†行商と失敗のプロローグ† 取り過ぎを恐れる本能
文字数 2,138文字
女の友情なんて、紙っペラより薄いもんだろが────
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(戦象てのは戦う象、寿命は極端に短い消耗品だ)
花雪はそれを鈎で刺さなかった。腹で叩いた。
(剣で斬ってもビクともしねェんだぞ? それを慈しむってことは〝アレはハリボテ〟て言ってるようなもんだ)
『動物虐待への忌避感』これは人間なら誰もが持つ本能。
この本能を持たない民族は獲物を取り過ぎ、イースター島のように食糧が無くなって死んだ。そのため現代に生きる人間は、誰しもこの本能を持っている。
(道具としても見れてない、って事は────)
そういった人間の『危機回避本能』が最大限の警報を鳴らす世界が、行商だ。
まずは思想を強制的にでも曲げ、要らない本能を自分で捻じ伏せなければならない。そうして出来上がった人間性から、ようやく成すべき事が見える。
呂晶も温室育ちの小娘であり、最初から人でなしだった訳では無い。だから動物への所作ひとつで判ることがある。
(アイツは死人を出した事を悔いる〝アマちゃん〟だ)
あの小娘は、戦象という『道具』の摩耗をケチっている。
(なぜ、死人を出したことを悔いるのか────〝自分も死ぬかもしれない〟ていう現実を見たくないんだろ?)
〝積荷は人の命より重い〟そう部下に厳命し、その実、自分に言い聞かせている。
(なぜ、自分はそれに気付かせないようにするのか────気付けば恐くて前に進めないからだろ?)
あの花雪という小娘は、雪のような冷徹さを纏っては見えるが、中身は以外なほど普通。
(この隊列も、戦いを想定した物じゃない。目的は
数の威光による戦闘回避
)『安全神話』とは優生に付随した実績ではない。たまたま上手く行っているに過ぎない、スリルを味わうだけのママゴト。
(この隊商は大層成功してるんだろうよ。でも、アタシはそれより優生だ。この隊商だって上回れる……なのに……!)
花雪と寒月は、大抵の貴族御令嬢がそうであるように家のしがらみに縛られている。
そして、大抵の貴族御令嬢がそうであるように〝自由に生きたい〟という目標の下、この行商隊を立ち上げた。特殊な立場ではあるが、特殊な者の中では至って普通────呂晶が偉そうに導き出した結論はほぼ当たっている。
同時に呂晶はこの時、
致命的な勘違い
を犯した。「……」
花雪の右に付くユエは、馬上から後方を一瞥し、その視線を象上に向ける。
(花雪、今回は新人が多い……整列が終わるまで待って)
傍目には判らない『アイコンタクト』を受け、花雪は全隊に命令する。
「出発じゃあ────ッ!!」
「ちょ……っ!」
ユエが目を丸くし、抗議する声を、各班長の復唱が掻き消す。
『出発ゥーーーッ!!』
『出発ーー!』
『出発……』
先頭から後方へ、花雪の命令が次々に、リレーのように伝達される。
同時、後方でざわめきが起こる。
『もう出発かよ!?』
『おい、俺はどうすりゃ良い!?』
『慣れない者は、進みながら指示を請えー--っ! この商隊はお前達の為に止まったりはせんぞ!!』
『マジかよ……大分ブラックな商隊らしい』
不敗の安全神話を誇る花雪象印商隊が、その長い身体の蛇行を開始する。
ユエは歳相応に不貞腐れた顔を象上に向ける。
「……」
花雪は前を向いたまま、不満の視線に答える。
「どうした、言いたい事は言わねば
三分の一も伝わらぬぞ
?」呂晶の犯した致命的な勘違い────二人は只の『お友達』では無い。
性格も特技も正反対ながら、二人で一つを成す連携能力は
双子の域
に達している。「〝部下に慕われる上司でいたい〟……呆れて物も言えな
かった
」「フフ、名演技であったろう?」
「助けてあげたのは私」
慎重を重ねた商隊の性質は『絶対に失敗できない二人の立場』を表している。
この行商事業は遥か大きな『目標』の為に遂行されており、その達成まで、一度の失敗さえも許されないから。
「この商隊も長いものになったな────ユエよ」
「〝そういう時だから慎重に〟と
言った
の。花雪は楽観的だから」「お前がそう
言うた
から出発させたのじゃ。お前は悲観的じゃから」「私が悲観的である事と、整列を完了していない隊を出発させる事は関係が無い」
「関係あったら〝嫌がらせ〟にならぬもん」
「嫌がらせをする意味の無い所で嫌がらせをする意味が判らない」
「じゃから、意味があったら嫌がらせじゃないじゃろう」
「こうなるから口を聞きたくなかった」
「じゃから言うておろう。〝言いたい事は言わねば三分の一も────〟」
「もう黙って。民衆が見てる」
羌族と漢族の戦争により衰退の一途を辿っていた砂漠都市、敦煌。
この都市は最近、ある行商隊のおかげで経済を立て直し、かつての繁栄を取り戻しつつある。
『花雪商隊ィーーーッ! がんばれよォーーー!』
『いってらっしゃーい! また来てねーーー!』
その行商隊は民衆に見送られ、送元二使安西で有名な『陽関』ではなく、彼女達がもたらした財で新設された『新しい南門』から出立する。
(家の財力、偶像としての偽りの尊敬、使える物は何でも使ってやろう。踏んで士気が上がれば安いものじゃ)
その栄光の門出の中、呂晶はひとり空を見上げる。
(アーシ……こんなとこで、何やってんのかな————)