ムーン・リバー (1)
文字数 1,775文字
「恨み……?」とクロード。
「うらめしやじゃなくて」ハロルド、笑っている。「裏から見るから『
全国にいくつか実在する滝の名だ。
「
「うん、あれ観光客の人たちが喜んで写真撮るから、待ってるとなかなか使えなくて」
「平家の皆さん観光客に遠慮して?!」
それで別個に自分たち専用の滝を作ったらしい。
気くばりのある怨霊たちなのだ。育ちがいいからね。
「おお着いたか。牛若くんか」
ふいに背後で
大スクリーンに大きな顔が大写し。何もかも「大」づくし。
「おおー、
そう言われるとよけい自分が小さく感じられるクロードだ。
「おとうさん」隣でたしなめる人もいる。「『大きゅうなった』は失礼でしょう。もう牛若さんじゃのうて九郎判官どのですけえ」
「おおそうじゃった、そうじゃった」
「ほらお帽子。かぶらんとお風邪引きますよ」
「あい」
つるつるの頭をおとなしく差し出し、グレージュのニット帽をかぶされている。
(
清盛・
(入道どのニット帽似合う!!)
「ゆっくりして行きんさい」巨大モニターの中で清盛公、にこにこしている。「好きなようにしてええんじゃけえ」
「は、はい」(なぜに広島弁?)
「すまんがわしゃ先に休ましてもらうけえのう。若い者らぁに何でも言うたらええけえ」
「ごめんなさいねえ、年寄りじゃけえ夜眠うて」奥さんの二位の尼もにこにこしている。「ハルちゃん、陛下はええ子にしてた?」
「お休みしちょりました」とハロルド。
「あらあら」
さっきからハロルドの背中に移されてすやすや寝息をたてていたアーサーが、このときむくりと顔を起こした。
「ねてない」
「陛下」
「『へいか』じゃないもん」ぐずぐずと目をこすっている。ねむたいので機嫌が悪いのだ。
「ほらほら。おねむでしょ。もう、ばあばのところへおいでなさい」
「やぁだ。ねない。げんじのおにいちゃんはちんのおきゃくさまなの」
「そがいなこと言うて」これはじいじだ。「お目めが上と下、くっついとる」
「げんじのおにいちゃん」
眠い目をけんめいに見はり、せつせつと訴えるアーサーだ。
「ちんはね。
赤ちゃんのときから天のうをしてきたから、みんなにわがままだと思われてるけど、ぜんぜんわがままじゃないの」
「はい」
「天のうって、がまんばっかりなんだよ」
「はい」
思わずほろりとするクロードだ。
こんなシーンをつい書いてしまっているのは、吉川英治『新・平家物語』の中で、安徳帝が高い所に登って旗で遊ぼうとして大騒ぎになり、かかえ下ろそうとした家来の指に帝が噛みついて大泣きする、というシーンを読んだばかりだからだ。
それ、イメージとして四歳児くらいじゃないのか?
六歳の言動じゃない気がするのだが。少なくとも、ご幼少のみぎりひじょうな泣き虫だったわたくし作者も、周りの小学一年生も、そんな泣きかたはもはやしていなかった。
大人が子どもを描くとき、可愛く描こうとしてつい赤ちゃん補正をしがちだ。
だがそれは描かれる子どもの側からしたら、かなりの屈辱に違いない。
「ちんも、げんじのおにいちゃんとお話ししたい」
果敢に睡魔と格闘しつつ、悲しそうに言うアーサーだ。
「どうしてちんは子どもなのかな。ちんもおとなになりたい。おとなになって……」
そこまでが、限界だった。
ふたたび夢のなかへ去ってしまった清らかな
微笑みの浮かばない者などない。
夜はこれからだ。
※
清盛公は若き日、
ということで広島弁をしゃべってもらいたくなり、広島弁ネイティブの友人に方言指導を受けたところ、意外にも、あんまりこてこてにならないようにアドバイスされました。
二位殿の台詞「ごめんなさいねえ」は、本当は
「かんにんしてつかあさいねえ」
となるべきところだけれども、相手が標準語だからそこまで言わないと思う、だそうです。なるほど!
言葉のリアルって面白いし難しいと痛感です。