†花雪の悩み②† スタンプラリー
文字数 4,626文字
お前は誰じゃ、さっきの奴は誰じゃ、なぜ顔を隠すように書を読んでおる。
————そんなに一度に聞かれても、判らない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ユエが掲げる紙には『二行の文言』が書かれている。
「花雪は……日除けの搭載を……?」
〝花雪は日除けの搭載を三度悩み、三度却下した〟
〝『四度目は無いから要らぬ』と言い、わたし寒月のメモの勧めを却下した〟
花雪は元々大きな目を更に大きく〝ぎょっ〟と見開く。
「そ……っ!?」
それはまるで〝証拠無き意見が対立せし
今日
〟を見越して書かれたような、メモのお手本を示すメモ────にも関わらず、花雪はすぐに冷静さを取り戻す。「────……そんなものは捏造じゃ。そうに決まっておる。妾の記憶には無きことじゃ」
反論されたユエは即座に手首を返し、紙の裏面を見せ付ける。
「……?」
「これは
十日前
、酉の刻に書かれた文書」ユエの言う通り、裏面には〝十日前の日付〟が記載され、それを証明するような〝真っ赤なスタンプ〟が押されている。
それを見た花雪は、優雅に髪を払って言い返す。
「フン、そんな日付なぞ
いくらでも偽造できる
というものじゃ────」花雪の言う通り〝十日前の日付〟が記載されているだけでは、この文書が〝十日前に書かれた〟という証明にはならない。今日書いたメモに十日前の日付を加えれば良いだけだ。
たかがメモに〝捏造だ〟とケチ付ける花雪の人間性も疑われるべきものだが、ともあれ花雪の〝偽造の可能性の指摘〟により、このメモの〝証拠としての信頼性〟は薄れてしまった。
すると、ユエは『絶対そう言うと思った』とばかりに〝真っ赤なスタンプ〟の方を指差す。
「この押印は〝白塔山〟のもの。
私達が十日前に宿泊した旅館
」その
それは河西回廊の中心にある観光名所でもあり、二人が十日前に宿泊し、
本日も宿泊予定の
老舗旅館である。花雪達は河西回廊を定期往復しているため同じ旅館にも定期的に宿泊する。そして印刷技術の発展により、昨今の高級旅館にはこのような『記念スタンプ』が置かれているのが常だ。つまり、この〝白塔山天源温泉大酒のスタンプ〟とは、ユエが掲げているメモが〝十日前に作成された〟と示すに十分な証拠になるのである。
そんな十分な証拠を突き付けられても花雪は、
「じゃから言うておる────
偽造は可能
じゃ」と、高飛車な態度を崩しもしない。
「偽造を疑うなら、このあと押印を鑑定してみたら?
偶然にも
今夜泊まる旅館に実物がある」ユエの〝偶然にも〟という台詞は嫌味だ。
「フッ、その手には乗らぬわ————」
花雪は観念するどころか余裕の笑みを浮かべる。
「押印を偽造せずとも
押印した白紙
を持ち帰っておれば、いつでも、今しがたでも偽造は可能じゃ」ユエは『絶対そう言うと思った』とばかりに、再度、スタンプを指差す。
「この押印は
日付の上
に押されている。この文書が十日前に書かれた証拠になる」「む……」
これは『花雪は偽造の可能性を指摘して来るだろう』と読んでいたユエが仕掛けた〝トラップカード〟
その効果とは、まず相手に『偽造の主張』を行わせ、その主張を打ち破ることで
証拠の信憑性を確定させる
というもの。成功すれば『本物を提示したのに偽造の濡れ衣まで着せられた』という新たな糾弾材料も得られる。まるでファールをもらいながらゴールを決める、バスケットカウント・ワンスロー論法————なのだが、「いーや、ならぬな。あくまで
日付と押印が
十日前というだけじゃ」花雪は、やはり高飛車な態度を崩さない。
「え……?」
ユエは自分が掲げた紙を見直し、自分の『ミス』に気付く。
「あっ……」
〝押印とは文書を書いた
後
に押すもの〟これが判子文化圏の共通認識である。十日前の日付と押印があれば『この文書は十日前に作成されたのだろう』と思ってしまうが、実際には文書を書く
前
にだって押印はできる。つまり、前もって日付と押印のされた白紙を持ち歩いておき、あとは好きな時、好きな文面を書き加え『これは十日前に作成した文書です』と言って突き付ける────占い師やペテン師が使う常套手段であり、花雪の言う通り、この方法なら偽造は可能である。
「確かに、その方法を使えば日付と押印は本物のまま、文書だけを偽造できる……文言の上にも押印しまくっておけば良かった……」
ユエが仕掛けた〝トラップカード〟とは、一見、証拠能力が乏しそうな証拠を提示するのが反論を誘うコツであり、そのため日付とスタンプは『裏面』に別記していた────つまり、ファールをもらおうとする余りツメを誤ったのだ。
花雪は高飛車な態度で勝利宣言する。
「フフン。御大層な文書まで用意したと言うのに、残念じゃったな────
お嬢様
?」「……」
花雪は見事に『捏造の余地』を確立させ、ユエの証拠に、証拠としての信憑性を失わせた————けれどこの花雪の論法にも回避できない〝リスク〟が存在する。
よって、ユエはそのリスクを突く。
「……私は〝これで証拠になる〟と思っていたけれど、
いつも人を騙している人
は、そういう偽造方法も思い付くのね」その〝リスク〟とは、実質『無実のユエを〝ペテン師〟呼ばわりしている』という事。
「
結局のところ花雪は、ただのメモに〝偽造だ〟とイチャモンを付けているだけ。偽造である立証さえしていない。
そんな言い逃ればかりしていれば、友情も信頼関係も崩れ、国同士であれば『ホワイト輸出国から除外』などといった経済制裁を受ける。
「でも花雪は、
私が偽造を行った
と言っているのでしょう?」シュートを防がれ、バスケットカウントには至らなかったユエ────けれどファールはもらい、フリースローのチャンスは得たと言える。
けれど、それでも花雪の態度は崩れない。
「
そこまで言うてはおりませぬが
ァ~? 妾は〝偽造は可能〟と言うたまでじゃしィ~~~?」何故ならこの〝
「……花雪は最初に〝そんなものは捏造だ、そうに決まっている〟と言った」
そしてユエも、経済制裁を行うような権力は所持していない。
「ええ~っ!? そんなこと言ったかのォ? 妾の記憶にはございませぬぅ~~~」
そもそもユエが起こした〝訴訟内容〟とは、
『花雪は物忘れがヒドイからメモを取る習慣を付けなさい』であり、
『花雪は無実の私をペテン師扱いした』という、名誉毀損の追求では無いのだ。
(これ以上、私が〝偽造などしていない〟と言えば、議題自体がそちらへ移ってしまう……)
『言った』『言わない』の低俗な議論にすり替わり、いつしか当初の訴訟内容は有耶無耶にされてしまう————と言うか、もうなっている。
花雪の卑怯にも思える手法は司法の場において〝合法〟なのである。
話をすげ替えられてしまう方が悪い
のだ。よって花雪は〝つい反論したくなる言い方〟で話題を逸らす。
「たかが紙ペラ一枚で、鬼の首でも取ったが如く────……そのような陰険をしておるから、秀才様は〝陰キャ〟と呼ばれてしまうのではありませぬかァ~~~?」
よってユエは濡れ衣を着せられたまま、話を戻さねばならない。
「……私がこの文書を
本物と証明出来ない
から、花雪は自分の失態を認めず、反省もしないということ?」花雪は両手を組み、蛇のように身体をくねらせる。
「そんなことは無いぞよォ~? 妾は心の広い貴族じゃものォ~、
あくまでこの場では
じゃよォ? 必要があれば、メモでも何でも取るのじゃよォ~? でも妾ァ~、記憶力がズバ抜けておるからァ~、メモを取る必要が無いのじゃよォ~~~ン……ッ!」明らかな煽り────ユエは俯き、悔しさを噛みしめるような声を漏らす。
「なら……次は完全に、必要性を証明してみせる。そうしたら、メモを取ると約束して……?」
花雪は変わらず続ける。
「ええ~~~っ! どぉしよっかのォ~~~? そもそも記憶力が良すぎて、メモを取る必要が無いからのォ~~~ッ! アッハッハッハッハ!」
ユエも俯いたまま続ける。
「約束、して……」
その真摯な訴えに、花雪は失笑する。
「フン……お前は本当に、
いとお可愛き奴
じゃのう────」経営者という立場柄、メモを取るのは大切なことだ。ユエは花雪を心配しているのだ。
「良かろう。お前がメモを取る必要性を証明した暁には、妾もお前のようにメモを取ることに
してしんぜよう
」花雪が対人関係に求めるものはひとつ────〝自分は尽くされる側、お前は尽くす側〟という格付けのみ。
あらゆる
花雪にとっては、自身の美しさも、教え込まれた帝王学も、あまねく全ては〝
(〝糾弾〟とは諸刃の剣────貧相な
『経営者なのだからメモくらい取るべき』という真っ当な進言さえ『お前が○○出来たら聞く耳持ってやる』という〝かぐや様の問答〟にすり替える。
『花雪なんて何もしてないじゃないか』など言おうものなら尚、都合が良い。『そういう事は○○が出来るようになってから言え』と〝奉仕の宿題〟にすり替える。
いつしかユエは〝花雪に奉仕しなければならない○○〟が溜まり、花雪を糾弾するどころか、花雪からの宿題に日々追われ、それらも些細な不手際を糾弾され、やがては永遠にかぐや様を満足させられない〝奴隷〟に成り下がる。
雌が仕切る会社の能率が悪い理由は、この能率とは反対の事象を〝仕事能力〟と定義するからであり〝自称・私は仕事が出来るのに正当な評価がされない女〟ほど職を失う理由も、女性が元首になった国ほど国力を失墜する理由も、全ては同様の摂理である。
(まあ、このお子様は……自分が〝格付け〟を済まされた事にも気付いておらぬじゃろうがな)
そんな〝人心掌握術〟を仕掛けられているとも知らないユエは、変わらず真摯に訴える。
「私が証明するのは、メモの必要性じゃない……花雪の、物忘れのヒドさ」
その健気な姿に苛つきながら、花雪は両手を広げる。
「
どちらでも良い
わ。証明される事などあり得ぬのじゃからな」幾ら寛大なことを口にしようと花雪に他者の訴えを聞くつもりなど無い。かぐや様は
永遠に満足などしない
のだから。その〝言質〟を得た瞬間、
「
ユエは背後の男を呼び付ける。
『……ハッ』
男は馬を進め、ユエの右へと並走する。
容姿は二十代後半ながら総白髪、
花雪の秘書
。「……?」
花雪が怪訝に見下ろす中、秘書は懐から『巻紙』を取り出す。
その瞬間、
「────ッ!」
花雪の大きな目が見開く。
その巻紙は〝
「そっ……その
その封蝋に刻印された
「花印章の……