このクソにまみれた、世界と自分
文字数 3,795文字
父母への恩を捨てたなら、汝の友となる者はいないだろう。
-ソクラテス-
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「……」
即答しない呂晶を、ウェイは黙って待つ。
「……」
究極の二択に〝親〟を使った事には理由がある────何より〝仲間〟が大切なのは頭領たる自分だけだから。どれだけ大切に思っても、利益が共通しなければ彼らは残酷に離れていく、もう慣れたことだ。
自分にとっての仲間と、仲間にとっての仲間は少し違う。頭領である以上、その仲間の気持ちさえ理解してやらねばならない。よって〝呂晶の大切な者〟には仲間では無く、親が妥当だと想った。呂晶が以前、『親は何だかんだ反対しながら自分の旅を応援してくれている』そう言っていたことを覚えていたからだ。
もしその親ですら『大切で無い』と言うのなら、あとはもう────大切な物が〝自分自身〟しか残らない。
(お前は、俺も、親も────〝世界〟を敵に回しちまうんだぞ……?)
バツが悪そうな笑顔で、呂晶は返答する。
「
「うーん……」
判らない。
「お前の考えは、ちょっとおかしいな……」
これだけ判ろうとしてるのに、こいつの気持ちが何も判らない。
「〝誰かの為に生きろ〟なんて言わんさ。言っても、笑われるだろうからな……」
なぜ、殺したくない親を犠牲にするのか。
なぜ、自分さえ犠牲にする道を選ぶのか。
「でもなぁ、呂晶────……」
なぜ、そんな『難しいけど頑張ってみる』と言うような顔をするのか。
「
お前の為にならない事
を、お前がする意味なんて無いだろう
ッ!?」どんな価値観を持とうと、それは人の自由だ。価値観は人それぞれだ。
それでも
コレ
だけは止めさせなければならない。「お前には違うんだろうよッ! でも俺にとっては、お前だって————……ッ!」
やはり、先回りで解答される。
「アタシは嘘を付きたくないんだ。このクソにまみれた、世界と自分に」
「……っ!」
コイツだって────コイツだって、何にも替えられない仲間なのに。
「ユエさんだけじゃねぇ……! お前だって、仙人みてぇだ……!」
『自分の親を殺さない』と言って、誰が『嘘吐き』と咎めるのか。〝自分自身すら大切で無い〟なんて、絶対にやめさせるべきだ────そう思っても、やはり先回りされる。
「
自分の意に反すること
が、アタシの意なんだよ
」ウェイはキレたように形相を変える。
「なんだよ、そりゃあ————ッ! 頭の中にご主人様でも住んでんのか!? お前はソイツの奴隷かよ!」
「それ良いな。アタシの
新たな〝真理〟でも得てしまったような。ウェイとは反対の態度が、益々ウェイの気持ちを逆撫でる。
「おかしい……やっぱり、お前はおかしいぞッ!!」
「なにキレてんだよ、ッゼーなァ……」
「思い浮かべてみろ! 親を殺した、お前の姿を————ッ!!」
キレたようにでは無い、キレている。
「薬でラリッて! フラフラ母親をブッた斬ってッ お前は血みどろでヘラヘラ笑って————……ッ」
「笑いながら、
涙を流している
ハズだッ!!!!」周りの者達が、物騒なことを叫ぶウェイに注目する。
当のウェイこそがその情景を想像し、キレながら泣きそうになっている。
「オイオイオイ……親を殺して力が手に入るワケが無いだろ?」
ウェイの口がゆっくり開く。
「……────は?」
呂晶は面倒そうに指を立て、『ここテストに出るぞ』とばかりにレクチャーする。
「誰も力なんか与えちゃくれない。最初に言っただろ、
なった気がするだけ
って————自分で辿り着くのが、真理だ」「……」
知能レベルが離れた者同士では、会話は成立しない。
呂晶の知能レベルではほとんどの者と会話は成立しない。どちらが上で、どちらが下かは判らないが————呂晶は〝自分が一番上〟だと思っている。
「じゃあ、仮定の話……冗談か? 親も殺しちまう、てのは……」
「当たり前だ。こういうのを〝思考実験〟って言うんだ。マジで言ってんならお前ヤベーぞ? 周りの奴らも今、そういう目でお前を見てる」
つまり、呂晶は上から目線で〝教えてあげていた〟だけだったのだ。
今、教えてあげたのに感謝もしないウェイに対し『なんて失礼な偽善者だ』とさえ思っている。
「でも、よ……殺しちまうんだろ? 本当に、最強の力が手に入るんなら……」
「蛤ァ? 普通なら何人殺しても手に入らねぇんだぞ? 娘がそれを手に入れんなら、ウチの親だって本望だろ」
「……」
答えを知っているのだから
、そもそも議論の余地など無い
。〝一歩も譲る気が無い〟とはこういう事であり、よく女性の好みに挙げられる〝何事にも自分の考えを持っている人〟とは、実際はこういった、とても面倒な者である。
「……────ああ、くでぇッ! くでぇーんだよ、お前はいつもッ!」
ウェイは偏屈なメンヘラに呆れ果てる。
「お前はいっつもそうだ、人間てのはな、楽しく生きてりゃそれで良いってのによ、はは……」
安心した途端、笑いがこみ上げて来るが、
「はは……ホントに、お前は……?」
同時に今までの会話が、まるで、大きめの彗星の表面に転がっている岩と話していたかのように思い起こされる。
(あれ? 俺、安心して笑ってんのに────不安も無ぇが、何も面白くもねぇ……)
〝親殺しのパラドックス〟というものがある。
思考実験内で、現実の自分が容認するハズの無い親殺しを空想する。みんな、みんな、空想で親を殺す。なのに全くヤバイと思わない。何も感じない。ウェイの迫った〝究極の二択〟も同じく思考実験だ。そもそも本当に過去に戻れるなら、やるのは親殺しでは無く、自分の恥や悔いの上塗りをするものだ────けれど呂晶は〝それ〟を真剣に悩んだ。
呂晶の言う『思考実験』『仮定』『マジで言ってるとヤバイ』とは〝本当に最強の力が与えられるとと思ってるならヤバイぞ〟という事。〝親を殺すこと〟については、真剣に悩んでいた。きっと人間としての自分の本能が親殺しの邪魔をするだろう────どうすればそれを克服し、本能を忌避しつつ親殺しを達成できるかを、本気で悩んでいた。
『もしも過去に戻って親を殺したら、架空の自分はどうなるだろうか?』ではないのだ。
『
架空の自分を実現させる
には、どうやって親を殺せば良いか?』と悩んでいるのだ。既に半分、人間の思考から逸脱しているのだ。ウェイが半ば安心した理由も、呂晶に人間らしい部分を見出したからではない。
人間と喋っている気がしないから
だ。草木に悩みを打ち明けても、誰も恥ずかしいと思わないように。その考えに至る前に、ウェイは呂晶に起きた異変に気付き、思考がそちらに移る。
「おい、大丈夫か……?」
顔色が悪い。俯き、短く弱く呼吸し、ほとんど前も見れていない。
そう言えば、ずっと自分を見ずに話していた。
ウェイは周りを見回し、ようやくその事実に気付く。
(そういや、コイツいつも……)
今回はウェイに誘われ、
たまたま
商人側に付いていた。けれど呂晶はこの場所で、いつもあの盗賊と同じように待ち伏せ、あの盗賊と同じように商人を襲撃していた————ああなっていたのが自分であっても、何も不思議は無かったのだ。
その呂晶は不機嫌の極みのような目だけを向ける。
「何がだよ、そんなに〝か弱い女〟と思ってくれてんのか……?」
ウェイは少し考え、皮肉を返す。
「どうやら、余計な心配しちまったようだな」
冗談が言える内は大丈夫だろう。しつこく聞いても逆効果だ────ウェイはそう思っているが、呂晶が顔色を悪くした理由は、盗賊の死に様を自分に重ねたからではない。
「……」
呂晶は幼少から頭の良い子供だった。不意な〝災害〟に見舞われ、見知らぬ土地に一人で降り立った時も、子供ながらに自力で帰還方法を発見し、腕を斬られる危険を顧みず実行した。
普通なら〝そういうものだ〟と割り切るような事————そんな事すらあらゆる角度から追求し、根源的な部分にまで想いを
馳せてしまう
。辿り着いた世界の真理。二十歳になっても精神が成熟していない呂晶にとって、それは残酷なことばかり────神仏の一切は創作であると、とうに〝結論〟も出してしまっている。他の者が
それでも辿り着いてしまったからには、その真実に殉じなければならない。他の道は全て間違いだから、自分の高い知能がそう言っているのだから。
けれど、四六時中そんな事を考えていては身が持たない。辛くて耐えられない。だから修練し、身体を動かすことで思考が逡巡するのを防ぐ。異性でも同性でも、強姦をしてでも快楽に逃げる。麻薬で自分の脳をイジメ抜き、高い知能を低くする。精神安定剤などあるハズも無い時代、阿片とは呂晶にとっては精神を保つ薬なのだ。
(見たことも無ぇ矢数だった……見てから避けられる距離でも、あんなの喰らえばおしまいだ……!)
だが、呂晶の体調が悪いのは、それらも関係しているが、それらともあまり関係は無い————単なる寝不足である。
(緊張も殺気も無く放たれる……ああいう〝数撃ちゃ当たれ〟の矢が、実際一番避け辛いんだよ————)