†中世中華のお風呂事情④† アムウェイ女
文字数 4,085文字
石鹸は腐らないよ。腐るような石鹸は石鹸じゃないからさ。
————安部公房
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
『長安に到着した後、
ラッピング
するんです』「ああ、そゆことね」
昨今の宋では印刷技術の発展が目覚ましい。長安に到着後は『地中海やキルギスっぽい
『最後に、受け皿用の砂岩を付けて————それでようやく卸す感じですね』
「砂岩……溶けないように?」
『ですです』
混ぜもの石鹸の弱点は水に濡れると溶けやすくなること。砂岩は吸湿性が良いため少しは石鹸を長持ちさせる。石に石鹸を置くとは風流ではあるが、宋は砂岩の産地であり、やはりこれも二束三文で手に入る。
それにしても、宋で印刷した紙に包み、宋で採った砂岩を付けて〝西方石鹸〟とは、これ如何にと言うものだ。
「シャカルは洗浄力が強いから混ぜ物で薄めて、オリーブは洗浄力が弱いから混ぜ物で高める……」
『そうです。そんな感じです』
「ふたつは似た物になるし、なんなら二つを混ぜても良い。シャカルかオリーブかの違いは〝匂い〟と〝ラッピング〟が決める————」
『ええ、まあ……』
元の面影などとうに無くなっているが、人は実際の良し悪しより分かり易い部分に惹かれるものだ。
けれど、それでも、
「それでも、
原材料は西方から輸入されてる
」『はい。関所で配布される
糞と見紛う石鹸Aを関所Aに通し、証明書を受け取る。それを多少加工した石鹸Bを〝これは
石鹸A
だ、関所Aの証明書もある〟と主張して関所Bに通し、証明書を受け取る。それを多少加工した石鹸Cを〝これは石鹸A
だ、関所Aと関所Bの証明書もある〟と主張して関所Cに通し、また証明書を受け取る————敦煌を過ぎる頃には本来の石鹸Aを知る者もいない。あとはやりたい放題だ。
そうして別物になった物体を宋首都圏で〝これは
西方の石鹸A
だ〟と言って販売する。各地で得た証明書もそのまま『貴重な西方産』という『西方
高級
品』を輸送すれば関税料も膨大となるが、こちらは所詮ただの石鹸、関税料もやはり二束三文。それでも最後には高級品価格
で販売される。本物の高級品を販売するより、二束三文の物を高級品と偽って販売する方が儲けは大きくなるのだ。『西方産』とは値段を数百倍、数千倍に高める空虚なラベル。おまけに水増しもやり放題、たとえ原材料の割合が数パーセントであろうと成分分析など出来はしない————
本来の『関所』とは関税を納める煩わしい場所だが、花雪はそれを利用し『関税以上の付加価値』を生み出している。丹精込めて作った現地民を冒涜するような商品だが、商人とは須らく『価値の無い物の価値を如何に高めるか』という嘘に心血を捧げる者達である。
『あの……絶対、言わないで下さいね?』
美鈴が釘を刺すと、呂晶は眉を八の字にした、絶対言いふらしそうな笑顔で返す。
「だいじょぶ、だいじょぶ~~~っ! ぜったい言わな~~~いっ!」
花雪が訴訟を起こされる理由も、このような者達が企業秘密を漏らしてしまうからだ。
美鈴は泡だらけの手を動かし、身振り手振りで説明する。
『花雪隊長の指示と言ったら、もう早業で。〝これは妾の肌に合わぬ、こっちは洗った気がせぬ、現地で職人を調達して鋳直せ〟って……寒月副長とちょっと話して、何処かの
これ
になってました』「そうなんだぁー、ウケるぅー」
呂晶は他愛ない返事をしつつ、『花雪』という人間のバックボーンに想いを馳せる。
(原材料、流通、販売まで思い通りにしなきゃ気が済まないらしい……まあ、貴族ってのはそういう連中だけど)
商売には多方面への知識と、時々に合わせて統合する応用力が求められる。一度石鹸を使っただけでこの体勢を構築した花雪の先見性と行動力は目を見張る。
そして材料調達、流通、販売までを一手に担っているという事————それは花雪が手掛ける事業が『行商だけでは無い』という事を意味している。
(御令嬢は商隊の長じゃなく、本当は
牙行とは複合企業のようなもの。商隊の長ごときでやたら偉そうな理由は『貴族だから』と思っていたが、貴族家とは無関係に、実際にかなり偉いポジションにいる。
(だから行商中にも会議して、宋に着いたら次の行商までに各部門にも指示出して————ホントに女か? そういや、ガタイも男っぽいもんな……)
そんなことを考えていると、美鈴の明るい声が割って入る。
『職人さんも花雪
様
にインスピレーションを受けて、花の形をした石鹸? なんかを作ってるそうです!』呂晶は顔を怪訝に歪める。
(コイツ……今、花雪〝様〟つったか? キンモー……)
『でもそっちの販売は見送られちゃって……脆くて行商に向きませんし、私も使うのが勿体無いって思っちゃうって言うか……あっ! プルプルした水入り石鹸も試作中で、そっちは〝一回使ってみたいかな~〟なんて思ったりも————』
「そうなんだーっ! 美鈴ちゃん、詳しいねーっ!」
呂晶が明るく返答すると、美鈴は照れたように笑う。
『あはは……輜重班って
「そんなこと無いし~っ!」
呂晶は『その一文字』を、信じられないほど悪く解釈する。
(〝呂晶さん
も
〟って何だテメェ……美鈴は真っ白な泡を掬い上げ、溜息を漏らす。
『行商って大変な仕事ですけど……こういうの使ってると〝ここに入って良かった~〟って思うんですよね』
呂晶は『可哀想な人を見る目』で言う。
「そんなの、
美鈴は〝信じられない〟という顔で返す。
『ええ~~~っ! でも~~~っ! 結構
これ
目当てで参加してる女の子、多いんですよ~っ!?』輸送中の商品には破損、浸水、汚れによって価値を落とす物がある。それら
こういった配慮のおかげか花雪隊では女隊員の離隊率が低い。危険な行商に女が気軽に参加できるのも『安全神話』あっての事だが。
(一方では徹底的に節約させる割に、一方では博打みたいな投資も惜しまない……御令嬢と眼鏡の性格の違いか?)
呂晶は身体を洗いながあら考察を続ける。
(いいや。節約も投資もやってるのは御令嬢の方……眼鏡はそれを手伝ってるだけ————)
花雪の事業に『違和感』を感じる。
(そもそも阿呆みたいに投資出来る財力があるなら、金儲けに興味なんて無いだろ————
欲しい物が別にあって
、それと引き換えに牙行を成長させてる
って感じだ……)『トレーディングカードが欲しくてアルバイトする』なら判る。だが花雪の展開する事業は『トレーディングカード会社』を作りながらも〝良いカードゲームを提供したい〟といった志がある訳でも無く、〝『
何か
』を得るのにトレーディングカード会社が都合が良かっただけ〟かのようだ。それも、かなり急ピッチで『何か』に向かっている。
(単純にママゴトだとしても……ママゴトってのは、
楽しみがあるから
やるもんだろ?)『急ピッチで向かっている』と断定する理由には、もっと大きな疑問が関係している。
(牙行のオーナーなら、どうして
商隊の指揮なんか執ってる
? いくら行商が金になるって言っても死なない保障なんて無い
んだぞ? 牙行の会長ってのは普通、部下に任せて自分は屋敷でふんぞり返ってるもんだろ……)全てを持って生まれたような貴族が『命懸け』になるほど欲しい物とは、一体何だと言うのか。
(いや、待て————わざわざ
自分で牙行を興した
のか? そもそも貴族家の娘は商売なんてしないし、させてもらえない。大抵は有力政治家に嫁がされるもんだ……親に反抗して、家出するみたいに牙行を立ち上げて……だから所詮はママゴトの延長で……でも家出のような曖昧な理由じゃなく、何か明確な目的に急いで向かってる……うーん……)すると、身体を洗っている美鈴が恨めしそうに呟く。
『私もこういうの使ってれば、花雪様みたいに白くなるかなぁ……————西方の人って、ビックリするほど白い人いますよねぇ。花雪様も、ご先祖に西方人がいるんですかねぇ~?』
絶世の美女が間近にいる職場では、何かと気になる事も多い。
呂晶はその言葉でハタと気付く。
(……だからこの雌、やたらと〝コレ〟を勧めてやがったのか)
CMもインターネットも無いこの時代、宣伝とはもっぱら『人伝いのステマ』だ。美鈴のような女隊員が各所で嬉しそうに紹介するだけで
この石鹸も『友好の印』として渡されたが、渡した美鈴が花雪に対して心酔しているのは明らか。つまり美鈴は、自社商品が値段相応の物では無いと知りながら知人に勧める、いわゆる『アムウェイ女』である。
そうで無くとも、楊貴妃のように美しい花雪が使っていれば全ての女は使いたがる。花雪は自分が気に入る物を求めるだけで勝手に売れる。宣伝面においてもイージーモード。
これらが『たかが石鹸が一般軍人の月給に相当する』に至ったカラクリである。
呂晶はやや巻き舌気味に返答する。
「なに言ってん
ろ
~っ! 美鈴ちゃんはぁ、そんなの気にしなくてもぉ、十分可愛いおぉ~っ!」『えーーーっ!? ぜんぜん全然っ! 私なんか、全っ……然ですからっ! お二人の方が、なんっ……百倍も可愛いですからっ!!』
美鈴は両手を広げ、左右の二人へぶんぶんと振る。湯を浴びたせいか顔は真っ赤だ。
呂晶はその様子に冷笑する。
(ウッケんだけど……ちょっと褒めたら調子に乗りやがる。雌はからかい甲斐があるよ)
キョロキョロする美鈴の視線に『ある物』が映る。
『あの————それって、
戦闘の傷ですか
?』