†送元二使安西† 敦煌南門、陽関
文字数 3,969文字
渭
城 客
朝 舎 勧
雨 青 君 西
浥 青 更 出
軽 柳 尽 陽
塵 色 一 関
新 杯 無
酒 故
人
君に勧め、更に尽くす、一杯の酒。西の果て陽関を出ずれば、故人は無いのだから。
王維
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
西方と東方を繋ぐ荒れ果てた荒野、
この都市は最近、とある行商隊のおかげで経済を立て直し、かつての繁栄を取り戻しつつある。
その行商隊は宋と西夏を交易で繋ぐことで繰り返される両国の戦争を沈静化させた。
『敦煌の英雄』と称えられるその行商隊を率いるは————若干18歳の小娘である。
「……敦煌ってさ、こんな人いたっけ?」
盗賊から護衛に転職した
ウェイも辺りを見回し、感慨の声を漏らす。
「ずいぶん様変わりしたよな。ほとんどは一緒に行商する連中だが」
呂晶は勇者パーティーが100人以上で魔王城に乗り込んで来た時の魔王のような顔を返す。
「コイツら全部!? え、なんで? ヤバイじゃん、負けるじゃん……!」
この敦煌という砂漠都市は、宋西都・長安から北西に————歩きではあまり行きたくない距離にある。
「敵じゃねーし、そういう冗談は絶対に言うな。賊のスパイと思われる」
「やっべ……アタシ、緊張してきたかも……」
「それにしてもお前、荷物少ないな」
呂晶は荷物から取り出したキセルを咥え、指を弾いて火を付ける。
「ほーお? うぇういこんあおんえお (別にこんなもんでしょ)」
ウェイは呆れた声を返す。
「お前、場所考えろよ……やめたんじゃなかったのかよ。〝身体に悪いから〟って」
呂晶が火を付けているのは、
「やぇてあいお(やめてないよ)————急にやめたりしたら
身体に悪い
だろ?」得意気に返すと、独特の匂いの煙を一気に吸い込む。
「スゥー…………プァー……」
阿片は煙で吸うと即効性がある。気怠さのせいか、頭に『ドタキャン』という言葉が浮かんできた。
「ああー……アーシ、帰っていい?」
「早いだろ」
虚ろに泳ぐ、死んだ魚のような目、
「あーん……?」
それが、少し向こうの『丸い物体』を映す。
「見て見てぇ~、アイツぅ~……ハゲェ~~~っ! 頭ァ、ハァゲてやがんのォ~~~っ!! アッハッハ!! ウケるゥッ!!」
阿片のせいか、元からの性格か、面白くも無いことを聞こえるように笑う。
その顔が急に『ガン』を飛ばすものに変わる。
「なんだァ、ハゲェ~……? こっち見やがってェ~……ヤんのかァ!!!?」
威嚇するように拳を掲げる。
「ったくよ……」
ウェイは迷惑な肩に手を置き、嘲笑された男に〝すまない〟と手を上げる。
その間も呂晶は意味不明な言葉を聞こえるように言う。
「不思議だァ……! なぜ頭部に、髪の毛が無いのだろうか……アッハッハッハァーッ!!!!」
「安心しろ、みんな味方だ」
自称・女の気持ちが判る男は、呂晶が落ち着かない原因が『敵に囲まれているような気持ち』と見抜いているのだ。
呂晶は不貞腐れたように返す。
「……ビビってなんか無い。ちょっと驚いただけだ」
ウェイは男に謝ったついで、活気溢れる商業広場を見渡す。
「物流も盛んになって、これだけ武侠も行き交うワケだからな。相乗効果————つーのか? 景気も良くなるんだろう」
ウェイが言おうとしているのは、大型スーパーとレジャー施設を融合させ、どちらかが目的で来た客がどちらにも金を落とす『シナジー効果』と呼ばれるものだ。
心の師が掲げていた『ある夢』を受け継ぐウェイにとって、町の発展は興味深い事柄なのだ。
「隊商様々……ってか」
反対に、呂晶はそれが気に入らない。
町の発展とは良い事だが、悪人にとって良い事とは、悪い事なのかもしれない。
「そういや呂晶、南門は通ったらダメだぞ。
通ると死んじまう
って言い伝えがある」ウェイのウンチクを、呂晶はノータイムで訂正する。
「言い伝えじゃねーよ。歌だろ、それ? たぶん
「そうなのか、どういう歌だ?」
それは『とある詩』が伝言ゲームのように伝えられる内、その意味を変えてしまったもの————
教養があれば誰もが知っているような詩なのだが、金持ち以外には教養を得ることが難しい。ウェイも算盤を扱うくらいの教養はあるが所詮は田舎商人の
こう見えて呂晶は、ヴィトンやグッチのような『高級アクセサリー会社』の御令嬢なのだ。
「くっだらねぇ歌よ。聞かない方が良い」
その両親は呂晶に教養を授けるべく、『
科挙とは政治家になるための国家公務員試験。財ある家の子が科挙に合格し、政治家となる————すると『
「気になるじゃねーか。そんな言い方されると」
その詩は大昔の士大夫、つまりは呂晶が目標としていた『伝説の先輩』が遺した詩。とうの呂晶は貴族を目指すどころか家出し、盗賊まで落ちぶれてしまった訳だが。
「とりあえず〝南門を通ったら死ぬ〟ってのは迷信だ。ま、あんな門通りたがる物好き、アタシくらいのもんだけど────」
————そう、送元二使安西。アタシはあの歌が気に入らない。
今から三百年以上前、中華が『唐』と名乗っていた頃に
コウモリ野郎
が書いた当時、
昨晩さんざん飲んだ挙げ句、朝っぱらから迎え酒まで飲ませ〝西の果ての陽関を出たら、
お前は死んでしまうんだ
〟と悲しみながら、その辺に生えてた柳を折って当時からしたら————今もそうだが、西方ってのはワケ判んない奴ばっかりで、ワケ判んない事で殺されるなんてザラだ。おまけにその大半は生き抜くに困難な砂漠。ワケ判らん奴と寄り添わねば生きていけない。温室育ちの王維からすれば、元は死にに行くようなものだったのだろう。
だが、そんなに心配なら渭城までと言わず楼蘭まで一緒に行ってやればいいし、苦労してるのは元の方なのに、王維はその歌で有名になって今で言う
七言……えっと、なんだっけ————そういう形式の歌謡だ。
まぁ~~~、聞いてて眠くなる。そして途中から〝帰ったら酒のつまみに何を食おう?〟という事しか考えられなくなる、そんな歌だ。しかも終わったと思うとまた始まって、計三回も繰り返す。オチも無い話を延々と繰り返して良いのはアタシみたいな美人だけだと、世界の中心で叫びたい。
『詩賦』ってのは詰まるところ、爺さんの日記だろ? 気の利いたジョークも無ければ、アタシには過大評価としか思えなかった。
詩書き連中は事あるごとに『自然』を謳う。自然ってのは人間的な営みをしてれば気にならないもの。自然が気になる状況とは例外無く、『寂しさ』を想起させる状況だ。寂しさを求めしマザコン達が〝僕達は寂しいよね〟と傷を舐め合う、それが
僻地に飛ばされれば『故郷を想ふ』。 人混みの中でも『大都会で自分は一人』。 ひとり、一人、ひとり————いつでも、いつでもそればっかり。一人だとそんなにいけないのか? 一人暮らししてる人間に失礼だろ。
恋愛系の詩もそうだ。『たった一人の相手なのに、想いが全然伝わらな~い』みたいに、やっぱり一人を強調する。会いたくて会いたくて凍え死ぬ? ならコタツでミカン食ってろよ。
共感大好き連中の、感覚共有
んで————その〝通ったら死ぬ〟と言われてる『陽関』ていうのは、ここを南に行った所にある、半分砂に埋まった関所だ。
ほとんど門の体を成していないし、みんな別の所から出入りしてる。ウェイのように験を担いで近付かない奴も多いが、そもそも老朽化してるから立ち入り禁止だ。門なのに立ち入り禁止って、どんな
崩れかけた雰囲気と、『立ち入り禁止の門』という不気味さが合わさり〝通ったら死ぬ〟と言われるようになったんだろうけど。
アタシは以前、石窟を荒らすため敦煌に訪れた際、嬉々としてその南門を往復した。石窟っていうのは、此処から西に行った所にある仏教徒の宝が埋まってる岩窟だ。その足で楼蘭よりもっと西にあるカラコラムって雪山まで行ったし、そこで地元民にイシュタルと呼ばれてる女型の化物だってブチ殺した。
それからも色々あったけど、未だアタシは生きている————やはり文官というのは嘘付きだらけだ。
その文官の中でも、特にこの『王維』って野郎は