をしてしまった。この客商が卑小な人物で、まだ場数をこなしていない娘のした仕儀に、烈火のごとく声を上げたのだった。
さて、このとき姉分である雅雯は、妹分の娘が、きっ、とその勝気な目を上げようとするよりも前に退せ、自らの不徳として深謝してみせたのだ。
そのもの言いの慇懃さと所作の美しさで、雅雯は、白けかけた座を繕ってみせたのだったが、鄭承が本当に感心させられたのは、宴が終わった後、王孫航に呼び止められて盗み見た雅雯の〝粗相をした娘を躾ける姉分〟としての顔であった。
鄭承はこのとき、この妹分の失態を引き受け、そのうえで、妓女としてこれからを生きてゆくための術と覚悟とを親身になって教えることのできる雅雯という女性こそ、自分の妻となる女性だと心を決めたのだった。
そうして身請けされた雅雯は、鄭承に正式な後妻として迎えられることとなった。
輿入れの列の豪奢さは王淑一の大坐賈・鄭氏の婚儀に相応しいもので、それによって鄭承は、雅雯を家妓や愛妾として迎えるのではないと、衆目に示してみせたのだった。
「しまった……これは出てくるのが遅かったなあ」
輿入れの列を遠巻きにする人出の中で、徐云は額に手を当てた。隣では何捷が、面白くもなさそうに人だかりとなった野次馬どもの後ろ頭に視線を遣っている。
ここ一年あまりでおどろくほど背丈の伸びた何捷であった。気付けば中背の徐云の目線に届いていたのだったが、この分ではもう、徐云の丈は超すであろう。
徐云と何捷が境丘に学び始めて、早一年半ほどが過ぎていた。
「もう少し前に出ようか?」
徐云がそう訊くと、視線を返してきた何捷が興味なさそうに応じた。
「いや、俺は遠慮する。見たければおまえひとりで行けばいい。……先に行くぞ」
言うや何捷は、すたすたと歩き出してしまった。行先は南宮唐の邸である。
置いて行かれることとなった徐云は、小路の陰で目立たぬようにしていた立青の方を向いた。立青もまた、ひと混みのなかを掻き分けて前に出るのは避けたいと、目でそう言っている。
徐云が頷くと立青も頷き、小路へ消えた何捷の背を追って踵を返す。緊張から解放されたように立青が小路に消えると、徐云もその場から動くことにした。
少し遠回りとなるが次の条と坊の辻までを同道することにして、輿の列を横目に野次馬を挿んで大路を行く。ほどなく新婦の手輿に追いついた。
最後にもう一度、輿行列へと目を遣った徐云は、そこであっと息を呑んだ。
輿に付き従う侍女の中に、見覚えのある、切れ長の釣りあがり気味の目をした、勝気な顔を見つけたのだ――。
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