第61話

文字数 1,528文字


 明璇(ミンシォン)の、さすがに弱くなった眼光を正面から受け止め、(リィゥ)(マン)は訝しむ彼女を憐れむように見返して言った。
簡孟姚(ジェンモンイャォ)の後見は、章弦君が引き受けたんや――」
 言って、明璇の表情の変化を窺う。明敏な明璇は、流満の云わんとするところを察した。それを見て取った流満の口もとに、憐れむような微笑が浮かぶ。
「章弦君は(はな)から太傅の側やった、()()()()()()や。……もう何年もまえからな。
 ふん。おまえら貴人は、口で〝忠〟だの〝義〟だのと唱えていても、結局は勝馬の尻に乗りよる。〝機をみるに敏〟っちゅうやつやな――」
 その微笑に、蒼白な(かお)となってただ黙って聞くばかりの明璇の耳が、流満の次の言葉を拾った。
「……同祖同族でも売りよるわ」
 ぎゅっと口許を引き結んだ明璇の面前で、流満は、さっと衣の裾を翻した。
「ここへ来たのは、あの鷲申君の縁者が離宮に()ると聞いとったからで、ただの好奇心からや。べつに誰からも〝王淑の人間を排せよ〟などと命じられてへん。安心せぇ」
 背を向けてそう言い捨てると、来たときと同様の大股で歩み去っていった。

 その背を言葉なく見送った明璇は、同じように大きな背を見遣る章弦公主・(ウァ)(イャォ)の視線に気づいた。
 その娥姚が、流満の背から視線を外さずに言う。
「――…わたくし、きっとあの方に嫁ぎます……。きっとそうなるわ……」
 抑制されたその声にぎょっとした明璇に、感情を消した蒼褪めた貌で、娥姚は肯いたのだった。



 一族与党とともに亀城に入った(イャォ)(ファ)(……すでに太師を罷免され無位無官となっている)は、郭門を閉じさせることもなく、諸国試兵の法によって徴収した兵が上洛してくるのを待った。
 思いがけぬ衛尉府の動きと官人どもの造反。それにより主上の玉体を掌中に出来ず、王城を一旦離れる羽目となったのは誤算であった。
 だが昌公方とて洛邑に軍が在るわけではなく、本拠地の昌は遥か南の遠方。おそらくすでに軍を発していようが、北上する昌軍は王淑の地を通過せねばならない。我が王淑公室は当然それを阻止する。その間に畿内諸侯の兵馬を速やかに糾合し昌公を討てば、まだ勝敗はわからない。
 ――そのように捲土重来(けんどちょうらい)の青写真を描く姚華は、いまだ章弦君の変心を知らない。



 その頃――。
 王都の事変を知りようもない(シュイ)(ユィン)麗雯(リーウェン)は、白河に洛水が注ぐ港邑・許まで船で上ってきたところで足止めされていた。
 普段であれば往来する船影の多い洛水に、いまは数艘(すうそう)の巡検の舟が浮かぶばかりで、徐云の乗った船も、巡検の舟の指示に従って許の船溜まりに入ったのだった。
 どういうことかと船方から話を聞くことができたのは、船が岸に付いて一刻(いっとき)(二時間)ほど経ってからだった。自身も困惑の表情(かお)になった船方が云うには、王都で政変が起こったらしい。王淑からの船はここで人と荷を下ろし、白河を戻ることになるという。
 慎重な面差しとなった徐云が、政変とは、と重ねて訊くと、船主が(ヂォン)氏の店とつき合いを持つ船方は、重くなりがちな口を押して教えてくれた。
「……鷲申君が王城を囲んだそうです」 と…――。

 痛恨事だった。
 これが起こることは半ば以上判じていたといっていい。太師と太傅との関係はもはや武威に依る決着を見ること以外、あり得ないところまできていたのだから。
 それを見越して、(ガオ)偉瀚(ウェイハン)は、洛邑と桃原を繋ぐ伝令の役に自分を指名したのだったし、(ジェン)の家宰は、一朝事あるときには明璇の(そば)近くに在るようにと、自分を洛邑に送り出したのだ。
 それが()りにも()って(役目とはいえ)自分が洛邑を離れている、いまこのときに起きるとは……。

 すでに洛水への水路は封鎖されており、王都へは川伝いを陸路で行くより他ないという。
 さて、どうすべきか。徐云は思案することとなった。
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