第71話
文字数 1,689文字
沮の落城と姚華の敗死の報が頃王・姚曉のもとに届けられたのは、五日ほどが過ぎた、十月の二十五日のことであった。
奏上の使者・庄豪を連れて参内したのは、いまだこの時点で都督畿内三監四関諸兵事を兼任する公車司馬令の流満であった。
王城の離宮の庭でその報に接した頃王は、庄豪を下がらせるより先に、庭園の池を向いたまま背中越しに気怠く問うた。
「さて亜卿よ、これでことは太傅の望むとおりと相為ったわけだが……これは太傅とそなたの功だろうか、それとも法の為せる業であろうか」
即答をしない亜卿――流満に、王は背を向けたまま言を継いだ。
「――…いずれにせよ、何を以てこれに報いようか……」
流満は、それを云わせたことに満足気となった表情を伏し、揖礼をして口を開いた。
「おそれながら、これは天命に依るものと存じます」
「ほう、天命とな?」
重ねて問うた王に、流満は、予てより〝このような話題となれば、こう応えよ〟と、范克(何捷)に言い含められていた論を、王の背に向けて返した。
「――姚華は極位極官に昇りつめながら自らを律することをせず、その不遜を省みることをせず、己が利の為にのみ佞臣の言に耳を傾けてきました。ゆえに、終に天に見捨てられたのです」
「では流満よ。姚緩は、法で自らを律するだろうか」
「…………」
まだ御前を下がっていない昌公の臣――庄豪を憚って一瞬返答に窮した流満が、らしくなく〝その場を凌ぐ〟言葉を選ぶのに難儀しているうちに、王が言を継いだ。
「正直な男よ」
流満からは見えない頃王の口許には、薄く〝嗤い〟が浮かんでいたかも知れない。
「そなたは畿内の政に疎いのがよい。それゆえ朕の本心を打ち明けよう。ここだけの話だ。
――庄豪は下がれ」
その王の言に庄豪は眉を顰めつつも退室し、流満はあらためて膝をついて畏まった。
「そなた先ほど〝天命〟と口にしたな。朕が想うに、天命なるものは確かに存在しよう……が、それは〝人の生き方〟などとは関係無きものだ。――姚華の追った〝政道の理非〟(道理にかなっていることと、はずれていること)など、天にとってはどうでもよいことであろう――」
そこでしばし言葉が途切れた。それは故人を偲んでのことであったか……。
王は続ける。
「逢の世は、その基を血胤に置くが、それに縛られた姚華が天に捨てられ、治天の君である朕が天命を保っている。これを亜卿はどう説明する? 説明できまい。そこに道理などないからだ」
名指しをされた流満は、逡巡はしてみせたが、けっきょく王の内意を推した言を低く言ってみた。
「天命とは、人の都合であられる、と」
「そもそも、この世の始まりと共に逢の世があった訳でもない。先に恵の世があり、それより前にも――そこに王という器が在ったかは知らぬが――人はいたろう。その中で恵が生まれ、逢は立った……」
齢二十三にして十七年の治世を数える若き治天の王は、もの憂い言い様に戻って言を結んだ。
「……姚緩も人。流次倩、そなたも人。そして朕もまた、人である」
そうして頃王は黙って袖を振ると、ついに振り返ることなく、流満を下がらせた。
流満は、この王の言に肌が粟立つのを感じたのだった。
史籍に『姚華の乱』と記されることとなる、この年の洛邑の騒擾(集団で騒ぎを起こし、秩序を乱すこと)は、ことの始まりからふた月ばかりで終息した。
姚華の発した諸国試兵の法によって徴収された畿内各地の兵らは、そのまま返されることなく新たに都督畿内三監四関諸兵事に就いた流満の下に置かれ、洛邑に留まっている。
街衢のあちこちで警吏や衛士が厳しい眼を光らせているのは、宮城の内外に潜んでいるやもしれぬ姚華派の残党を狩るためであろうか。
洛邑の都は、いまも其処此処に、不穏な気配を漂わせている――。
洛邑を南北に通る都大路を歩く徐云は、ふと立ち止まり、宮城の方を向いた。その視線の先には、宮城と街衢との境である路門の門殿が、重苦しい曇天の下に佇んでいる。
徐云は、知らず、両のこぶしを握り締めていた。
風が吹いて、枯れた柳の葉が、過ぎ去った日々を追うかのように、いっせいに空に舞った。
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