第75話

文字数 1,891文字


 (シャオ)尊寶(スンバォ)との再会の日から間を置くことなく、(シュイ)(ユィン)は、天官の大行人・(リュ)(ユェン)の邸を訪ねた。
 (ホー)(ジェ)に会うためである。
 なぜ何捷に会うのに呂原の邸を訪ねたかといえば、何捷の邸を訪ねたところで(らち)が明かないからだった。
 乱の後、太師派の官吏は府台より一掃されたのだが、その結果、王府官衙に人手が足らなくなり、政務が回らなくなっている。
 となれば、何捷のような能力も気概も有る者は、位の高下(こうげ)に関わりなく重宝されるのが常…――かつての尊寶のように、(もっぱ)ら宮城に詰めるようになっていた。そのため、邸を訪問したところで不在であることが常であったし、一度など、帰宅していたにも関わらず、すぐに王府へ折り返さねばならないと面会すら叶わないことすらあった。
 そんな状況はしばらく続きそうであったが、状況の納まるのを待ってはいられない。洛中に潜む尊寶に、いつ司直の手が伸びるかわからないのだ。
 それで徐云は一計を案じた。麗雯(リーウェン)――何捷にとっての(ツイ)(イン)を頼ることにしたのである。
 その麗雯の養育先が、呂原という訳なのであった。大行人の呂原は宮中の習いに明るかったのが、何捷が主家すじの女性(おんな)を預けた理由だったのだろう。
 さて、ことの次第の一切を知らない麗雯は、
〝他ならぬ徐云の頼みだし、少しくらいはあなた達ふたりの力になってあげたいし……。しっかり恩に着なさいよ〟
 などと、得意気な表情(かお)で引き受けてくれた。
 果たして何捷は、主家すじの麗雯の〝お召し〟を無下にはできずに、呂邸を訪ねる日取りを寄越してきたのだった。

 呂氏の邸に設けられた席からふたりを取り持つ形となった麗雯が退室してから(……彼女はそのことが大いに不満な様子だったが、そうしなければ話が進まないという空気を読んで退出したのだった)、ようやく徐云は話を切り出した。
 (リャオ)振瑞(ヂェンルイ)を宮城の外に誘き出したいと蕭尊寶が望んでいる。ついては〝その算段〟をしてくれまいか。

 話を何捷に切り出すのにあたり、徐云は尊寶の目論見――廖振瑞を討ち果たす決意――について、すべてを包み隠さず話すと決めていたが、それは、振瑞を殺すのに手を貸せ、と言ったに等しい。
 天官宮卿補を手に掛ける(くわだ)てを耳にすれば、逢の官吏である何捷は、自分を朝士( )(法令を司る秋官の吏。警務法務を司る)の前に突き出さなければならないのが道理である。
 にもかかわらず徐云は、話の粗筋(あらすじ)については包み隠すことをせず、すべてを何捷に語った。
 境丘に学んだ者としての何捷を信じていたし、そもそも宮城で振瑞を襲った尊寶を、先に逃がしたのは何捷である。彼もまた、一蓮托生の身であると判じていた。

 一方、打ち明けられた何捷には、そういう徐云の発想が手に取るようにわかっている。
 廖振瑞の卑劣を赦せない彼は、自分もまた同じように心中では振瑞を嫌悪していると、そう疑いなく思っている。……徐云らしい。
 それは間違いではない。自分とて、廖振瑞のごとき手合(てあ)いに親近は覚えない。
 だがその程度のことで、枉法(おうほう)(私意によって法をまげて解釈・適用すること)に及ぼうなどと考えないのが何捷であった。そうまでする価値を、振瑞などに感じない。
 そうまで徐云が振瑞に拘るのは、境丘の儒者にありがちな〝近親憎悪からくる義憤〟――〝自己憐憫の裏返し〟と〝自己陶酔〟――に過ぎないと、そう何捷は冷やかに判じていた。
 それでも何捷には、徐云の持ち込んできたこの企てに乗ってみせる事情があった。
 蕭尊寶の才を惜しむ(ツァィ)宰輔の意向である…――。

 境丘を裏切った振瑞を尊寶は赦すことも諦めることもない、と踏んだ宰輔の読みは的中した。目下のところ廖振瑞の存在価値は、尊寶を誘き寄せる〝餌〟でしかなく、そのために宰輔に生かされているようなものだったが、この度の徐云の企てで、その役に使う機会を得られたといえた。振瑞を斬りに現れた尊寶を捕らえ、帰順を促せばよい。

 何捷は、そういう事情については(おくび)にも出さず、作った思案顔を徐云に見せた後、静かに口を開いた。
「――…近く、此度(こたび)の乱に際し、その旗幟(きし)(表立って示す立場や態度)を(あき)らかにしなかった王淑公に対して、問責の使者を遣わすことになっている。その使者に(リャオ)(シェン)(振瑞)を推してもらおう。……公はいまも国許だ」
 乱の折、昌公の軍旅を迎えた直後の王淑の対応は問題となっていた。最終的に公の弟でもある章弦君の主導で昌軍を嚮導したのだったが、(イャォ)(ファ)への内応は公然の事実であり(――現実に、王淑朝廷はそのように動いていた)、公は三公・太保の職を辞して国許に蟄居していた。
 その王淑公への問責の使者に、他ならぬ廖振瑞を指名させよう、というのである。
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