†蘭州の渡し場にて†
文字数 3,681文字
殺し合いでも始まりそうな雰囲気————と思うと、棟梁は一歩引き〝怖い怖い〟と言うように手を上げる。
『家畜の交換を
余ってるから
大割引だ』花雪の顔が怪訝に歪む。
「……なんじゃって?」
行商中は
怪我、病気、体力面といった理由の他、平地は馬、砂漠は駱駝、湿地は水牛など環境相性が異なり、それらも地域で質の違いまであるからだ。
そのため多くの農家は副業として『馬屋』を営み、それらがレンタカー業者の如く『馬レンタルネットワーク』を築いている。ある
けれど、花雪隊のような大規模キャラバンともなると、一括交換可能な家畜を保有する馬屋も少ない。そのため道中で少量ずつ、家畜の交換を行わねばならない。
『お前さん達、ずっと
替えの家畜
が足りてなかっただろ。此処まで駱駝を引っ張ってるんだ。事情は察してるぜ』「その通りじゃ。田舎者共が貧相な馬屋を経営しておるせいでな」
もしも、此岸で全輸送動物を乗り捨て、彼岸で新しい輸送動物に乗り換える事が可能なら、渡河させるのは『積荷』と『人』だけで済む。
けれど、蘭州沿岸の家畜数は少ない。よって毎回、多くの輸送動物も渡河させている。
最近では特大船を使っても二往復、三往復することも増え、予備を卸すことまで考えていたところだ。
「しかし────農家と提携しておったとは初耳じゃが?」
『この間、一本化
してやったのよ
。ついでに規模を拡大してる最中だ』「貧相だけに、
買収
も容易か」『
お陰様
で』蘭州でも様々な勢力がしのぎを削っている。この渡船
更に、この棟梁は〝花雪隊は今後も規模を拡大していくだろう〟と読み、
(妾の利益に食い込むべく、吸収した酪農事業を拡張させた————いや、始めからそのつもりで買収したか……)
その棟梁は左手を右頬にあて、内緒話のように呟く。
『
富とは流れるもの。
その流れに上手く乗った棟梁は、満面の笑みで営業トークを行う。
『なっ、俺と御嬢様のよしみだろ? この辺りは飼料が良うございますから、家畜も皆んな壮健でございまするよ~っ!』
「それは、黄河が澄んでおった頃の話じゃろう……土方によしみなど、妾は毛頭持たぬわ!」
黄河は以前は澄んだ川であったが、森林伐採で土砂が流れ込み『黄色い河』となった────とは言うが、そもそも澄んでいた時期があったのか、中華の歴史はアテにならない。
それでも二十一世紀のように工業排水が流れ込んでいる訳でもなく〝作物が悪い〟というのは花雪の勝手なイメージである。かと言って、良い訳でも無いが。
棟梁は反論せずに続ける。
『じゃあ、馬だ! ウチはモンゴルの強ぇ種馬をあてがってございまして、しかもこの辺りは飼料が良うございますから、馬も皆んな壮健で————』
「ええい、もう判ったのじゃ!」
「あるだけ替えてやる、これで文句はあるまいな!」
花雪は要求を飲む。
棟梁は手を組み、首を振る。
『おお……文句などあろうハズがございません————さすが〝美少女牙長〟は、器が違うってな!』
「慣れぬ〝おべっか〟なぞ使うでない。薄気味悪い……」
〝女は若く言ってやると喜ぶ〟とは言うが、十八歳に『美少女』は言われる方が困る。
花雪は溜息を付くと、改めて棟梁を睨む。
「よいか、これ以上渡し代を上げれば、二度と此処を使わぬぞ……!」
棟梁は変わらず満面の笑みで答える。
『おうよっ! 渡し代は上がるが、家畜は安く済むようになる。アンタらの出費は変わらんし、ウチは家畜を買ってもらえる————』
そう言って、右手を差し出す。
『これは懸命な取引だ』
「それで商売が上手いつもりか……」
花雪は不愛想にその手を掴み────つまりは握手を交わすと、髪をなびかせ振り返る。
スラリと伸びた足で桟橋をウォーキングしながら、スラリと伸びた腕を振るう。
「
損が出ないよう
調整してくれるそうじゃ」秘書は素早く規律正しい
『
家畜の渡河数が減れば、渡し代は『節約』出来る。
その分を見越した
渡し代の値上げ。〝家畜が余っている
〟というのも方便。花雪隊に合わせて増やしたのだ。結果、渡船ギルドは渡河業務に加え、花雪隊の蘭州一帯での家畜換装を格安で引き受ける。花雪隊の出費は変わらない。
渡船組合は、お得意様である花雪隊との『提携拡大』に成功したのだ。
花雪は秘書とすれ違い際、もうひとつ指示を残す。
「妾は宿に戻る。ユエと別件の会議をせねばならぬ」
『搬入はお任せを————』
秘書は声色を体育会系に変え、部下に叫ぶ。
『
同じく体育会系の返事が響く。
『『
統制の取れた後ろ姿を見送り、棟梁は一息付く。
『ふうー……相変わらず、スゴイ剣幕だぜ……』
『棟梁────っ!』
肩の布で汗を拭いていると若い部下が声を掛ける。
『花雪嬢、了承したンスか? めっちゃ怒ってましたけど』
棟梁はこめかみを搔き、疲れた声を返す。
『ああ、損は無ェんだ。あれは社交辞令のようなもんだろ』
『良かったッスねぇ……お嬢が飲んでくれなきゃ、首括るトコだったじゃないスか』
『うるせぇ、
そこもちゃんと考えてあらぁ
』若い部下は、花雪のスラリとした後ろ姿を眺める。
『でも、羨ましッスよ。あの美人さんに、あんな顔近付けられて〝ガーッ〟と……』
棟梁は自慢気に頬を指す。
『ふふ……あんまり近くで叫ぶもんだから、顔に唾を掛けられちまった』
『うっわ! 棟梁、それ……逆に羨ましッス』
『逆に、じゃない。
普通に
良いんだ————俺はあの子と無駄話がしたくて、ついつい要らん値を上げてしまうのかもしれん』部下の顔が歪む。
『うっわ! 棟梁、それ……フッツーにキッショイス』
『只の巨乳美人じゃねぇ、オーラが違げぇのよ。さすがは美少女貴族ってな』
しみじみ語る棟梁に、からかうように言う。
『とーりょーに、オーラとか判るんスかぁ~? 少女って感じじゃないでしょ、アレ』
『馬鹿野郎────ッ! 俺はなァ、あの哲宗様にもお目通りした事があんだぞッ!』
『怒鳴る』という行為も、オヤジと美女では意味合いは変わる。
『うっわ! 棟梁、それ……フッツーに嘘松ッスわ。引くんスけど』
『うるせぇ、若造ッ! 油売ってねぇで帳簿準備しろィッ!』
『シャッシャ~~~ッス……』
棟梁が部下を追い返すと、米門は丁寧な声を掛ける。
『棟梁様、具体的な頭数をご確認頂きたいのですが————』
棟梁の態度も一変する。
『あー、ハイハイ、米門さん……今後ともお世話になります』
『先程は、我が長がご無礼を……私も苦労しておりまして』
『とんでもない、お気持ちお察ししますよ————
良い所
もね?』憎めない笑顔に、米門は苦笑いを返す。
『お互い、女運に難アリという事で……それで、貸し出し可能な頭数なのですが』
『はいはい。えっとね────あれ、何頭だったっけ!?』
棟梁は川岸に向かって叫ぶ。
『おぉーーーい、若造ォーーーッ!! 何頭だったっけェーーーッ!?』
部下は面倒そうに叫び返す。
『百十頭ォォォーーーッス! 〝御嬢ならこの倍でも買ってくれる〟って、自分で言ってたでしょォッ!?』
『余計なこと口走ってんじゃねぇッ!!』
棟梁の口調が切り替わる。
『百十ですね。順次増やしてく予定でして、その辺も覚えといて頂けたら────業務拡大にも都度、ご対応しますんで』
米門は懐から紙を取り出し、すり合わせを行う。
『ええと……全て馬で、よろしかったでしょうか?』
『ええ、ええ。馬以外も居るんですけど、そちらの数は据え置きで……
何をするにも
馬が一番ですから』蘭州は戦争最前線である。膠着が解け、戦争が再開すれば『軍馬』の需要が高まる。むしろ蘭州に馬を揃えておくことで〝これを使って一発侵略してやろう〟と思う軍官も出て
くれる
かもしれない。皆が納めた税金は必ず『人』が受け取っており、それは例外無く〝皆が納めた税金をせしめてやろう〟と動く『売国奴』が受け取っている。
社会保障費など、どの国でも、どの歴史でも似たようなもの。社会保障費は食費と同じく、国家にとって必要経費────にも関わらず、一般市民は生活保護など、社会保障費にばかり文句を垂れる。
そう仕向けておけば
都合が良いからだ。『米門さん、今夜、泊まってかれますよね? 良かったら────どうです? 地元人しか知らない穴場教えますよ? 御令嬢のお話なんか聞かせてもらえたら……』
ここ蘭州は、表面上は行商人にも寛容だが、キナ臭い者の多い、信用ならない土地である。
『是非とも。
儲けに繋がりそうな話
も沢山ありますよ』