†花雪の悩み⑨† 妾に悩みなど存在せぬ
文字数 2,786文字
ユエは花雪を〝ジトリ〟と睨む。
「花雪……それ、絶対ワザと言ってるでしょ」
花雪は頬に指をあて、大袈裟に顔を傾ける。
「え~、一体なんのことじゃぁ~?」
「……何でも無い」
「はい、これ————」
リュックから
巻紙
を取り出し、卓袱台に乗せる。続けて備え付けの蝋燭に指をあて、炎孔で火を灯す。ぶち撒けられた仕事道具から匙を取り、シーリングワックスを乗せ、手早く炙って溶かしていく。
十日前と同じように
封蝋の準備を整えながら、ユエは言う。「護衛組合に提出する活動レポート。
封蝋お願い
」まるで中は確認せず、さっさと封じて欲しいかのように。
「……」
花雪は巻紙とユエを怪訝に見比べていたが、
『————っ!』
巻紙とユエの手首を掴み、匙を傾けさせる。
「えっ」
巻紙の端に封蝋用のシーリングワックスが垂れていく。
その行動にユエが目を丸くする中、花雪は印璽を握り締めた左腕を振り下ろす。
「でぇーーーいっ!」
力強く刻印し、同時に右手で『今日の日付』を記載していく。
「内容、確認するんじゃなかったの?」
涼しい声に対し、花雪は無愛想に返す。
「何を言っておるのじゃ? 妾には判りま
セーヌ川
」今朝方〝お前の上げる書類は直々にチェックしてやる〟と宣言したばかりなのに。
「もしかして、もう忘れたの……?」
花雪は高貴に微笑み返す。
「やはりお前は、妾を何ひとつ理解しておらぬ————」
「……!」
ユエは直感する。
(バレている……!)
花雪に『確認癖』を付けさせようとする、自分の目論見とイタズラが
全て
バレている。(どうして……私も米門も、勘付かれるような素振りはしていなかった……)
「フン、理由が知りたげな顔をしておるな————」
押し黙るユエに、花雪は高貴な声で言い放つ。
「妾はお前達が〝確認されたくないこと〟を確認したくなるのじゃ。お前達が〝確認して欲しいこと〟は確認したく
無くなる
故、目論見を看破できるのじゃ」ユエの目が少しだけ見開く。
(なんてこと……!)
ユエが驚いた点は、花雪が自分の目論見を看破したことでは無い。
花雪はこの巻紙を『確認したく無い』と
思ったから
〝ユエは何らかイタズラを仕掛けている〟と確信した、それに驚いている。(自分が確認したいと思うか、思わないか————たったそれだけの、勘で……?)
自分の直感にそこまで信頼を置いている者など超能力者くらいだ。
(いえ、そんなハズは無い。きっと私達の振る舞いに、私達が気付いていない癖がある……嘘を付く時にまばたきが多くなるとか……)
花雪は髪を掻き上げ、その手を頭の後ろから首へと滑らせ、その髪に縋るようなポーズで言い放つ。
「
妾のしたいようにするが成功の道
……天に愛されし美女に、悩める事など存在せぬのじゃ」ユエの顔が怪訝に変わる。
(それ、自分で言う……?)
「冗談じゃ。あの米門があっさり蜜書を焼いたのでオカシイと思っただけじゃ」
(え?)
その言葉に、ユエも違和感を感じる。
確か米門も言っていた。あの密書を焼いたのは、
いえ、自分では────
(あの炎孔は本当に花雪の……なのに、花雪自身はそれに気付いてなくて、でもその〝勘違い〟が企みを看破するに至らせた……?)
初心者が意図しない気孔を発現させる事は稀にある。
例えばテニスでも、フォームの出来ていない初心者の打った球が不規則な回転により、奇妙な跳ね方をしたり。確かにそれは〝もう一度やってみろ〟と言われても出来ることでは無いし、打った本人も言われない限りは気付かない。
だからと言って、ここまで偶然が重なるものだろうか。
「嗚呼……妾も平民のように、下らぬことで悩んでみたいものじゃ……悩みが無いとは悩みじゃのう」
ユエは不満気に言い返す。
「……なら、どうして
物忘れの酷いフリ
をするのか判らない」花雪はワザとらしく目を見開き、開けた口に手をあてる。
「ええ~~~っ! 妾は元々、記憶力が抜群ですがぁ~?」
ユエは観念したように溜息を付く。
「はあ……」
せっかくアレコレ考え、言っても聞かない花雪を上手く誘導したのに。
ユエはさっさと諦めると、リュックから読み掛けの書を取り出す。そして仕返しがてら『花雪の弱点』をボソリと呟く。
「だから花雪は、
良いお嫁さんになれない
」『————っ!』
花雪は急に卓袱台に突っ伏し、中華女離れした巨乳を〝ボヨン〟と持ち上げる。
「
「湯呑にはコースターを」
ユエはそう言いながら、茶托の上に花雪の湯呑を乗せる。
「うっ、うるさいんじゃ!! 妾は〝茶托を敷いてくれ〟とか言っておらぬし! お、お前が……周りが勝手に、妾を優遇するだけじゃし!」
花雪の言葉を無視するように、ユエはうつ伏せに寝転がり、座布団を引っ張って巨乳の下へ敷く。
そして書を読みながらボソリと続ける。
「何を怒っているの? 書類が濡れると思って敷いただけ」
「うっ……ぐ……!」
何者にも媚びず、何者の思い通りにもならない————それが『お高い女』であり貴族御令嬢というもの。首吊りを強制された楊貴妃など所詮は下流だ。
けれど楊貴妃が不幸な末路を辿った原因とは、皆が楊貴妃を優遇し『嫉妬と反感』を買ったから。
〝楊貴妃の生まれ変わり〟と名高い花雪も、自身が見下す楊貴妃と同じ道筋を辿る可能性は高い。花雪はそれに本能的な恐怖を抱いている。
その花雪が恐れる言葉で、ユエは追撃を行う。
「
ハニートラッパー
」「そっ……それは禁句じゃぞ!? 禁句と言ったハズじゃし!! 禁句と言ったんじゃぞ!?」
花雪は癇癪を起こし、シーリングワックスの乗った匙を剣のように振る。
ユエは素早く座布団を掲げてガードしつつ、
「ちょっと……蝋を飛ばさないで、書に掛かる。私にもアナタにも」
眼鏡の奥の瞳で〝ジトリ〟と睨み返す。
「超、うるっさいんじゃッ!! お前は黙って書を読んでおれ! この陰キャめ! チー牛め!」
「書は静かに読みたい」
花雪は巨乳を乱暴に卓袱台に乗せ、仕事を再開する。ユエは座布団を裏返して敷き、読書を再開する————
橋を掛ける公共事業は『国作り』の始まり。無限の利益を生み出す運送業はそんなことさえ可能にしてしまう。
行商によって輸送された物は、同じ重さの
ただし二人の女子は、
なぜ行商がそれほどの利益を生むのか
、理解しているつもりでも、理解していない。◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「え~っ! どーしよっかなぁ~~~っ!」
盗賊から護衛に転向した二十歳の女は、もじもじと勿体ぶっている。
相対する爽やかな男は、低く落ち着いた声で続ける。
『出発の時から目付けてたんだ。今夜は酒盛りでもして、楽しい夜を過ごそうぜ————?』
久しぶりに、『ナンパ』をされているのだ。