ロンリーハート (3)
文字数 1,227文字
アリアの身に起きた異変の原因がわからない。
痛いところはないかと訊いても、ないと言う。世話をさせている小女たちに尋ねても、とくにめだった外傷はないらしい。
それはそうだろう。真綿にくるむようにして大切に運んできたのだ。
何がいけなかったのか。
アリアが意識を失う直前に、アントワーヌの衣に焚きしめた香をかがされていたことをご記憶の読者もおありかと思う。
あれは違う。そういう伏線ではない。べつに魔法のアイテムではない。もしあの香であたまがぱあになるなら、アントワーヌ自身がとっくにぱあになっている。
そうではなく……
たんにアリアはあの香がすっかり気に入ってしまい、ついでにその香の主であるアントワーヌにもなついたというだけの話だ。泣き疲れると、彼の膝に頭をのせて、くんくんと匂いをかいでいる。そのまますぴーと寝てしまうこともある。まるで仔猫だ。
正直、くらっとするほど可愛い。
だが、くらっとしている場合ではない。
(やはり精神的なショックが原因か?)
姉と引き離したこと。姉が打たれて気を失うのを目の当たりにしてしまったこと。
それにしても、メンタルダメージだけで自分が誰かまで忘れかけるのは奇異ではないか。
あるいは、あの白狐。てっきりもののけの類だと思ったのだが、やはりペットだったのか?
それにしても、ペットロスだけで自分が誰かまで(以下同文)……
あのときの姉妹の言葉を、できるかぎり正確に想起してみようとする。
(何か言ってなかったか、たしか……「いとうくん」とか「かとうくん」とか)
惜しい。
(姉さんのほうも何か言っていたな)
――アリア逃げて! シロは置いて……
(シロという名前か、あの白狐は)
違う。
もっと遊びたいがきりがないので、ここでアントワーヌのスマホに鳴ってもらうことにする。
発信者の表示を見て、ためらう。
同じ人からすでに不在着信が七回。未読メールは十七件たまっている。
だが、これ以上待たせるのも危ない。向こうがじれて、ちょくせつ
なにせ彼女はいまやスーパースター。全国区レベルで崇められ憧れられ――恐怖せられている
小さくため息をつき、アントワーヌは画面をタップした。
「アントン」
はずんだ声がする。この超弩級の異母きょうだいにも、なぜか彼はなつかれている。
思わず笑みが浮かぶが、そっと物陰に移動し、まわりをはばかって小声で答えるアントワーヌだ。
「そんな可愛い呼びかたをしてくれるのは、世界広しと言えどあなただけですよ。
鎌倉殿」
※野暮な注。アイアン・レディーは往年の英国首相マーガレット・サッチャーの異名だが、アイアン・メイデンもその手の何かだと思っているかたがおられると困る。そういうかたは「ニュルンベルクの~」で検索してみてくださいね。明治大学博物館にレプリカがあります。