第24話(終章)

文字数 1,640文字

 しかし、この宮中での(ツァィ)才俊(ツァィヂィン)の躍進は思いも寄らぬことだった。
 というより、かつての守役・鷲申君と意を(こと)にする頃王というものに、誰も思い至ることができなかった。
「本当に主上(頃王)自ら王威の復権を期しているのならば、臣下はそれに従うべきか」
 大慶(ダーチィ)が表情を改めて尊寶(スンバォ)に訊いた。
「されば〝義〟においてはそうなろうな……」 尊寶の答えは明瞭なものとはならなかった。「――…が、〝智〟をもって望めばそれは否定される。おそらくは〝信〟を得られまい」
 忠義において臣下が王に従うのは当然と言えるが、見識ある者がみればそれが難しいことは明らかである。結局、蔡才俊の変法が実証されることはあるまい。それがこれまでの中原の在り様であった。
 尊寶は自分の杯に酒を注いだ。
「畿内においてさえ王の力が及ばなくなって久しい。天下国家の様相は〝これ麻の如く〟だ。いまさら王が王宮から何を主導しようというのか……。それ以前に畿内五富族の(くん)らの意嚮(いこう)を無視することはできぬ」
 大慶は杯を傾ける手を止め、ちいさく嘆息した。
「五富族の意だけ汲み上げる……はたしてそれでよかろうか」
「…………」 尊寶も手を止め、大慶の顔をみた。「…――(ホン)(ヂィー)……それではおぬし、〝ただひとりの王の下で万民は平等に〟の夢を追うというのか」
 (ひそ)めた声に、話の行方(ゆくえ)韜晦(とうかい)するか否かの迷いを見て取れる。大慶は、かまわずに言を継いだ。
「王淑とて王室の権威あってはじめて覇を(とな)えられるわけだろう。ならば逢の王威に直截(ちょくせつ)万民が服せば、いっそ話は早かろう……などと思わぬでもない」
「…………」

 常においては〝自分は武人、政治はわからぬ〟と(わら)っているが、中々どうして鋭いものの観方だ。自分の友は、時折りこのような〝的を射た〟考えを口にする。この(おとこ)は、決して(おど)け者でも戦馬鹿でもない。
 尊寶は自分の杯の酒に目線を落とした。
 王淑は畿内諸侯、とりわけ姚姓の国々の(たばね)といえる。それはつまり、畿内五富族の意志を習合する、いわば〝器〟ということである。
 一方、蔡才俊の主張では王の意思のみが天下を覆う。その手段として法がある。
 つまりは〝国を統べる意志〟を満たす器が〝人の和〟か〝法〟かというところが違いであり、結局その程度の違いでしかない。
 器とはそれ自体に価値はない。本当の価値とは、器の中に入ったものにある。
 ……だが蔡才俊に、王を導く姿勢は感じない。むしろ器たる〝法〟そのものに価値を見出した観がある。

 ――()()()()()()()()()に入った酒こそが美味い、ということか。

 尊寶は杯を(あお)る。すると心中の()()()()()()尊寶の声を聴いた。

 ――だが、酒そのものの雑味で呑めたものではない、
    という、現状(いま)の逢の治世のような状況よりは()()かもしれぬ……。

 しらず顔を(しか)めた尊寶に、こちらはもう表情の改まった大慶が笑う。
「まあ、俺は忠を()る武人。鷲申君・章弦君を信じるまでだ」
 その屈託(くったく)のない言いように、ふっと笑い返すと、尊寶はこの話題を閑話休題(かんわきゅうだい)とすることにして空となった杯に酒を注いだ。


 その頃――。
 (ホー)(ジェ)(シュイ)(ユィン)は、(ガオ)偉瀚(ウェイハン)の邸の門前で、菜香房からの土産の袋を立青(リィチン)に手渡していた。
 叩頭(こうとう)しかねない立青を何捷が立たせ、深々と揖をした立青が袋を手に、都城の外へと向かうのを徐云は何捷と並んで見送る。
 袋の中身は笹の葉に巻き固められた(もち)と、魚と肉の乾物である。袋を開いた、まだ童女といっていい立青(リィチン)の妹が目を輝かせる様が浮かんだ。 
 昨年は連衡(れんこう)出師(すいし)(軍事行動)があり、田畑の収穫は民や賎民の口にまで十分に回らなかった。今年もそうだ。
 いくらかでも()()()()(しの)ぐ足しになればよい。このときの徐云は、そんなふうに思っていた。

 雨の少なかった雨季が終わりつつある。


 蔡才俊が、天官府( )(六官の一。国政を統括する)に宰輔(さいほ)(天官太宰・少宰を補佐する官職)の一人として抜擢(ばってき)されるのは、この翌年――頃王の十五年――のことである。
 北方の雄・原伯国はひとまず兵を解きはしたが、簡公孫學文は幽閉され続けている。
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