ロンリーハート (2)
文字数 1,870文字
アントワーヌは
廊下ですれ違う同僚たちが目を合わせない。中には逆にわざと気の毒そうな表情を浮かべて
「残念だったな」
ぽんと肩を叩いてくるやつもいる。
会社組織なんてそんなものだ。おっと違った、ここは寺だったか。
しかも彼は、セバスチャンこと横川の覚範と歌姫を奪いあううちに、せっかく確保した白狐を忘れてくるという失策をやらかしている。
はじめはとくにおとがめなしだったのに、ここへ来て周りがあわただしい。「白狐」が急浮上してトレンド入りしたらしく、
なぜ?と訊いても、戦力外通告された彼には誰も何も教えてくれない。
(ハブられてるなあおれ。まあ、慣れてるけど)
苦笑するアントワーヌだ。
もともと彼は目立ちすぎるのだ。何をやらせてもそつなくできてしまう上に、両親ゆずりのきわだった美貌。とくに稚児時代は
「いい気になりやがって」
「何が源家だ」
逆恨みの火焔放射を浴びる。
たまにこっそり「おれは味方だよ。何かあったらいつでも相談してくれ」などと優しく耳打ちしてくる者もいる。が、真に受けたら馬鹿を見る。そういうやつにかぎっていざというときは知らん顔だ。
最近は陰で「鎌倉へ帰れ」と言われているらしい。
(鎌倉にも居場所がなかったから、こっちへ帰ってきたんだろうが……)
頼朝挙兵の知らせを聞いて駆けつけたのは、じつは九郎義経より全成のほうが早い。
頼朝は涙を流して喜んだ。
ご存知のとおり、のちの大将軍のわりにこの人は喜怒哀楽が激しい。よく年表に「頼朝激怒」と書かれている話は前にしたけれど、同じくらい「頼朝大喜び」の逸話も多い。ほんと。冷血漢のイメージかなり違う。
むしろ感激屋さんなのだ。
それがしばしば裏目に出る。
義経と違って空気の読める全成は、鎌倉殿のおぼえがめでたいほど妬み恨みの火焔放射のレベルも爆上がりするという仕組みにいち早く気づいた。寺での小競り合いの比ではない。
カミーユが無邪気にひきとめるのをふりきって、醍醐寺に帰ってきてしまった。
というのはこのおはなしのオリジナル設定だが、最終的に鎌倉の有力後家人になるまで彼の前半生ずっと空白なので、これくらいのテキトーかまさないと面白くない。お許しあれ。
ついでだが、例の直木賞受賞作の全成伝(巻二「荒法師トーク」参照※)にも、アントワーヌは苦笑した。
いや、ほんとの話。まじでがっかりだったので、彼に代わってどうか一言弁じさせてほしい。
寺育ちだから「ねじまげられた陰気」な性格というのもモブキャラ並みに雑な設定だ。主人公なのに。だが、それよりあきれたのは、作中の全成が、自分をさしおいて義経が平家追討軍の総大将に選ばれたことにショックを受け、頼朝を恨んだり義経を妬んだりするというところ。
(ないない)
馳せ参じたのはおれのほうが先だとか、
アホか。
九郎とおれなら、やつのほうがリーダーにふさわしいに決まっている。一目瞭然だ。そんなこともわからないで男社会で生きていけるか。
九郎とおれの差は歴然としている。
仲間だ。
そして馬だ。
頼朝に初めて対面するとき、僧衣の身ひとつで駆けつけたおれと違って、九郎はすでに郎党を率いて騎馬で参じている。
人を率い、馬を操る。どちらも彼が奥州藤原氏のもとでつちかった能力だ。天才軍師というがこの時点で義経にまだ業績、つまり実戦経験はない。その彼の、少数ながら精鋭、いいかえればノリノリで荒馬を乗りこなす佐藤兄弟以下ワンピースチームを一目見て、
「行ける」
抜擢した頼朝の眼力の正しさ。
感服こそすれ、恨む筋合いはない。
(ようするに、おれ友だちいないってことだな)
アントワーヌは空を仰いで嘆息する。
孤独が身にしみる。クロードを妬みはしないが、しみじみ羨ましい。
孤独といえば──
こわれかけたガラス細工のようになってしまっているアリアを目の前にして、じつはものすごーく心を痛めているアントワーヌなのだ。
寺に連れてこられたばかりの幼い自分を思い出してしまう。
(こんなことになるなら)
ひそかに唇を噛む。
(捕らまえたりするんじゃなかった)
※永井路子「悪禅師」(連作短編『炎環』所収.文春文庫、2012年(新装版))