†巫舞† 蘭州の蚩尤
文字数 3,760文字
『蘭……見……』
『蘭州……見え……』
『蘭州が見えたぞーーーッ!!』
花雪からの連絡がリレーのように伝わり、通り過ぎていく。
「やっとかよぉ~~~、もうケツが痛てぇーよぉ~~~」
呂晶とウェイにも嬉しい知らせだ。
「山場は越えたな。安心しろ、蘭州より先は楽なもんだ」
商隊が目指していたのは、敦煌と長安の中間地点————宿野街で名高い〝蘭州〟という地だ。
南方にしつこく見えていた祁連山脈、その険しい山脈を縫って流れていた黄河が最初に出会う〝平地〟である。水を塞き止めていた祁連山脈が無くなり、東へ流れていた黄河は西夏と宋を分かつように北へと流れを変える。河西回廊の『河』が何を表しているかと言えば、この黄河なのだから。
ウェイの『山場を越えた』という発言は、過酷な荒野を抜けたと同時に〝祁連山脈の終わり〟という意味を含んでいるのだろう。
「ホント、つまんねぇ道中だったぜ。干からび損だ————ガラララ、ぺッ!」
呂晶は砂を含んだ唾を吐き出す為か、ここまでの旅をけなす為か、残った水で贅沢にうがいする。もう水は貴重な物資では無い。
ウェイは遠い目で返答する。
「そうか、景色も良かったじゃないか? 祁連が平らになっていくのを見守り、砂漠に草が芽吹いていく————自然の壮大さ、つーのかなぁ……」
この四日間の道のりを表現したポエム。呂晶はそれを偏屈な哲学でブチ壊す。
「判ってない。人間が自然に感動
したように
思うのは〝ここを縄張りに出来る〟って期待と、絶対潜んでる猛獣や災害を警戒する本能だ」ウェイは呆れたように手を広げる。
「出た出た……得意の〝御本能〟だ————どうでもいいじゃないか。感じようぜ、ナチュラルを」
呂晶は無視して続ける。
「
気功が生まれた場所
なら、変わった気功の使い手とかいるかな? アタシは〝闇〟とか、そういうのが使ってみたいんだ」「そんな系統は無ェ。自分で編み出せ」
蘭州は気功、そして〝巫舞〟の発祥地と言われている————巫舞とは気功家の共通技術。脳波のリミッターを外し、約一分間、気孔出力を倍にする。大抵は師父から伝授され、残りは訓練や生死の境で自然に覚える。
最後の切り札であると同時に、使い所を誤れば逆境に陥る。巫舞とはそれ自体の力では無く、どの場面で使用するかが問われる気功家の試金石。
もし赤黒い気功を迸しる者がいたら、その一分は、その者にとって掛け替えの無い時間————命を燃やしている最中。
編み出したのは古代民族
「闇って言やァ、あの噂……マジだと思うか?」
ウェイが慄いた様子で尋ねる。
「
「目を瞑って戦う女剣士の噂だよ」
呂晶の顔が怪訝に変わる。
「なんだそりゃ。余裕こいてんのかソイツは」
ウェイは真剣な様子で語る。
「この隊で噂になってんだよ————肌は死人みたいに青白く、とにかくべらぼーに強い。足が宙に浮いているから足音もしねぇんだ……」
おそらく怪談の類だろう。呂晶は興味のない調子で返す。
「ああ。べらぼーに強い剣士が絞首刑になったら、そうなるな」
ウェイは目を瞑って首を振り、真剣な顔で続ける。
「ソイツはな……夜な夜な汚れた水から現れては枕元に忍び寄り……相手の四肢を落として、トドメを刺さずに去るんだ……だから寝る前は風呂場の栓を抜いとかなきゃダメだ……それでも庭の池とかから出てきちまうが……」
呂晶は身体に付いた砂を払いながら言う。
「その辺に鰐が棲み着いたんだろ。絞首刑の死体は浮いてて届かなかったから、近くで寝てた奴を食ったんだ。罠でも張っとけ」
ほとんど無視している呂晶に、ウェイは真面目な顔で続ける。
「それがどうやら……蚩尤が死体を繋げて作り出した、生物兵器だとか何とか……」
呂晶は呆れたように返す。
「なあ。死体から兵士作るより、生きたヤツを修練させた方が安上がりとは思わないのか?」
「確かにそうだが————……忘れてくれ。お前と怪異の話するとツマンネーってのを思い出した」
ウェイは諦め、口調を戻す。
「とにかく蘭州ってのは、そういう怪しい暗殺民族とか、キナ臭い連中が住んでんだよ」
気功の始祖〝蚩尤〟は未だ存在し、蘭州の何処かで〝秘宮〟を営み、そこでは死体を蘇らせる恐ろしい呪術が行われている————といった都市伝説が、気功家達の間では
「アタシだって初めてじゃない。普通の田舎だ」
「なんつーのかな、〝作り物の笑顔〟って言うのか? 怒らせたら何するか判らない不気味さがあるんだよな、あの辺……」
「そりゃ仏教系だからだ。アイツらは部外者に優しいようで、その実、自分の〝徳〟とやらの為にしてる。優しくするほど上に立った気分になる。そういう所も普通の田舎だ」
ウェイは呂晶を指差す。
「とにかく、地元民とトラブル起こすなよ。仕事で来てるんだからな」
「そりゃ向こうに言ってくれ────で、何が美味いんだ。あの森ん中じゃ」
「麺類だ。ソバとかな」
呂晶は昨日の晩ご飯が給食に出て来たような顔をする。
「え~~~、麺なんて何処でも喰えるだろ。他に無いのかよ、虎肉とか珍しいのは」
ウェイは〝この罰当たりが〟と言わんばかりに目を見開く。
「おまっ……! 麺料理ってのはな、具がデカイとか、スープが油っぽいとか、そういうんじゃねぇ────小麦の風味って言うのか? 此処の麺を喰わなきゃ〝麺通〟とは言えないんだぞ」
呂晶は〝ジトリ〟とした顔でウェイを指差す。
「ヘイ、麺王。小麦ってのは〝寒いトコが美味い〟と相場が決まってんだよ。ここのは美味いんじゃない、単に一杯取れるだけだ。麺料理ってのは如何に味の無い麺を美味く食うかに懸かってる」
美味い物とは大抵、少量しか採れない物だ。鰻も昔はファーストフードだったが二十一世紀では高級食材と化している。どんなに素晴らしい物も手軽に手に入れば素晴らしい物では無い。
「ああ、判ってねぇ、判ってねぇ……この小娘ときたら。牛肉を煮込んだスープと小麦のハーモニーはたまらんと言うのに」
そして『具がスゴイ』『スープが油っぽい』といった特徴も無い田舎の麺屋は、大抵が『素材そのものの味』『知る人ぞ知る秘境の名店』『ここの麺を食わなければ真の麺通とは言えない』などという〝仙人系キャッチフレーズ〟を売りにする。
「具が関係してんじゃねーかよ」
「スープは具じゃないからセーフだ」
黄河が貫く肥沃な土地柄を活かした麦。コシも無いし、コクも無いし、高級でも無い、気が遠くなるほど昔ながらの味。
何故なら蘭州とは中華麺————即ち
とは言え〝
一
蘭〟の座は、後に日の本に奪われてしまう事になるが。「ところでそれ……辛い?」
「おう、辛いのもあったぞ」
「よし、今日の晩飯はそれだ」
小麦以外の名産と言えば、化物のように大きな虎が生息している。蘭州の虎退治は気功家の登竜門であり、より大きな虎を倒すことが勲章となる。
あとは森と川ばかり————蘭州とはそんな土地だ。
「お前は、色々ウルサイ割に、結局何でも辛くしちまうからな」
「違う。辛けりゃ良いってもんじゃない————そうだ、着いたら先生と打ち合わせしないと」
「遊珊と? 宿の算段か?」
呂晶は誇らしげな笑みを返す。
「フッ……童貞のお前は、先生の本当の恐ろしさを知らないんだ」
「なんだそりゃ?」
呂晶は〝しまった〟という顔をする。
(あ、やべ……)
遊珊が〝元・風俗嬢〟であることは内緒だからだ。
「────ここで、麺王に問題だ。ラーメン食う時、麺とスープ、どっちから食うのが正解だ?」
よって話を逸らすが、ウェイは即答する。
「問うまでもねぇ。店主が勧める〝逆〟だ」
ウェイの即答に、呂晶は怪訝な顔で返す。
「蛤? なんで逆なんだ?」
「逆から食えば店主が因縁付ける。因縁付けられたら
シメる
理由が出来る。シメれば謝礼かショバ代を払わせられる。それがウェイが言うような手法は〝ゴロ〟と言い、当たり屋、フェミニスト、ヴィ―ガン、グレタなどが使う手法だ。
呂晶は呆れたように返す。
「麺屋のショバ代なんざクソみてぇなもんだろ────正解はスープだ」
「なんでだ?」
「時間が経つと、麺のダシがスープに染みてくるからだ。麺が伸びるようにスープも伸びる。最初のスープが最も鮮度が高い」
「なんだそりゃ、つまんねぇ解答だな」
「アタシより、お前の方が問題起こしそうだけどな────……」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
自然豊かな蘭州宿屋街の広場に、気合の入った男の声が轟く。
『
少し離れた場所からは、多くの商隊員が見守る。
『蘭州一の宿を取りましたァッ!! どうか今宵、この俺とお付き合い下さいィーーーッ!!』