第54話

文字数 1,952文字


 入洛した(シャオ)尊寶(スンバォ)のもとに、(リャオ) ()振瑞(ヂェンルイ)からの呼び出しが届いたのは今朝だった。
 廖振瑞――振瑞(ヂェンルイ)は字、諱を(シェン)――は、かつて(ガオ)偉瀚(ウェイハン)の下で机を並べた仲、いわゆる〝兄弟弟子〟である。
 年齢(とし)は五歳ほど上で、若くして(ガオ)門下の麒麟児として鳴らしており、鷲申君が太師となって洛邑に拠点を移した際に随行し、境丘を離れていた。
 その兄弟子から、〝是非引き合わせたい人物がいるので訪ねられよ〟と記された(とく)が届いたのだった。
 だが肝心の〝()()引き合わせたい〟のかが書かれていないのは異例である。
 また、この時期にはもう、尊寶と振瑞との友誼は疎となっていた。
 そういうこともあって、はじめ尊寶は、これを手の込んだ悪戯だと勘繰った。
「ふむ。誰か知らぬが、振瑞(ヂェンルイ)の名を使って誘うとは、如何(いか)(たくら)みにせよ気が利いている……」
 牘をぽいと投げ捨て、尊寶はふんと鼻を鳴らした。自分を嫌う人間の多いことはよくわかっている。心当たりがありすぎて、いっそどうでもよくなるほどだった。
 ところが使いの使奴は額に汗をかきながら「来ていただかねばわたしが叱られます」と狼狽えた。
 さて、自分の知る振瑞は、このような礼を欠くことをしない男だったが……。
 結局、指示通りに都城の外の小さな別墅(べっしょ)(=別荘)に足を運んだことに、これといった理由はなかった。しいて言えば、たとえ偽りにせよ、振瑞の名を(かた)った者の顔くらいは拝んでおいていいだろう、との気がしたことくらいである。

 表門を応対の家童の案内でくぐり垂花門の前まで案内されると、果たしてそこには、深衣姿の士が立っていた。それは間違いなく廖( )(振瑞)であった。
 長身といえる尊寶に劣らぬ背丈に涼しい目元という男振りは、如何にも俊才然としている。
 そんな振瑞は尊寶の姿をみとめると、正しい礼容の時揖をして言った。
「よく来てくれた、(シャオ)尊寶(スンバォ)
 音吐朗朗(おんとろうろう)(※ 音声が豊かでさわやかなさま)な声音は、耳に懐かしい。
 尊寶が時揖を返すと、親し気な表情となって歩を寄せてきた。
「――先ず、非礼を詫びたい。引き合わせたい人物(ひと)がいると呼び付けておきながら、誰であるのかを明かさなかったのは、明かせぬ事情があったからだ。すまなかった」
 言って、振瑞は真摯な目を尊寶へと向けた。それで尊寶は、()()()()については赦すことにして先を促した。
 振瑞は、今度は〝回りくどい言い回し〟をせずに言った。
「天官宰輔がおまえに会いたいと云われたので来てもらった」
 尊寶の顔が怪訝なものに変じるより先に、振瑞は腕を振って正坊へ入るように勧めている。尊寶は、腹を括って正坊へと足を進めた。

 案内された室に、先客は二人いた。
 正面――西に座った男が宰輔・(ツァィ)才俊(ツァィヂィン)だろう。逢の廷臣ではない尊寶は、蔡才俊の顔は見識(みし)らない。
 視線を転じた先、北側に座する男を見たとき、その面差しに見覚えのあった尊寶は、危うく声が出そうになった。……座っていたのが(ホー)(ジェ)だったからだ。だが解せぬことに、冠礼前の身であるはずのその頭には冠が置かれていた。
 もう少しで〝どういうことか〟と問い質すところを、何捷の目の奥の意を汲むことで何とか飲み込むと、尊寶は南側――客の付くべき座に着いた。最後に振瑞が東の座に着くと蔡才俊が口を開いた。
「よくきてくだされた。……(ツァィ)才俊(ツァィヂィン)です」
 卓の上の酒杯を勧めつつ、北座に着いている何捷を向いて肯く。何捷が言継いだ。
「――(ファン)(クゥァ)です」
 尊寶はとりあえず拱手をして一礼した。
(シャオ)尊寶(スンバォ)です」
 面を上げた尊寶に礼を返した蔡才俊は、自らの杯を掲げて言った。
「まずは一献、献じよう」
 一同で酒杯を(あお)ると、蔡才俊はさっそく切り出してきた。
予予(かねがね)、一度会ってみたいと思っていたのです。今日は(リャオ)(ヅゥ)の計らいでこうして会うことができた」
 尊寶は、その蔡才俊の言を緊張の面差しで聴く。この男が太傅・昌公緩の懐刀であることは誰もが識るところである。そして自分は反目する閥の領袖、鷲申君の下に仕える者と目されており、事実そうである。警戒が先に立つ。
 その警戒を解くように、蔡才俊は気さくな物言いを通した。
「――…(こう)の卿士、(チゥー)(ムー)とは旧交があります。ちょうど貴方(あなた)(リャオ)(ヅゥ)とのように」
 それで尊寶の表情(かお)が、ああ、というものとなった。蔡才俊は首肯して続けた。
「その(チゥー)(ムー)が書簡を送って寄越した――〝若くとも権勢に(おもね)ることのない傑物を境丘に見た。是非 (ツァィ)才俊(ツァィヂィン)は会うべきだ〟と」
 尊寶は返答に窮した。それを謙遜と取ったろうか、蔡才俊は真顔で続けた。
「貴方は〝大道廃 有仁義〟と(チゥー)(ムー)に云ったという――」
 〝大道(すた)れて仁義有り〟――大いなる道が廃れた故、仁義という考えが生まれた。
 それは、王命に服さず北伐の軍を解散しなかった原伯の胸懐を、敢えて推しての言葉であった。……原伯ならば、こう()うでしょう、と――。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み