笑う人 つづき
文字数 1,817文字
始めのうちは平家有利に展開する。早く勝負をつけたい知盛は猛攻をかける。潮の流れに乗って攻めこみ、はげしく矢を射かける。ストレートもフックもアッパーも雨あられだ。
だが、《攻めの義経》は意外にも乗ってこない。耐える。耐えに耐え、ひたすら防御に徹する。
パーリング。ブロッキング。スウェーにダッキング。
そして、流れは、変わる。
この流れは、試合の流れという意味だ。
じつは、じっさいに海水の流れが変わった、という説が長らく信じられてきた。作者も信じてた。
壇ノ浦は海峡で、潮の流れる方向の変化が激しい。源平合戦の当日も途中で潮流が反転した。ために平家有利から源氏有利に転じた。知盛も、そして義経も、あらかじめそれを知っていた。
――という説。
ところが最近のコンピュータによるシミュレーションで、意外にも当日(西暦でいうと1185年4月25日)、潮の流れは変わらなかったという結果が出てしまった。と、あるテレビ番組でやっていた。なんだそれは。
それならなぜ、平家は勝てなかったんだ?
どきどきしながらその番組を見ていたら、例によって「義経が平家軍の船の漕ぎ手を射殺させたから(
卑怯にも
)」という耳タコ説になってがっかりだった。どっから出てきたよその漕ぎ手殺しちゃいけないルール? 『平家物語』にはないよ? ていうか漕ぎ手射るのはたしか水島の合戦で知盛自身がもちいた作戦で義経のはその真似だったはずだがとかいろいろ思うのだがそれについてはウィキペディア「壇ノ浦の戦い」の項の解説と注がちゃんと書いてくれているからいまは省く。このページの主役は義経じゃなくて知盛だからね。ウィキの当該ページにある。「(平家方は)兵器の補給もままならない状況であった」
それだ。
単純な話だ。
作者はゲーム、とくにバトルゲームをまったくプレイしないから知らないのだが、あれは何ですか、矢や弾丸はいくらでも好きなだけ使えるんですか。違うでしょう。
源平サーガを題材にしたドラマを見ていると、いつもここが不思議でならない。
少なくともリアルな矢は、無尽蔵ではない。
数に限りがある。補給が必要だ。
平家軍は海上に追いつめられている。このとき陸は義経の兄、
あらかじめ船に積んでいた矢しか、知盛たちには使えないはずだ。
辛い。
どんどん減っていく味方の矢を見ている平家軍の、知盛の気もちを思うと、たまらない。これが尽きたら終わるのだ。すべて。
知盛が速攻で一気に決着をつけたかった理由も、それを義経が耐えぬいて時間をかせいだ理由も、
ここにあるんじゃないのか。
流れが、変わる。
平家軍の矢種が尽きる。
源氏軍の猛反撃が始まる。船を寄せ、乗りこみ、斬りこんでくる。
平家をみかぎった阿波の水軍が、源氏方へ走る。これがとどめだった。
いよいよ負けが込んできてああもう終わりだなと見ると――
知盛はなんと、掃除を始める。
まじで。
総大将みずから船を掃いたり拭いたり、いろいろ海に投げ入れたりする。この期に及んで断捨離。女官たちが驚いていると、
「きれいにしておかないといまから東国のイケメンたちが襲ってきますよー」
からからと笑い
(ここ『平家物語』原文ママ)、「いまそれ言う?」と女子たちにドン引きされている。従弟の教経が死にものぐるいで戦っているのへ「もうやめたら、むだな罪つくりは」と声をかけたりもする。
それから第一の家臣を呼んで(義仲にとっての今井兼平に当たるバディだ)、
「じゃ打ち合わせどおりでいい?」
「もちろんです、殿」
浮きあがらないように鎧を重ね着して――でかい錨なんか背負わない。あれは歌舞伎の
すっと入ってしまう。あまり水しぶきもあげない感じだ。
あばれない。
ほんと、ヒーローらしくない。
いくらなんでも淡々としすぎじゃないのか。
この静かな人に、それでも私たちはみんな魅了されてしまう。
彼が、笑うからだ。
祇園精舎の鐘の声。
沙羅双樹の花の色。
なぎさに紅葉のようにただよい寄せる、赤い旗――。
壮絶なものがたりの最後に、冒頭のあの涼やかさが香るようによみがえってくる。
知盛の微笑のおかげで。
不思議な人だ。