†忘れ物は、忘れて初めて忘れ物†
文字数 4,558文字
『護衛達ーーーッ!! 盗賊に負けんなよーーーッ!!』
喧嘩を売るような言葉
に、呂晶は〝ガン〟を飛ばす。「……あァ?」
広場の市民達が笑顔で手を振っている。建物の窓や屋上からもだ。
『元気な顔で戻ってこいよーーーっ!』
呂晶は呆れたように手を広げる。
「オイオイオイ……ここはローマの凱旋道か?」
名が知れることを恐れてきた自分とは正反対の扱いだ。
すぐ前を征くウェイが振り返り様に言う。
「そりゃそうだ。
行
が沢山あるからな」『行』とは商業組合のようなもの。それが〝沢山出資している〟という事は、ねずみのテーマパークのおかげで潤っている千葉県のような状態である。
ウェイは自分に言い聞かせるように続ける。
「あの子達は皆の期待を背負った————ちょっとしたヒーローなんだよ」
花雪象印商隊とは、ウェイの夢にとって一つの解答例。
呂晶はそれに吐き捨てるように返す。
「何がヒーローだ。一皮剥けば金の亡者だろ」
ウェイは眉間をつまんで首を振る。
「また、お前は……そういう事を言う……」
「そんでもってお前らは、国の誇りを売り飛ばし異文化を持ち込む、悪の尖兵って訳だ」
呂晶の言ったこの台詞は昨今、行商人を嫌う一派が叫んでいるスローガンである。
商売人とは古代から『人の足元を見る卑しい職業』とされている。花雪隊も敦煌では歓迎されているが、行商人が物価を変動させれば破産する者も出るし、『昨今の
近隣にジャスコが建設されて得をする企業もあれば、潰れる商店街もあるというもの。
ウェイは前を向きながら言う。
「お前はホント、都合良い時だけ〝国の誇り〟とか言うよなァ……」
とは言え、呂晶もこの商隊の人気に嫉妬し、どこかで聞いた言葉で罵っただけだ。この女はそんな大層な志など持ち合わせていない。
「何言ってる。アタシは困ってる民がいれば、もう————すぐ助けちゃう女だ」
そう言って、思い付いたように辺りを見回す。
「今も困ってる民がいないか探してる。逆に困ってる民がいないと困るレベルだ」
「ああ、そいつはレベル高けぇよな」
「ああ、高いんだ。アタシは困ってる民を助けるレベル99なんだ」
呂晶は手をプラプラと振り、長い商隊の前から後ろを指差す。
「で、どんくらい掛かんの、コレ? ちんたら歩きやがってさ……」
「予定通りなら七日だ」
「はぁっ!? 七日ァッ!?」
呂晶が今日一番の驚きを見せる。そして慌てた様子で続ける。
「嘘でしょ、だって……長安までで!? アタシなら二日もあれば————っ!」
ウェイは呆れたように言う。
「お前のは馬を潰すまで走らせて、替え馬も潰して、最後は
巫舞
で全力疾走した場合だろ。仲間内で記録を狙うのとは違うんだ」結盟・真夜中の旅団では『長距離競馬レース』や『長距離指名手配ごっこ』といった旅行イベントをよく行っている————
それは数日を掛けて行うスリリングなゲームであり、馬を潰さず素早く移動する訓練、潜伏者を発見する訓練、もしくは逃亡する訓練などを兼ね、優勝者には賞品が贈呈される。
前回開催された競馬レースでは、あえて馬を温存せず『最後は自分で走る』という趣旨を台無しにする奇策により呂晶が優勝した。抗議する仲間達に言い放った一言は〝卑怯とは言うまいね〟である。
「商隊には牛やラクダもいるんだ。それに歩幅を合わせなきゃならん」
呂晶はウェイの説教にも上の空で、何やら呟いている。
「七日……そ、そんなに……」
「花雪さんも寒月さんも、往復してる連中は一日二日しか休んでない。タクラマカンの分隊なんてもっと厳しいんだぞ。カタギはこうやって毎日働くんだ」
「ウェ、ウェイぃ……」
(ぎくり————)
しおらしく名を呼ばれた。嫌な予感がする。
「ア、アタシ……そんなに掛かると思ってなくて……かっ、替えの下着……持ってきてないぃ……」
呂晶が吐き出した言葉に、
「なぁ~~~にぃ~~~っ!?」
ウェイの顔は怪訝を通り越した、歌舞伎役者のようになる。
「ど、ど、ど、どうしよう……も、もう出発しちゃった……」
呂晶の顔は焦燥を通り越し、泣きそうになっている。ウェイにはその理由が判らない。
(判らねぇ……それがどれほど深刻な事態なのか、よく判らねぇ……)
プライベートの旅行なら『下着くらいコンビニで買えばいい』と、大して気にもしないような事。けれど修学旅行に然り、団体旅行での『忘れ物』とは、何故かこの世の終わりのように感じてしまうものだ。
「どっ……どうしよぉぉぉ……っ!!」
(うわ……コイツの形相のせいで、俺まで気分悪くなってきた……)
呂晶の焦りが伝播したのか、ウェイも火急の指示を飛ばす。
「……じゃあ、今すぐ調達して来なさい————ッ!! すぐ追い付けば大丈夫だからッ!!」
引率の先生のような指示に、呂晶はますます慌てふためく。
「今からァ!? で、で、でも……サイズとか、デザインとか……」
ウェイは得体の知れないイラつきを感じながらも指示を続ける。
「いいか、呂晶! 野宿は三日が二回、途中で一、二度町に入る! 下着なんて三日分もありゃ事足りるんだ!!」
「えっ……早い! もう一回言って!?」
「うるせぇ!! 呉服屋はあっちだ!! 飯は出るからオヤツはいらねェ!! とにかく行け行け行け行けェッ!! モタモタすんなァーーーッ!!」
無理にでも動かす為か、戦場のような勢いだ。
「あっ……アイヤーッ!! わかったアルーーーッ!!」
そう言って進行方向とは逆方向に駆け出した呂晶に、商隊の者達は何事かと視線を集める。
(クッソォ……七日もありやがるなんてぇぇぇ……! 聞いてねェんだよ、そんなの!!)
ウェイもその後姿を見送る。
(まったくあの女は……生理中じゃなかったのか?)
駆ける呂晶を、修学旅行で忘れ物をしてしまった時のような得体の知れない羞恥心が襲う。
(なんだコレ、なんだコレェ……なんかスッゲー恥ずかしいぞォッ!!)
長い長い、蛇のような隊列。
(クソッ!! このクソ、どんだけ長げェんだよ!? 向こう側、行けねェじゃねェかよッ!!)
すれ違う全員が、次々と自分に注目する。
『どうした、姉ちゃーん!
下着でも忘れたかァ
?』『そんな訳無いだろ。催したんだよ、察してやれ』
『ぎゃははっ! いるよな、遠足の時に腹壊す奴!』
中には冷ややかな声を浴びせる者も。
(ちきしょう、ちきしょう、商人の癖にィ……! 今の奴等、顔覚えたぞ————ッ!!)
今まで獲物と見下してきた者達に見下されるような気持ち。焦る心を加速させる、万里の長城のように長い隊列。
(もう、行商なんか行きたくない————っ!!)
自分の失態ではあるが、どんどん憎しみが込み上がる。
「このままフケて、黒服に着替えて……今の奴等をぶっ殺————」
ついに物騒なことを考え始めた矢先、知った声が掛けられる。
「呂晶っ!? 呂晶~~~! ここよ~~~っ!」
同じ結盟の
(先生っ!? そうだ、先生も来てたんだった……)
呂晶は馬を止めて反転、しばし遊珊と歩調を合わせる。
「どうしたのよ、そんなに慌てて?」
遊珊が心配した声を掛けると、
「がっ……替え゛の下着……忘れぢゃっだの……だがら、今がら……調達っ、しでぐる……ぐすっ、うぇ……」
呂晶は泣きそうになっていた。
「まあ、可哀想に……私余分に持って来てるから、貸してあげるわよ」
「えっ、いいの!?」
呂晶の顔が〝ぱあっ〟と明るくなる。
「勿論よ。貸し借りなんて皆んなしてるもの。それに私、輜重班なの————他にも色々融通効かせられるのよ?」
遊珊が可愛らしくガッツポーズすると、
「せっ、先生ぇ~~~っ!!」
呂晶は馬から身を乗り出し、遊珊に抱き付く。
(アンタって人は……アンタって人は……本当に……っ!!)
動転した人間には、些細な優しさが神の慈悲のように映るものだ。
「あらあら、この子ったら————よしよし」
遊珊はそう言って、呂晶の頭を撫でて落ち着かせる。
〝お前は下着如きでどうしてそんなに動転しているんだ?〟と言う状況においても、遊珊は全てを理解してくれる。
(先生……良い匂い……あっ……ダメ……)
一方、いつも気を張り詰めた性格で、訳も判らず動転し、訳も判らぬ状態で、慣れない優しさを与えられた特殊性癖を持つ呂晶は、
(なっ、撫でられただけで……イカ、され……)
ビクン、ビクン————
何が何やら判らぬその様子を、後方の隊員達も怪訝に眺める。
『おい、〝輜重の遊珊〟が抱き付かれてるぞ?』
『まあ……女同士なら、抱きついても犯罪じゃないからな』
無駄話をしている所へ、横の隊員も割って入る。
『テメェ————ッ!! あの子、遊珊って名前なのか? 彼氏いんのか?』
『あァ? 確か、いないって話だ』
『お前、告るつもりならやめとけ。今まで何人もフラレてる。お前の1.5倍も稼いでる商人が、だ』
『判んねーぞ、チャンスは七日もあるんだからな……あっ、オレ、自由時間でなんか買って渡そう……』
『なあ、抱き付いてる女、白目剥いてるぞ? あれは抱き付いてるんじゃなくて、発作か何かじゃないか?』
近くの女性隊員が二人、無駄話に加わる。
『ちょっと男子ィ、騙され過ぎじゃねぇ~?』
『あの子、絶対ヤリマンだよ。私アンタらより詳しいんだから』
言われた隊員が血相を変えて睨み返す。
『おい、ブス————ッ!! 遊珊嬢はな、そんな安い女じゃねんだよ!』
『ひっど……! この商隊ってさ、お金は良いけど、こういうの嫌だよね……』
『ねぇ~、男多いし』
『お前、さっきまで名前も知らなかっただろ……』
行商はそのほとんどが、ただ進むだけのツマラナイ仕事。その様相は社員旅行のようでもある。
一方、遊珊は呂晶の
ツボ
を的確なタッチで捉えながら思考を巡らせている。(掴むのは胃袋ではない————物資を制する者が、全てを制す)
女とは原始時代より『男が持ち帰った獲物をいかに周囲の反発を生まず独占するか』という戦略に心血を注いできた生き物だ。
依存、共感、嘘、噂、身体、それらを駆使し、それとは判らぬ行動を取りながら、強かに目標を達成する。
(この子は単純だから簡単なのよね……いつも気を張り詰めているから、好きな相手が出来ると運命だと信じ込み、とことん、とことん、のめり込んでしまうのよね……?)
強さとは武術や経済力だけでは無い。遊珊は文字通り、女の武器を使って戦う女だ。
(成都高級装飾具店、呂礼屋のお嬢様————もうすぐ、私無しではいられない身体になっちゃうわね……?)
京兆府長安、遊楽街一丁目、遊郭。
それは国内の重鎮から国外の政治的賓客までを相手し、癒やすべく、国中から集められた遊女の精鋭達が凌ぎを削る女のコロシアム。かつてナンバーワンに君臨せし女王は、呂晶が秘密にしている出自も当然のように知っている。
(大企業の娘、大商人、富豪の出資者、大臣家御令嬢……この行商という世界には、権力者が溢れている)
女の本能を体現した女は、薄く笑う。
(私にとっては、格好の餌場————)
多くの者の思惑を乗せ、その積荷は長きシルクロードを征く。