第63話

文字数 2,007文字


 前太師の(イャォ)(ファ)が洛邑の東郭――亀城に(こも)ってから六日が経っている。
 一旦は王都で戦うことを(はばか)り、洛中より兵を引き上げた姚華であったが、その頃には、諸国試兵の法によって続々と上ってきた兵は千を超えていた。
 九月十七日。姚華はあらためて二(りょ)(=兵一千。一(りょ)は兵五百)の兵を洛中に繰り出し、王城を囲んだ。
 しかしながら上洛した兵のすべてが、太師の官位を褫奪(ちだつ)され(※立場を取りあげられること)無位無官となった姚華に従ったわけではない。頃王を擁する太傅の側に付いた兵、あるいは何方(どちら)にも(くみ)せず中立を表明した兵も多く、姚華に与力する兵は六百ほどであった。太傅の側に付いた兵は、姚華の繰り出した旅との小競り合いを切り抜け、王城へ入った。

 その日の夜明け前、亀城から紺壁( )(原伯国の首都)と桃原に向かって密使が発っている。
 密使のうち北に向かった者に託された策は、南方伯・昌の軍勢が王淑領で北進を阻まれているうちに北方伯たる原の軍勢を洛邑に呼び込もう、というものである。
 昌の軍勢を単独で圧倒できる兵を短期のうちに動かせ得るのは原だけである。もともとの(くわだ)てに、昌との対決に原を引き入れるものはなかったが、事態(こと)ここに至れば止むを得なくなった。
 原伯にとって昌と事を構えることの利は大きくはなかろうが、仮に昌が勝利し、(ツァィ)才俊(ツァィヂィン)の変法が形を成せば、畿内諸侯の政治力は決定的に失われることとなり、合従連衡によって牽制し合うという現行の外交の(もとい)が失われる。その上で三公を世襲する昌の発言力が大きくなり、昌と原の力関係も逆転する…――。
 原伯にとり、利が無かろうとも〝現状の維持こそ〟が次善の策であろう。
 姚華は、原はこの策に乗ってくる、と判断している。
 さし当たり原伯が出師を決断するまでは、洛中の我らは王城の籠る昌公方を奸賊として優勢を示し、その間、王淑には昌の北進を阻んでもらわねばならない。
 さらに姚華は、桃原への使者には〝いま一つの策〟を託して送り出している。

 この九月十七日の、太傅の側に付いた兵と()()を阻止しようする姚華の旅との内城に到るまでの小競り合いでは、頃王とその異母妹・章弦公主との間に、少しばかりの()()()風が吹くこととなった。
 籠城する頃王とその側近らが、城門を開くことで内城の防備が(ほつ)れることと守兵が増えることで糧食の蓄えに余裕のなくなることを懸念し、内城を目指す兵らに門を開くことを拒んだことが事の初めであった。
「王室の盾として城外で戦うことが、逢の王がそなたらに求める忠節の形である」
 その心無い言と(むご)い仕打ちに章弦公主は悲憤し、近侍の簡孟姚( )明璇(ミンシォン))に言漏らした。
「彼らは逢に正義を見た者たちではないですか。せめて半刻(はんとき)の間でも門を開き、受け入れてやるのが王の家の努めではないでしょうか」 ……と。
 明璇が、相手にされぬことを承知で、現在(いま)は都督畿内三監四関諸兵事として城兵を束ねる(リィゥ)(マン)に(本当は顔を見るのも嫌だったのだが……)その主人の想いを伝えたところ、なんと流満は、
「そら正しいものの観方や」
 と、あっさり公主の言い分に首肯したのだった。
 宮城の十二の門のうちの卯門を一刻(いっとき)(=二時間)あまり、章弦公主の云う〝逢に正義を見た者たち〟のために開いてやったのだった。その間、流満は自らの養う無頼・武侠の徒を率いて卯門の守りを固めた。
 卯門は公主の離宮に近い門であったことから、少なくない数の兵が辰門から公主の離宮へと入り、そのまま公主の衛士の役に就くこととなった。以後、この門は「公主門」と呼ばれることとなる。
 明璇は、流満の意外な一面に接したのだった。


 内城の外において、局部的とはいえ激しい戦いが行われているこのとき、(ホー)(ジェ)は城内の一室に(リャオ)(シェン)を見舞っていた。廖沈は、姚華挙兵に先だち、その企みの証拠を手に太傅の許に走ろうとした。その折、居合わせた(シャオ)尊寶(スンバォ)に激昂され、剣で刺されて傷を負ったのだった。
 (しょう)(寝台)の上に丸くなった廖沈は()えず何かに怯え、おどおどとした目で周囲を窺い、物音がすれば肩を震わし、自らを落ち着かせるように、何ごとかを小声でぶつぶつと呟いていた。何捷が声を掛けても、血走った目をこちらに向けはするが何を返すでもなく、黙って震えるばかりである。
 その面差しに天官宮卿補の颯爽としたものはどこにもない。何捷は話を交わす努力を諦めた。
 この有様では朝議の場に立つことはおろか府第(ふだい)に出仕することも出来まいが、それでも逢の天官宮卿補である彼には、最後の役目――蕭尊寶が廖沈の命を狙うのであれば、廖沈を餌に尊寶を(おび)き出せよう、という蔡才俊の(はかりごと)の餌役――が残されていた。蔡才俊は、尊寶が廖沈を赦すことも諦めることもないと踏んでいるようだった。

 ――こんな惨めなやつの為に、蕭尊寶は命を()すだろうか……。
 そう思いながら何捷は、手厚く看護されているものの、もはや狂人と言っても差し支えのない廖沈の牀を離れたのであった。
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