ソクラテスの問答
文字数 2,236文字
出発の時が来た。私は死ぬ、あなたは生きる。どちらが良いかは神のみぞ知る。
-ソクラテス-
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「何故なら我らには————
守る物など無いからだ
」盗賊の最期の言葉を、元盗賊の呂晶が代弁する。
ウェイは馬を並走させ、他愛ない会話を始める。
「よく判るな。賊に流行ってるスローガンか?」
行商とはほとんどが只進むだけの、つまらない仕事だからだ。そしてこういった者がいるから隊列は乱れ、花雪は怒号を飛ばさねばならない。
何事も無かったかのように進む無損害の商隊の中で、呂晶は独り言のように答える。
「アイツらにはガラクタを一生懸命守るアタシらが、狂人に見えるんだ」
賊の最期の言葉────それは呂晶も聞いたことの無い言葉だった。なのに何を言おうとしたのか判った。
ウェイは伸びてきた顎髭をいじりつつ、上の空で続ける。
「ふーん。俺は
守る物がある方が強くなれる
気がするが……家族とか仲間とかな」呂晶は即答する。
「そりゃ、
なった気がするだけ
だ。人を養うなら身を粉にして働かなきゃいけない。責任が生まれるんだ」〝責任〟という言葉にピンと来たのか、ウェイは両の人差し指を向ける。
「それだ、それ! 一人じゃ出来なかった事が出来るようになってる、強くなってるだろ?」
「馬鹿か————」
呂晶はまたも即答する。
「
身を粉
にしてんだぞ? 削った分弱くなってる。家族や仲間を人質にされたら、お前はどうやって戦うんだ」よく漫画やアニメでは〝守るもの〟の重要性を説かれるが、漫画やアニメを作っている者達は頭が悪いだけである。朝倉未来は小倉優香と付き合いだした途端に負け始め、朝倉海は中川翔子と仲良くなった途端に負け始め、キングダムは小島瑠璃子と関わった途端につまらなくなる。それが真実だ────
と、小娘に馬鹿にされ、温厚なウェイもさすがに〝ムッ〟とした顔になる。
「そりゃ、強さと関係ねーだろ!? 判んねーかなァ……こう、〝漲るパゥアー〟ってやつがよ」
呂晶は三度、即答する。
「判るよ。漲るパゥアー? は、コミニティを保持する
本能
だ」「出たよ、本能————……」
その言葉が出た瞬間、ウェイは上の空で眉間をつまむ。
「ああ、本能は俺も好きだぜ。理由は知らないが、一日一回は〝本能〟って言葉を使わないと気が済まないんだ。本能、チョー大好き! もう本能のことしか考えられな~~~い!」
頭が悪そうなギャルの演技で皮肉るが、
「
それで間違って無いよ
」「ぬっ……」
渾身の演技をスルーされてしまった。
「人は猿だ。
それを認めないのが本能だ
」さっきからイチイチ即答してくる。それはコイツがこの分野のエキスパートであり、そうなった理由はおそらく以前から何度も考えた事がある事柄で、それは呂晶がこの事柄に並々ならぬ想いを持っているという事。
冗談も通じない雰囲気の為、ウェイは面倒ながら話を合わせる。
「そりゃあ、つまり────……パゥアーが漲るのは〝猿でも持ってる本能のおかげ〟って言ってるのか?」
「同じこと二度言わすな」
「……っ!」
話を合わせてやっているのに、コイツは自分を見ようともしない。
ウェイは短い溜息と共に続ける。
「百歩譲ってそうだとしよう……でも良いじゃねーか。本能だろうと、煩悩だろうと、活力————そう、生きる気力が生まれるんだからよ」
「活力でも脱力でも無く〝習性〟だ────単に、その習性が無い連中が死んだってだけだ」
いつも面倒なヤツだが、なぜ堅苦しい話になると一層、面倒臭くなるのだろうか。ウェイは、
「何でも知ってる、エラ~~~イ、呂晶様に教えてやる————議論ってのは〝譲り合い〟が大切なんだ」
と、嫌味をジョークで包んだ物、すなわち〝皮肉〟をたっぷり手渡すが、やはり返って来るのは〝即答〟だけ。
「譲るもクソも無い────アタシが正しくて、お前が〝パー〟だ。
アタシは一歩も譲らない
」自分の意見を尊重しないと、すぐに攻撃的な言葉を投げ掛ける。その行為は周りからは邪悪に写るが、当の呂晶の想いはむしろ逆だ。〝正しい事は正しくなければならない〟そうでなければ、それは間違った世界だから。
凡愚達は世界を〝嘘〟で覆う。自身で気付いていようといまいと、それは強盗よりも、殺人よりも、この世で最も罪の重い行為なのだ。自分は邪悪な者達から世界を救う孤高の戦士。だから邪悪には憎しみを込め、攻撃的な言葉を投げ掛け、叩き潰し、時には────誰にも理解されなかったとしても、正しいのは自分。正しさとは多数決では無いのだから。少なくとも呂晶はそう想っている。
ウェイは呆れたように頭を振る。
「俺が百歩も譲ってるのに、お前は一歩も譲らない訳か……〝ワガママ〟って、言葉は知ってるか?」
呂晶も呆れたように笑う。
「まさか……〝一歩も譲らない〟ってのは、流石にジョークだよ————」
人間は寄り添わなければ生きていけない動物、〝譲り合い〟とは呂晶の言う本能に根ざした行為だ。
反対に〝一歩も譲らない〟とは、
何人たりともそれ以外を持つことを許さない
という行為である。普通の人間にとってのそれは〝自分の意思を曲げずに持ち続ける〟程度の意味までしか持たないが、呂晶は嘘を一切許さない
。自然、前者の意味が前提となる。それはこの世で最も険しい道であり物理的に不可能である。よって『一歩も譲らない』と言うのは、流石にジョークだ。その本当の意味は、
「私の言うこと以外、
殺してでも存在させはしない
」