第59話
文字数 1,763文字
〝太師鷲申君、謀叛す〟――
内廷の一画、帰省した章弦公主の仮の(……とはいえ、既に一年以上を過ごした)離宮にこの禍々しい響きが届いたとき、王淑公孫・簡學文の娘――簡孟姚――明璇は、はっきりと動揺した。
姚姓王淑の束であった従伯父(父の従兄)・鷲申君が、同じ姚姓の〝宗族の長〟たる逢の天子に弓引いたのだ……。
べつに、明璇に限って〝なにがどうして〟〝このようなこと〟に……などと寝耳に水ということではない。時局をみれば、いずれこうなろう、という確信に近い予感はあった。王淑と昌との確執は、離宮のある宮城では、もはや公然のものであったから。
それでも、いざそのときとなれば、自分の足元が崩れて奈落の底にどこまでも落ちていくような想いにとらわれ、すぅと、目の前が昏くなる思いだった。
(……徐云。こんなときに、いったいどこに居るの)
(そもそも、このようなことにならぬよう、桃原と洛邑の離宮とを繋ぐのが徐云の役目だったのじゃないの。それが大事なときに姿すら現さないなんて……)
(あなたはわたくしの腹心でしょ。――一朝ことあらば、万難を排して、先ずわたくしの許に駆け付ける。そういうものではなかったの)
募る心細さの裏返しで、幾分、八つ当たり気味に徐云のことを想う自分がいる。
しかしながら、徐云ら境丘の者らも、この事態に何もできはしなかった、というのが現実というものだったろう。
太師の謀叛の報は公車司馬令・流亜卿の配下の者からもたらされた。
ということは、鷲申君の挙兵は、その初期において目論見の通りとならなかったということだ。目論見通りであったなら、鷲申君は、何はさて置こうとも、先ず主上、そしてその妹君――王淑公子・章弦君の養女でもある娥姚さまの御身の確保を急いだはず。いま宮城に太師の姿がなく、昌公方の衛士や官吏らが闊歩しているということは、そういうことだ。
だが宮城内の彼らの表情にも、余裕というものは感じられない。
緊張を解いていない――これだけぴりぴりとしているのだから、太師の側が一敗地に塗れた、ということではないのだろう。明璇は、硬い表情の下で、そう判じてもいる。
そういう明璇が、蒼褪めた顔にどうにか平静な表情を浮かべていられたのは、ここ離宮でともに暮らす娥姚の存在あったればこそ、だったかもしれない。
主上の異母妹であり、宮中における明璇の主人であったが、同じ姚姓の年下の娘である彼女は、ごく素直に自分を慕ってくれている。
政略の具としてわずか六歳にして王淑公子(章弦君)の養女となり、いまは時勢に翻弄されて洛邑に戻され渦中に身を置くこととなったこの寄る辺ない王娘は、年長の姚の女である自分が何としても護らねばならない。そう明璇は思っており、その思いが、明璇の整った顔を凛と上げさせていた。
司馬門で太師の遣わした衛尉丞を斬った流満が、そのまま衛尉府を押さえて宮城内の衛士・小臣を掌握したのは乱の起こった九月十一日のうち。
流満は頃王の身柄こそ、その日のうちに確保したのだったが、章弦公主については離宮に小臣を遣って人の出入りをに禁ずるに止めた。宮城のすべての城門が閉じられた時点で、城外から太師方の者が公主を連れ出すようなことは考えられなかったし、そうはいっても宮城が籠城をしていて男どもの気が立っている中を、女官や女孺に歩き回られるのも面倒だったからである。その判断を、頃王は了とした。
流満が離宮から小臣らを引き上げさせたのは、鷲申君が手下の者どもらを率いて亀城に退いたのが確認された十二日の、さらに一日後のことだった。
それまで何を問おうとも応えず、ただ離宮を囲んで何人の出入りも許さなかった小臣らの姿を見なくなったことで、明璇は、いよいよ太師が宮城を諦めて都から出たと察した。
王城に平静が戻ったことで、主上の異母妹である主人・章弦公主の身から危険は遠ざけられることとなった。明璇も、ひとまずは安堵した。
が、彼女自身は覚悟を決めなくてはならなくなった。
流亜卿が公主と自分とに面会を求めてきたという。
さて、〝王淑の女〟である自分には、この先、いったいどのような扱いが待つのであろうか……。
笄礼こそ主人である章弦公主・娥姚と併せて行うものと先送られてはいるものの、すでに十六歳となっている明璇である。
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