†零壹† 恋の原点
文字数 3,470文字
愚かな人間は、目的を忘れる。
ニーチェ
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(何故その姿を……いや────……)
微妙に違う、と思う。
目元は
(……頭部を凝縮させたのか)
『この者は月英では無い』という意思を強く持つ。その意思を切らした瞬間、思い出の再来に
悦び
を感じてしまうから。(何とも恐ろしい、擬態能力……!)
思い出が化物色に穢されていく。脳を不可逆的に改造されるような事に、悦びさえ感じてしまう。それがとても恐ろしい。
今も自分の心は『悦びに縋り付け』と叫んでいる。けれど、もっと奥底の心が『それだけはダメだ』と小さな声を発している。だから必死に〝相違点〟を探る。
(化物め……!)
けれど、思い出のそれは儚く曖昧で、現実のそれは強烈で鮮明。真っ向勝負では勝てるハズが無い。だから必死に相違点を探る────そう、腰裏だ。
化物の腰裏から着物の方へ、青白い血管の浮き出た〝尾〟のような物が伸びている────これでしばらくは脳を改造されずに済む。
神武は槍を握る手に力を籠める。
(単純で、恐ろしい術ではある、が……!)
今、幼女に擬態したこの化物、もしくは根に繋がる尾を切れば、おそらく殺すことが出来る────
炎帝神武は確信に近い直感でそう思った。
(問答無用の先手必勝、それがこの術を打破する最善……!)
「……────ッ!?」
そう思っているのに、身体が実行できない。
親、友人、あるいは現在の月英の姿なら、有無を言わさず即座に斬り付けていた。〝傷を付けること〟こそが、偽物を偽物たらしめる方法なのだから。でもこの姿には逆に、有無を言わさず身体を動かせない。まるで石にでもされたように────脳の改造を警戒する余り、身体の改造をされてしまったのか。
動けず束縛された自分に、十歳ほどの幼女が歩を進めて来る。
『ヒュー……ヒュー……』
右手と右足、左手と左足を交互に動かし、可愛らしくも不気味な笑顔を浮かべている。気道が不完全なのか、喘息のような音を立てている。
『……ヒュヒュ……』
あれだけ苦労した間合いが、簡単に潰されてしまった。
「ぐっ……!」
裸の幼女から目も逸らせず、ぎこちなく後ずさる────〝最強〟とは、これほど矮小な存在だったのか。
そんな心を見透かしたように、幼女が声を発する。
『にじゅーろくねんせいのオスなのに、ヒュヒュ……』
この幼女────いや、白霊は油断している。〝神武が予測不能の行動に打って出る〟といったランダム性さえも考慮していない。1+1は2であるように〝2〟以外の可能性は考えていない。
たとえば猛獣、猛獣は腹が満たされていれば襲って来ない。腹が満ちた猛獣はどんなに頑張ろうと『腹が減った』とは思えないから。
理論では無く本能、人間より人間を知る生物が
100%殺されない擬態
を取った────だから100%、殺すことは出来ない。(声までも、あの時のままなのか……!)
化物は前に傾けた背を反らし、神武を覗き上げる。
『ワシ、せんにじゅーろくねんせいのメス……スゴイの』
そう言って首をかしげると、顔の右の三分の一ほどが黒髪で隠れ、代わりに左の耳が顕わになる。瞳孔は爬虫類のような輝きを放っている。
その〝絶対的強者〟に対し、神武は精一杯の虚勢を返す。
「せ、千年生きていることは知っている……知っているから此処へ来た……」
情けない自分の声を聞いた瞬間、『化物の言葉に耳を貸してはいけないのに────』という後悔が湧き上がった。
けれど、その感情も自覚に至る前に霧散する。化物が即座に放った声のせいで。
『ちがう。にじゅーろくと、せんにじゅーろく』
「……?」
数秒、思考停止した後、神武は眉をひそめる。
「なに?」
幼女は不気味に口角を上げる。
『この〝にじゅーろく〟と〝にじゅーろく〟がいっしょ……スゴイくない?』
神武は目を見開く。
(馬鹿だ……!)
幼女に擬態した為に、知能も幼女並に下がったのだろうか。
(いや、千年生きて得られたものが、恐るべき妖力と────)
確率を越えた本能への理解、そして幼女並の知能なのだ。
コイツは人間の姿をしていても、人間では無い。その成長は人間が千歳生きたものとは概念が異なる。
(いいや、おそらく人間も……)
人間だって、どれだけ生きても猿を脱することは無い。
何千年生きてもマウントが取れる相手はせいぜいラノベを読んでいるような中学生辺りまで。その中学生だって何千歳になってもゲームやアニメをやっている。
団塊老人が光ファイバーを嫌いテレビを好むのは〝テレビ〟こそが団塊の幼少期に普及された〝
テレビは
三つ子の魂永遠に────
「……────偶然だ。人間は数十年生きる、数十にひとつは二十六だ」
『そう……ナノ?』
神武の返答が不満だったのか、化物は視線を外して独り言を呟き始める。
『スゴイのに……わからんオス……スゴイのに……』
今度は、顔を隠す髪と見える耳が反対になった。
「ああ。スゴイよ、まったくスゴイ、ご苦労様だ────それを言う為に、その姿になったのか?」
神武は〝問答無用で切り捨てる〟ことは諦め、別の
幼女は変わらず会話を続ける。
『うぬ、二十六年生なのに、千二十六年生のわしに、一太刀入れたの』
その発音が外見相応に進歩した。
『スゴイ、スゴイくない?』
上目遣いに〝ジトリ〟と見つめ、両手を合わせる。
『見事、お見事、なの』
手を離しては合わせている。
音もほとんど鳴っていないが、おそらく拍手と〝同調圧力〟を掛けているのだろう。
「……」
白霊が、自分がスゴイと想うことをスゴイと想って欲しそうに、こちらを見ている。
スゴイとおもってあげますか?
はい
▶︎いいえ
「見事だと?」
不器用な拍手が止まる。
『ワシが二十六年生の頃と言ったら────こんなの』
幼女は親指と人差指で
「それは無い」
『────ッ!』
神武の否定に目を見開き、幼女は大きく一歩踏み出す。
『なんでっ!? こんなのじゃったのっ! うぬ、生まれておらぬから見たこと無いっ! ワシ、譲歩してるのにっ! 大きさ譲歩中、してるのにっ!』
神武は一歩後ずさり、顔を怪訝に歪める。
(コイツ、判っていない────おそらく自分が縮んだことを忘れ、縮尺を誤っている……)
人間だって、ハムスターの如き生物が互角の戦いを見せれば、スゴイと思うのかもしれない。話せる子猫がいるなら、話してみたいと思うのかもしれない。
その条件が、相手と同じ大きさになる危険な行為であっても。〝持っていてもしょうがない大切なもの〟を失うことであっても。
『……ヒュー……』
化物は、おそらく溜息を付き、天井を見上げる。
『ワシ、世界を見たいの。世界の端、見たこと無いの。人間さん……が、尾を突付いたの。滝があると思うの────ウザイの』
神武の顔がまた歪む。
(前後も成り立っていない、支離滅裂だ────ガイジか?)
したくもない会話をしてみれば、やはり意思疎通も出来ないと来た。
『ワシの子、バカだから、思うように動かないの。四聖、金魚の
(小小、此処へ通した黒蛇の擬態……なぜ奴の時だけ嫌そうな顔をする?)
『毎日、穴を掘る音、近くなる……もうすぐ
尾を突付く以上
が来るの』「────っ」
支離滅裂では
無い
。実際に今、誰かが白霊の〝根〟を攻撃したのだ。畑を耕していた農夫が
『うぬになら、守られたいと想ったの』
炎帝が忠を尽くす者────それは偶然にも、裏社会では〝最も安全な者〟という意味を持つ。
白霊がそこまで知っていたかは知らないが。
『うぬ、好きな人とかいるの?』
けれど、現行の炎帝は『そんな前時代的な風習などクソ食らえ』という性格で、只々惚れた女のために行動するナンパ男だ。
(馬鹿は、お前だよ────)
猛獣は腹が満たされていれば襲うことは出来ない。だが
腹が減れば
話は別だ。(時が経てば
決心
は固まる……斬れなかったのはさっきの話だ、化物めッ!!)もう、〝心の準備〟は済ませてある。