†伍† 難攻不落の固定砲台
文字数 4,482文字
人はみんな死ぬ————しかし、当分は私の番ではない。
ハイデッガー
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
この場に最もそぐわない、武器の代わりに短い『杖』を携えた少女。
足が悪い訳でも、巡礼者という訳でも無い。杖は少女の武器であり、夢を叶える道具だ。
「焦るな────お前以外に、奴の首は落とせはしないよ」
「ですが、
お猿様
達が……っ!」ヴァリキエはヘレンをなだめつつ、素早く周囲に目を配らせる。
周囲と言っても自身の周りではなく、戦場全体、今の攻撃の被害確認、石化術を放った白霊本体の消耗、それらが及ぼす戦況変化と陣形変化を一瞬で把握する。
いつ何処から弩で狙撃される判らない戦場を渡り歩いてきた歴戦の騎士の癖なのだろう。
(立て直しは人間の方が早い。やはり【サクリ】と同質の自爆系統
ヘレンの差別的言動を無視し、後ろに控えた緩いポニーテールでグリーンの瞳、淑やかで
「ルシラは監視を継続。奴があの構えを取ればまた合図しろ」
ルシラは本当に只の『夫人』という様相で、兵士と言うより〝高級従軍慰安婦〟と言われた方がしっくりくる佇まいだ。
「作戦に変更は無い。全員、
続けざまの命令に、残りの三人が応答する。
そしてヴァリキエは、小さく悪態をつく。
「ちっ……返事くらい統一しろ」
一方、イエンとウェイは白兵戦を開始する。
徘徊している甲殻型はウェイよりも背が高く、太さも横綱級だ。
「コイツら、強いぞ……! 上の階より
それでも全長の半分程度。
背後に回り込むように近付き、後ろを向こうとすると、地を這う下半身に巻き付かれる。かと言って後ろを向かねば、取り付かれて頭を噛み砕かれる。
腕のあるせいで人と戦っている気がするのに、人とは違う動きが頭を混乱させる。
その子供が振るう、巨大な腕爪────イエンはそれを前転で躱し、
「つぇりゃアアアアッ!!」
関節部に剣を滑らせる————が、切断には至らない。
「ちぃ……!」
吹き出た体液は肌に付着すると火傷のように爛れる。眼に入れば洗い流してもしばらく回復しない。おそらくシアン化合物が混合されているのだろうが、この時代にそんな用語はクソの役にも立たず、とにかく非道く厄介な相手────
その相手が、千切れ掛けた腕を力任せに振るう。
「ぐっ……!? うが────ッ!!」
まるで、馬車に撥ねられたような衝撃────予想外の攻撃に吹っ飛ばされ、受けた盾を手放してしまう。
後ろへ一回転し、剣の柄と両足で着地する。
盾が落ちる〝ガラン〟という音が響くと、腕の痛みを噛み潰すように、青白く輝く右眼で悪態を付く。
「……化物風情が……ッ!」
子供は追撃を掛けようと即座に蛇行するが、
『『 ————っ! 』』
滑ったように転倒し、ひっくり返った。
蛇が転倒とは珍しい。イエンが斬撃に込めた『氷孔』が体表を凍結させたからだ。
【氷系氣孔】
氣功家の特殊な脳波を空間に干渉させ、時空
加速
を引き起こす。時空が加速しても光速度は不変であり物理法則は基準のみが先行する。光速が亜光速にランクダウンし、クーロンポテンシャル障壁が上昇、ドップラー冷却効果が起こり、常温常圧がアイス・セカンドを形成する。
【氷功】氷刃系列 第四結 氷雲訣
多量の氷孔を斬撃で送り込む。物質内部には通りが悪く、表面を駆け巡り発現し易い。
生まれて初めての氷にたじろく、子供の無防備な喉元へ、ウェイは問答無用に『炎を纏った槍』を振り下ろす。
「シッ────!」
穂先が焦げ付く音を立ててめり込み、黒い煙が噴出する。こちらも切断には遠い。
(
俳句のようなことを想い、歯を食い縛る。
「ぎっ……!」
ウェイの瞳がオレイカルコスの結界のように輝く。
槍の炎が勢いを増し、レーザーのような『炎刃』を形成する。
『『 ————ッ!! 』』
野太い首が地面ごと消し飛び、黒煙に汚色が混じる。
【炎系氣孔】
氣功家の特殊な脳波を空間に干渉させ、時空
減速
を引き起こす。時間の断熱圧縮効果により本来、空間が持たない熱エネルギーを得る。
【炎功】炎刃系列 第四陣 火魂陣
指向性を高めた炎孔で
『……っ! ……っ!』
首ナシの子供が打ち上げられた魚のように躍動している。魚と同じで放っておけば死ぬだろう。
こうやって焼き切ると血液が飛散しないのが利点だ。今のは勢いが良すぎてけっこう飛散したが。
一匹仕留めたウェイは、槍を抜くと同時に叫ぶ。
「イエン、盾で受けるな! なるべくスカせ!」
イエンも身軽になった身体で剣を振り、叫び返す。
「だから〝盾など要らん〟と言ったのだ!」
二人が焦るのも無理は無い。本当の脅威は白霊の足元を固めている方。
アレの放つ気功は直撃すればマスタードガス並の威力があり、避けても破裂拡散し『催涙スプレー』のような効果を発揮する。あちらも上階より強力となると、一対一で勝てるかも怪しい。
そしてもっと問題は、此処まで疲弊し、気孔の残りが少ないこと────
限界を示す頭痛が始まっている。
「よいしょ……よいしょ……! しっかり……せよ……!」
そんな戦場で、花雪はチラチラと白霊を見上げながら、負傷者を引っ張り後退している。
石化した者は重くて動かせなかったので、子供にやられた生存者を優先して後退させる。
『すまない……油断して……爪を……』
「まったくじゃ……! 妾は、召使いでは……無いのじゃ————ぞォッ!?」
その負傷者の腹を破り、『触手』のようなものが飛び出す。
『ぐぎゃああああぁッ!! ……あっ……あっ……!』
「きゃぁあああ!!」
悲鳴を上げて後ずさる。
赤黒く染まった先端は、三又の剣のような形状────何かに既視感を覚える。
(これ……どこかで……)
触手に合わせていた焦点を『望遠』に合わせる。
触手がボヤけた代わりに鮮明になる本陣、女型達、白霊の下半身を覆う
地面に突っ込まれている
。花雪は再び、触手に焦点を合わせる。
(地中を……潜って……!?)
白霊の裳が揺れると、触手が魚のように跳ね、
『お゛っ……!』
貫いた腹の中に引っ込んでいった。あの一本だけは『根』では無い。神経の通った本物の『尾』だ。
『ぉ゛……ぁ゛……っ』
花雪は負傷者に目を落とし、また白霊を見上げる。
相変わらず無表情で
こちらも見てもいない
。「ひぃぃぃ……っ!」
今度は身体ごと下を向き、細長い首を左右へ振る。
「
踏みしめていた大地が、世界が、急に恐ろしくなる。
モデルのような美脚を内股で震わせる以外、何も出来ない。
舞が得意な自分が当然と思っていた『立って歩く』という行為────それは、それが出来るだけで皆が称賛し、喝采を送ってくれる────そんな、とても難しいことだったように思う。
転生などしなくても、異世界は気軽に行ける
その辺
に転がっている。「そいつはもういい、別の奴を!」
ウェイの声に、花雪は呆然とした瞳を返す。
「もう、いい……じゃと……?」
自分が助けようとしていた、
元
要救助者に目を落とす。『……っ……っ……』
「まだ、生きておるが……?」
骨も内臓もズタズタにされては、程なくショック死する。それでも、それまで脳は機能する。
死に至る傷を受け、死に至る最後の時間————その者は一体何を悔い、何を想うのだろうか。
それとも〝早く死にたい〟という想いに支配されたまま、脳は機能を停止していくのだろうか。
「……────何も良くないわ!」
花雪は吹っ切るように歩み出す。余裕が無いのは生きている者も同じだ。
『……っ…………』
上方の白霊、周囲の子供に気を取られていると地面から飛び出す尾に刺し殺される。強引で強力な立体的布陣。作戦などではどうしようもないレベル。そもそも作戦を立てようにも、隊を越えた連携が不可能な『理由』がある────
イエンは悔しさを噛みしめるように進言する。
「ウェイ、もはや討伐などと言わず、撤退を考えるべきだ……! 臆してはいないぞ!? 投擲兵器だのを用意すべく、戦略的撤退をだな……」
ウェイも同じ顔で返答する。
「だから〝出口が無い〟と言われただろう……っ!」
「な……っ」
イエンは〝聞いてない〟と言わんばかりに口を開ける。
「じゃあ、何か!? 俺達は蜜を求める蝶の如くヤツの巣へ
花雪を警護しながらユエが返答する。
「その例えは
ユエも同じ顔になる。
「ここまで上手く行き過ぎてた……〝早く降りなきゃ〟って、退路なんて考えてもいなかった……」
考えるどころか、蹴りで押し込んだ。
イエンは眼帯では無い方の眼を、左翼の戦場に向ける。
「クソッ……ッ! あの異邦人共は、何故ああも淡々としていられる……!」
こんな狂った戦場なのに、ローマチームの飄々さときたら頼もしくさえある。
得体の知れぬ、チャラチャラした不埒者────認めたくは無かったが、ついに世界最先進国の実力と
国力
を痛感させられる。長らく
そう、全ては『あの一件』を引き起こした、あの放蕩娘が————
「……そう言えば、アイツはどこ行った?」
「奴ならあそこだ」
指を差そうとしたイエンの手が止まる。
「奴は、正気か……?」
ウェイはイエンの肩に手を置き、励ましの言葉を贈る。
「そういや、お前にはまだ言ってなかったな。アイツは正気じゃ無い————で、見たくも無いが、何処に居るって?」
「あそこだ。スゴイ数に追われて……」
指差された先────そこには戦場を軽やかに放蕩し、子供の後頭部を矛で
ぶっ叩き回っている
女がいた。別の者と戦っている子供にまで、ピンポンダッシュのようにちょっかいを出し、半自動追尾する子供の習性を利用し
自分を追わせている
。もはや甲殻型はひとつの群れを成し────いや、群れを成させて何がしたい。〝此処にいる蛇全部、私のもの!〟とでも主張しているのか。あんな数に轢かれたら一瞬で八つ裂きにされ、ミンチにされる。
「待て────そっちは!」
イエンの制止も虚しく、放蕩娘はダッシュの勢いそのまま
ローマチームに向かって
跳躍する。高いのか低いのかよく判らない、つんざくような声で叫ぶ。
「