†花雪の悩み①† 氷柱と茘枝
文字数 2,182文字
学校の休み時間、机に突っ伏していると聞こえて来る、中庭ではしゃぐ女子の声────そんな何を言っているかも判らない距離。
それでも四日目ともなれば、この後起こる惨事も予想できる。
『右……整……』
『右翼……! 整列……!』
『右翼中列ゥッ!! さっさと整列せんかァ!!』
各列の班長を経由し、
まるで商隊全員から叱られている気分になる。
「アイアイヤー(アイアイサー)……」
呂晶は面倒そうに馬の手綱を左へ引く。
(膨らんだら何だってんだよ……こんな国境近くで襲う賊がいるか。ポイントがあんだよ、ポイントが……!)
地を這う者には判り難いが、高台の花雪からは隊の乱れは明白。
後続が釣られれば芋づる式に列は乱れ、砂煙で視界も悪くなる。そこを数十人規模の盗賊に襲われたらひとたまりも無い————
といった定型文が返されるのだろう。この『
(数十人規模の盗賊が、今もいりゃあな────)
右翼と言えど、その翼を羽ばたかせてはならないのだ。
(何が〝血湧き肉躍る大規模戦〟だ……この三日、襲撃のひとつもねェ。マジ終わってんなァ、今の賊……)
前を征くウェイが振り返り、声を掛ける。
「よう、気分はどうだ————?」
呂晶はダルさの極みのような声を返す。
「干からびて股も濡れねェ……アソコに
「はは、俺には分からん冗談だな」
ウェイの苦笑いに、呂晶は大袈裟に手を広げる。
「これはね、女ってのは
感じると股が濡れる
生き物なんだけど、汗に水分を取られちまって今、氷柱を刺したら色々キモチイイだろうな
————っていうジョークなの」ウェイも大袈裟に手を広げる。
「それは分かってる! 俺は童貞じゃねぇ!」
呂晶は駄々をこねるように身体を振る。
「魔法使いはいねーのかァー……アーシのアソコを濡らした奴には、童貞を卒業するチャンスをやんぞォー……」
「濡れんで良い、そのまま干からびてろ」
悪態を付くウェイに、呂晶はジトリと言い返す。
「違う」
ウェイは怪訝に振り返る。
「何が違うって?」
「女ってのは、馬に乗ってれば勝手に濡れるもんなんだ。バレないようにこっそりオナってる奴もいる。恥ずかしいから誰も言わないだけだ」
ウェイはそわそわと周りの女を見回す。
「マ、マジか……ご、ごくりんこ」
すぐ隣に一人いるのに。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
花雪象印商隊、先頭————
「あァー……暑いんじゃァー……」
戦象に揺られる
ピンポン球ほどのその果物は、象の皮膚のような皮を纏い、外見からは想像できないような白く瑞々しい中身が顔を出す。
花雪はそれを咥えると、おしゃぶりのようにもごつかせる。
「アイアー……相変ふぁらふ、不味いんふぁ……」
かつて楊貴妃が好んだ
本来のライチは葡萄の酸味を爽やかにしたような、透き通る甘さが特徴なのだが、
「この、やはらと植物的な風味はどうにふぁならぬのふぁ……茎でふぉ齧ってう気分ふぁ……農家ふぁ手を抜いてふぉうおも思えふひ……」
〝行商中にも出来る商売は沢山ある〟と、農業投資の一環で、河西回廊で幾つか作物を栽培させてみた。
上手くいった作物もあるが、自分が好きなライチはダメだった。
ライチは亜熱帯気候で栽培される作物であり、この辺りでは上手く育たない。
〝食べていれば解決策も思い付くだろう〟と思っていたが、もはや在庫を腐らせない作業に成り果てている。
(いっそ〝謎の噛み煙草〟として売り出そうかのぅ……)
そんな事を考えながら、十八歳の女子は年相応の瞳を空に向ける。
「忌々しい太陽め……妾の許可無く輝きおって……」
雪のような肌の花雪は、日焼けをしない体質である。
日に焼けても黒くならず、次の日赤くなる。メラニン色素が少ないためだ。
「日傘は腕が疲れるしのぉ……日除けでも付けさせるかのぉ……」
すると右下から、涼しい声が投げられる。
「日除けを作るなら、素材や重量を考えなければならない────視界も悪くなる」
花雪はそちらを見ずに返す。
「ああ、そうじゃった……確か、それでやめたのじゃったな」
並走するユエが続ける。
「前にも言ったけれど、そういう思考のループは効率が悪い。どうでも良い事も、メモしておかなければダメ」
花雪はツンと左上を向く。
「フン、
もう言わぬから
メモなど要らぬし」「
前もそう言っていた
から、言っているの」花雪は右下を睨み、ムスリと言う。
「妾はそのようなこと言っておらぬ」
「言っていた」
ユエも譲らぬ構えだ。
「……」
花雪はしばし睨んだ後、高らかに腕を広げる。
「〝妾が言っていた〟なぞという証拠は存在せぬし? 証拠なき事の証明は叶わぬ、それが司法というものじゃ」
そう言って右手は右下に、左手は大きな胸に乗せる。
「証拠なき意見が対立せし時、陰キャのお前より、カリスマ性を放つ妾が支持を集める。たとえ妾が屁をこいたとしても、お前がした事になってしまう————そうは思わぬかのう、
世間知らずの優等生様
?」政治家の娘らしい、堂々とした開き直り。
同じく政治家の娘のユエはポーチをまさぐり、一枚の紙を取り出す。
「……?」
世間知らずの優等生が、不愛想に掲げたそれが、
「ぬっ!?」
花雪の高貴な笑みを崩す。