†中世中華のお風呂事情③† シャカル石鹸
文字数 2,553文字
「……シャカル
美鈴は一層明るい声を出す。
『珍しいですよ~っ!? 私のはオリーブの石鹸です! 平民の私達には、ちょーっと手が届かない代物ですよねっ!』
(一緒にすんな……! 平民はテメーだけなんだよ!)
美鈴と遊珊が使っているのは地中海のオリーブと海藻から作られた植物石鹸。呂晶が使っているのは世界の屋根・パミール高原に住むキルギス民が丹精込めて作ったアルカリ性の高いシャカル石鹸だ。
花雪商隊は中華女性の大好物、西方の化粧品や美容品を商っている。長らく需要を満たされずにいたジャンルだが、性と美を追求する中華女性の心を捉え、今では富裕層の妻、娘に大流行するに至った。
すると女だけで無く、プレゼントや献上品として男も金に糸目を付けず買い漁るようになる。今では申し訳ない値段どころか、石鹸ひとつが一般軍人のひと月の給料に相当するという、呆れた値段にまで暴騰している。
(石鹸如き、ウチの蔵にも腐るほどあるっての————)
こういった美容品の卸先の一つが、呂晶の実家であるブランド店『呂礼屋』である。
その呂晶は手拭いに包まれた石鹸に違和感を感じる。
(いや、こんなだったか……?)
整った長方形、
「てかさ、
具体的に何が違うの
?」『えっと……匂い、とかですかね?』
女が『良い』『お気に入り』などと言いながら使っている物への禁句が〝具体的に何が優れてるの?〟である————
女のあらゆる基準は『流行っているかどうか』が100%を占めるため、その良さを聞いても『プラシーボ効果やん』と思う解答しか返らない。
日頃から周りとの同化に励んでいる癖に、都合の良い時は『個性』『人それぞれ』などと、やはり右へ倣えで〝ブヒブヒ〟叫び、空気のように嘘吐く
しかし、美鈴が言葉を濁した理由はそれとは少し違う。
「ちょっと、美鈴ちゃんの貸して?」
『あ……はい、どうぞ』
呂晶はおもむろに『オリーブと海藻の石鹸』をペロリと舐める。
『ちょっ……呂晶さん!?』
「ん~、ぺっ!」
続けて『シャカル石鹸』も舐め、ニヤリと笑う。
「これ、
同じ物でしょ
」『あー……』
(もう、どうでも良いじゃない……そんな事)
遊珊が面倒に思う中、美鈴はバツが悪そうに切り出す。
『あの、どうしてそう思ったんですか?』
「どっちも甘くて
本場
と違うから……ゔぉえっ!」自分で舐めておいて
『その……絶対、誰にも言わないで欲しいんですけど……』
美鈴が切り出した途端、呂晶は満面の笑みで相槌する。
「言わない、言わな~いっ! アタシ口堅いんだよ~っ!」
女の〝誰にも言わないで欲しい〟とは『自分がバラした事だけは』という点が100%を占め、守秘義務を守って欲しい訳では無い。そして『女の口の堅さ』とは『漏洩源が判らないようにバラす能力』を示すパラメータ。
これらの暗黙の了解により、必然的に『バラしたのは誰か判らないが皆知っている』という事態が起こる。
『最初に花雪会長が使ったそうなんですけど、お肌に合わなかったそうで————一度、加工してから輸送するようになったんです』
呂晶の笑顔が冷めたものに変わる。
「ああ、御令嬢のお気に召さなかったワケね……」
『天然石鹸』とは基本的に灰と油を混ぜて固めたものだ。
シャカル石鹸はヨモギなど薬草灰を
オリーブ石鹸はオリーブ油の『保湿成分』が女性ウケするが洗浄力としては頼り無い。普通に洗った後にオリーブ油を塗った方が良いし、産地のローマ帝国民達もそうしている。
千年後でもそうであるように、二つはそれだけでは『高級ブランド品』には届かないのだ。
『二つとも仕入れ値はすっごく安いんですけど、量が限られてて……』
これらは現地において二束三文のガラクタであり買うのに金すら必要無い。家畜の一匹でも渡せば喜んであるだけを渡してくれる。
ただし手作り品であるため、大量生産品とは違って得られる量が少ない。
「てコトは、敦煌辺りで一回溶かして……
色々混ぜてる
感じか」『はい————あっ、もちろん配合比なんかは違いますよっ!』
花雪隊では輸入石鹸を敦煌で溶かし『混ぜ物』を加えて性能を補っているのだ。ダンボール肉まんよろしく中華のお家芸の『水増し』である。
石鹸とは所詮、灰と油を混ぜた物。水増しはいくらでも出来るし、本場のそれは誰も知らない。
「敦煌なら胡麻油か大豆油、泡立ちに重曹————」
重曹は塩湖から取れる内陸塩。ラー麺に添加する
敦煌を擁する西夏は内陸塩の産地であり、政府が塩を専売している宋よりも安く手に入る。とは言えこの西夏産の塩でさえ、宋に輸入すれば高級品だが。
「あとはハチミツと着色料。でもって香料って所じゃない?」
『そう、なんですかね……? 呂晶さん、よく判りますね』
「石鹸て、草とかヤシから作るんだよ? 花みたいな匂いがすれば何か混ぜてることは判る」
天然石鹸は、石油から作る合成石鹸に比べて不純物が多く、臭みがある。
よって、シャカル石鹸はハーブで臭みを消し、ミルクやハチミツで『良い匂い』を付け直す。オリーブ石鹸には地中海を彷彿させるラベンダーやハッカ、柑橘系の香料を加える。
「見た目もこんな綺麗な色じゃないよ。牛のウンコみたいな感じ」
『えっ、そうなんですか?』
「そうだよ~、うんこうんこ」
天然石鹸は鍋や釜で煮立てて作る。出来たては泥団子のような見た目になり、売り物の場合は四角くカットして見場を良くするが、それでは廃棄する部分が出てしまう。
そのため一度溶かしてから型で鋳直し、その工程で重曹、香料、着色料、オパールのように美しい彩りを付加する寸法。
そして乾燥地帯の敦煌は、こういった石鹸加工に適する地域だ。
『それでですね。実はまだ、
これ
も完成じゃなくて……』「完成じゃない?」
美鈴の言葉に、呂晶は怪訝な顔を向ける。