ヒア・カムズ・ザ・サン、または/そしてレイン (2)
文字数 843文字
いったん公開してしまったので、お気づきになった読者もおられると思う。
書かないほうがいいこともある、と気づいたのだ。
敬愛する作家の言葉にもある。
「書いたことより、
書かなかったことのほうが大事なときもあります」※
登場人物たちは私(語り手)のところへきて、いろいろ語る。
私はそれを書く。
気どった言いかたをするならば、琵琶のかわりにキイボードを置き、
「うん」という息とともに画面にたたきこめていく感じだ。
聴きとったすべてをただ誠実に言葉に乗せようと、いつも努力している。
けれど、
それだけではだめだ、と、昨夜あらためて気づかされた。
なんのことはない。数話前、登場人物のひとりに教えてもらっていたことじゃないか。
行き暮れて
木の下蔭を宿とせば
花や今宵の
主ならまし
これが、辞世の句なのだ。ひとりの男の。
例えば、志半ばにして
そんなものが1ミリでもこの歌の中に書かれていたら――
私たちはきっと、こんなに泣きはしない。
書かれていないから、私たちは泣く。
ここに私たち読者の翼を広げさせてくれる空があるから。
だから――
この巻三も、そんなふうにしめくくれたらと思う。
窓を開けたとたん、風に乗って金色の雨粒が吹きこみ、
部屋じゅうを金色の雨が満たし、
〈はたのさん〉
〈迎えに来た〉
彼女がただ、嬉し泣きに泣き濡れて、
もう、それだけでいいではないか。
おたがいの腕の中で二人が、会えなかった時間の切なさを思いきりぶつけあったか、あわなかったか、
それは、書かなくてもいいことだ。
あとはただ、そっと窓を閉めればいい。
―第六章 了―
―巻四へつづく―
※『ル=グウィンの小説教室』(原題"Steering the Craft: A 21st Century Guide to Sailing the Sea of Story")第十章より.