ヒア・カムズ・ザ・サン(アゲイン)(4)
文字数 1,780文字
地下鉄に乗っているクロードだ。
正確には、乗らされた。
「すぐですよ。一、二時間で帰ってこられます。
たぶんみんなお昼近くまで寝てるだろうし」
抵抗しようとすればできたはずなのに、できなかった。なぜか説得されてしまった。
悔しい。
「途中に駅はありません。直通なので。
着いたらエスカレーターで上に上がってください」
乗客は彼一人だ。
(またかよ、平家専用!)
だが、そこではない。クロードがぶすっとしている理由は。
つまり――
微妙な
彼自身のセルフイメージとしてはおれ=スナフキンだったんである(5ページ前「この人に憧れて」参照)。その立ち位置を完全に忠度ウィリアムに奪われた。
(おれはムーミンか。いやムーミンはベンだな。じゃおれリトルミイ?)
そうやってふくれっつらで脚を投げ出しているとますますリトルミイ以外の何者でもないのだが、どうにも腹立たしい。
しかも、会いに行かされる相手が。
「大丈夫。根はお優しいかたですから。怖がることは何も」
(そんな強調されたらよけい怖えよ!)
「歌(和歌)のお話でもしてさしあげればお喜びになりますよ」
(だから百人一首しか知らないつってんの!)
それもかるた大会で学年一位取りたかっただけだからなあ(取ったけど)、とクロードはため息をつく。みんななんでそんなとろいの?っていうね。じゃこれももらうけどいい?これも?っていうね。ようするに反射神経と記憶力と負けず嫌いとノリでつい百首制覇しちゃっただけだったからな。意味わかってるかって言われたらめちゃくちゃ自信ない。
奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の
声聞くときぞ
秋はかなしき
――鹿が鳴いたらなんで秋が悲しいんだ?
うーん。どっから説明しようか、クロードくん。
(ん?)
ふいに、眉をかるく寄せるクロードだ。
(なんだこれ。いい匂い)
(どこから? 何が匂ってる?)
(おれか??)
さっき別れぎわにウィリアムに貸してもらって着ているフィールドジャケットの匂いだ。決してごつくはないのだけど、袖のファスナーなんかがよく見るとさりげなくミリタリー。
プラットホームまで送ってもらって、しばらく二人とも黙っていた。低周波の振動に床が揺れだし、列車の到着が近いなと思ったとき、きゅうに気になって訊いてみたのだ。
「おれこんな普通の格好で大丈夫なんでしょうか? もし向こうが
「それはないよ」ウィリアムは吹きだした。
「でも失礼だったらどうしよう」
「失礼じゃないけど、それより」
ずっと穏やかだったウィリアムの表情がきゅうに変わった。心配そうな顔に。
「きみそれで寒くない? 薄着だね」
「え? べつに」
「いまはいいけど、浜に出ると潮風がきついかもしれない。何かはおるもの持ってる?」
ホームに列車がすべりこんできた。
「持ってないです」
「じゃ、これ」自分のジャケットをさっと脱いで、肩にかけてくれたのだ。「おれが着てたので悪いけど」
自動ドアが開く。
「いや、待って、そんな申し訳ない……」
「風邪引かせたら大殿に叱られる」笑っている。「早く乗って」
目の前で閉まっていくドアのすきまからクロードは叫んだ。
「いっしょに来てくれないんですか」
ウィリアムは小さく手を振っているだけだ。
列車が動きだす。
遠ざかる前の一瞬、かるく眉を上げた楽しげな彼の顔と、口の動きが見えた。
〈似合うよ〉
まあ……
なんのかの言って、クロードも嬉しかったんである。
(ウィリアムさんずーっと敬語だったのに、最後一瞬だけ。
「
きみ
寒くない?」「おれ
ので悪いけど」とか言ってくれて)(〈似合うよ〉って)
(わーい!)
(なんの匂いだろう、これ)
きつねでもないのに、くんくんと嗅いでしまう。
(女の人がつけるような甘ったるい香水とはぜんぜん違うし。でも酒とかタバコでもないし。
何だろう。
いい匂い)
それはウィリアムが最近吸いはじめた
薫りに気をとられているあいだに、列車のスピードが落ちはじめた。
(まさかもう着くの?)
車内アナウンスも何もない。静かにホームに滑りこみ、ドアが開く。
(着いちゃった)
(どうしよう)
(うわめっちゃ緊張する)
うん、まじで緊張する。
作者もだ。
だって、いまから会う相手は、神なのだ。