ヒア・カムズ・ザ・サン (17)
文字数 1,885文字
おお、今朝もいちだんとお美しい――
と、Zoom回線の向こうでいったい何人の男がいま、朝っぱらから身もだえしていることだろう。
と、畠山重忠ロバートは思う。
彼自身は、彼女の斜め後ろにひかえている。資料の束をかかえ、指示があったらすぐにさし出せるようにスタンバイしている。
甲冑も着てないし片膝もついてないのだが、気分的には同じだ。
ここは本陣だ。戦場の。
いや、ふつうに清潔な、図書館の一室ではあるのだが。
個人用の小さな閲覧ブースだ。古い木の壁に嵌めこまれた新品の窓ガラス。
ドアはあるが、鍵はかからない。
「時局を
「やはり導入に踏みきることにした。
今後、幕府のすべての公式文書には、電子署名を用いる」
会議参加者のほうの音声は基本オフ設定になっているはずなのだが、それでも彼らのどよめきをしかと心の耳に受けとめた気がするロバートだ。
「諸侯もお気づきのことと思う。非対面、リモートがデフォルトになりつつあるいま、書類にいちいちわたしの
花押。西欧の
重要なのは、自筆だということだ。自筆の直筆。あたりまえだけど。
自筆――
(この案件、通るとは思えないんだけど)
見守るロバートは気が気ではない。
(いままで自筆のサインで来たのに、いきなり電子署名なんて)
「電子署名の安全性については問題ない」爽やかに微笑むカミーユだ。「ごく簡単にしくみを説明すると」
ロバートをふり返るので、いそいで側に寄って画面をパワーポイントに切り替えてさし上げる。
「ご覧のとおり、ひじょうに単純明快だ。
いったん音声をオフにしたカミーユは、椅子からロバートを見あげて心配そうにささやいた。
「通じてると思う?」
首を振るロバート。
(正直、ぼくにも……まったく何が何だかわかりません)
それはそうだろう。
作者にもまったく、何が何だかわからない。※1
「あの」
音声機能をオンにし、おずおずと挙手している男がいる。
「千葉
「そうすると、もう、花押の入った文書はいただけないということですか」
「そう。文書そのものを紙じゃなくて電子ファイルに統一していくの」
「それは、……それは」気の毒に千葉、額に汗を浮かべてどもっている。「もう決まったことですか?」
「うん。わたしが決めた」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「どうして?」
「不安です」
「何が?」
「いや、その、……」
もう一つ音声オンの明かりがついた。発言許可を求めるサインだ。
「
「わたしも不安です。古いと言われようと……、やはり御前※2の花押なしでは……」
泣き出しそうな顔をしている。
「あのね」カミーユは心底困ったように、例の白魚のような指で髪をかきあげた。
「正直、わたし疲れちゃったの。いちいち全部にサインしてたら三千枚とかなのね。手は痛くなるし、他のことはできないし。
わかって」
「は、はあ」
ロバートはため息をつく。
(この「わかって」出されると弱いんだよな)
(だけど、御前もわかってほしいんだよね。
みんなの気もち)
(改ざんとかそういう問題じゃないんだよ。
みんな、あなた直筆のサインがほしいだけなんですよ。鎌倉殿)
(中には抱いて寝てるやつもいるんだから)
誰だそれは。作者も初耳だぞロバート。
※1
じつはこれは半分史実。
頼朝は一一九一年、「
いま考えればごくふつうの話なのに、当時はみんなびっくりしちゃったらしく、やっぱり「鎌倉殿ご本人の花押がなくちゃ不安ですー」と泣きついた人たちがいて(まじで千葉くんとか小山くんとか)、けっきょく花押付きの文書を書いてあげたりしている。
新しいことが浸透するのって、時間がかかるよね。
※2
「御前」という呼びかけ、女の人限定なのかなと思っていたら、『吾妻鏡』の中で三代将軍実朝が「御前」と呼ばれていました。
男女どちらでもOKみたいです。