†三省六部† 元豊の改革
文字数 3,818文字
ウェイはさして興味の無い態度で、将来の夢を語る。
「まあ、当面は武官で〝オナシャス〟って感じだな」
「定食屋の注文みたいに言いやがって……今の政治体制わかってんのか?」
「俺だってそれくらい分かる。
五臓六腑
だろ」呂晶は眉を八の字にして睨み付ける。
「ふざけてんじゃねーよ────」
「……っ!」
その顔に驚いたウェイに、呂晶は戦慄したように問う。
「ふざけて、ない……のか?」
ウェイは明後日の方を向き、目を合わせず顔で答える。
「いや? ちょっと、ふざけちまったかな……」
「じゃ、ホントの言ってみろよ」
「……」
千年後の日の本がそうであるように、宋の政治体制は複雑を極める。
基礎となっているのは隋唐代で制定された〝
皇帝と法案を作成する〝中書省〟
法案を審査して立法する〝門下省〟
立法された法律を施行する〝尚書省〟
これら三省がまとめたものが〝
〝
〝
〝礼部〟は教育、倫理、外交を司り、日本で言うところの文部科学省と外務省。
〝兵部〟は軍事を管理し、日本で言うところの防衛省。
〝刑部〟は裁判、警察組織であり、日本で言うところの法務省と警察庁。
〝工部〟は公共事業を行い、日本で言えば国土交通省や環境省に該当する。
他にも
〝刑部〟は敵対官僚を逮捕し、
〝礼部〟は創価学会や統一教会と結び付いて政教分離の憲法を犯し、日教組を通して子供達に反日洗脳を施す。
〝工部〟は箱物やオリンピック誘致を行う代わりに、災害対策をサボって電気代を上げる。
〝吏部〟は左翼、NHK、マスゴミと癒着し、
お互い時には暗殺者を雇って物理的にも殺し、殺されないよう私兵を雇う────そんな中で、ブッチギリの最強権力を保持しているのが、国家予算を管理する
大蔵省
たる〝戸部〟である。官僚の給料を設定するのは総務省たる〝吏部〟だが、その吏部が使える予算も戸部が握っている。そもそも官僚給料とはお小遣い程度のもの。本当の権力基盤とは
宋にはテレビが無い
。よって〝吏部〟は国家公務員を輩出する〝士大夫試験〟に注力。儒教など馬鹿な教えを重視する無駄な試験で真っ当な政治思想を持った将来の敵を排除し『自身に擦り寄らねば政治家になれないこと』を利権としている。〝マスメディア利権〟で言えば、詩や芸術の分野を牛耳る〝
宋には義務教育制度が無い
。よって日教組のように国民全てに自虐教育を施しアメリカや在日朝鮮人に媚びを売るような権力を持てない。よって、敵対政治家を貶める文句を稀に何を勘違いしたか、環境省ごときが権力を持とうと〝ビニール袋課税〟を行い、結局は責任を取って左遷される小泉進次郎のような身の程知らずが湧いたりもするが、国家予算を統括して宋という国そのものを動かしているのは財務省たる〝戸部〟である。
商業が隆盛した中世において、金の流れを司る〝戸部〟が覇権を握るのは世の流れ────と言うより、大体いつの時代の、どこの国も、財務省は最高権力を握る。よって日本では、麻生太郎が煙草の値段を三倍にする暴挙に出ようが、喫煙者はヤツを処刑するどころか〝ヤニカス〟のレッテルを貼られて社会的に抹殺されるのだ。
「はあ……じゃ問題だ────」
そして十一世紀の蘭州においても、まるで中学生の公民の授業のように、呂晶はウェイに出題する。
「アタシが生まれた年。十九年前に
呂晶は一歳サバを読んだが、ウェイは呆れたように、中学生でも知っているその問題の模範解答を示す。
「呂晶、俺は子供じゃないんだぞ。それくらい誰でも知ってる……————そのクソが行ったのは〝クソな改革〟だ」
唐が滅亡し、戦乱を経て宋になった頃、三省六部はすっかり
よって宋の
日本の政治家も引退後は多くの天下り組織に席を置く。NHKとは只の天下り先であり、権力の根源は総務省にあり、NHKへの文句はNHKに言っても無駄────とは言え政治家が〝NHK役員〟まで兼任したとなれば、その権力は恐ろしいものである。更には日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日などの役員までも兼任すれば、その者は強大な権力を手に入れる。その場合、天下り先だったテレビ業界が総務省を奴隷とする〝革命〟さえ起こる。宋代にはこのような〝革命貴族〟が頻発した。
役職を増やすほど、三省六部さえ越える権力者が現れ、それは
当然、世は乱れに乱れる。権力者は己の権力拡大に執着し、国民は倫理も上限も無い搾取によって疲弊。国力も兵力も低下、諸外国の侵略にも抗えず、領土は更に縮小する────そんな状況を鑑みた宋六代皇帝〝神宗〟は、西暦1080年に『
そういった権力の分裂や統合を繰り返した結果が、現在の宋の政治体制であり、つまりは日本と同じく、全く安定していない。
ちなみに日本では『〝議員の兼職禁止〟という制度があるので現職の政治家が企業役員となる事は出来ないので、安心して下さい────』などと学校で教えられる。しかし現在の財務大臣は日本電信電話、
日本たばこ産業
、日本郵政、京福電気鉄道の筆頭株主
である。イーロン・マスクもTwitterの筆頭株主になった後、自らを「正解だ────役人がやることの前と後には必ず〝クソ〟と付けろ」
「ああ。クソ開封に、クソ天聖令、クソ税金に、クソ御触書……炎孔より得意だぜ」
ウェイと呂晶は目を細め合い、お互いを指差す。
「「 Yeah 」」
〝開封〟とは宋の東京である。伝統の京都たる長安を拠点とする彼等にとって、東京は蔑むべき対象だ。
そして『三省六分の復活』と言っても、時代に合わせてアレンジが成されている。元豊の改革以前には〝
戸部は三司と同じ轍を踏まぬよう、権力集中を防ぐべく〝左曹〟と〝右曹〟に分けられている。大蔵省が、財務省と金融庁に分けられたように。それでも国家予算を司る戸部は権力を持つが、三司の時とは違い、現在は皇帝の右腕である
元豊の改革でも、やはり血で血を洗う権力闘争が繰り広げられ、国はとばっちりで混乱を極めた。けれど重複する役職は整理され、汚職をした地方公務員を処刑するなどの改善も見られ、年寄り達が言うには『以前より幾分マシ』といった状態だ。『悪夢の民主党政権よりは、まだ自民党の方がマシ』という日本と同じ状況である。
こういった経緯から〝戸部〟は歴史的に古い組織ながら、今を生きる呂晶達には新しい組織なのだ。
と言うより、隋唐に制定され宋代においても使われている〝三省六部〟でさえ、古代エジプトの〝マアト〟メソポタミアの〝ハンムラビ法典〟などを参考にしており、それら古代法典さえ、もっともっと古代の法典を参考にし────つまり人間の〝政治〟とは何千年、何万年、二十一世紀になっても、何の改革も行われていない。これが人間という動物社会の限界なのだ。
「じゃあ、〝武官〟がどこの役人か知ってるか?
兵部じゃないぞ
」