†平行世界の二回戦†
文字数 3,837文字
遊珊は恐怖からか、白い手をまだ震わせている。
(あら、此処をマッサージされるのは初めてでありんす? 不思議でありんしょう、此処を揉みほぐしていると、ふわふわと感じてきて……まあ、反対側の方から……! もう分かっているのでありんしょう? わっちの中でまた芋虫様が蠢き始めた事、全部わっちに判られていること……判っているのでありんしょう? またいっぱい躍動したくて、芋虫様がイライラ、イライラ、ご立腹……白いお糸をあんっ……なに吐き出したばかりでありんすのに……なんて逞しくて、我儘で、狂暴な……い、も、む、し、さ、ま……で、ありんすね……?)
イエンは我に還り、また邪念を振り払うべく頭を振る。
(【堕ちたる黒の種族】イエンよ、今は仕事中だ……! いくら恋心を抱かれようと、貴様に女に
迫るイエンに、遊珊が
カウンター
で浴びせた悲鳴————痙攣するように身体を縮こませ、可愛らしくも耳を塞いでしまうような、甲高い悲鳴。男はその声を聞くと、以後その声の主が気になるようになる。そして女の方も大したことが無くとも、その声を出すように出来ている。
こうして離れた木上にいる男女は出会いを果たし、効率良く子孫を残すことが出来るのだ————猿の男女の話だが。
(驚くことはありんせん……女の愛撫は、殿方が果てた後に始まるのでありんす……今夜はわっちが、人生最多射爆を記録するでありんす……嗚呼ン、ダメ……逃げようとしてもダメ……こうやって足を絡まれると、どうやっても逃げられないの……逃げようと悶えるつもりが、いつの間にか……ほら……さん……しー……ごー……五回浅く……いっかい、深く……逃げたいのに、身体の力が抜けていくでありんしょ……? 身体の力は抜けていくのに、芋虫様はどんどん、どんどん……大きく……さあ、もう一回浅く……いち……に……さん……)
その甲高い叫び声は〝女は殺らん〟という二枚目な捨て台詞を吐かせるほどイエンの心に深い杭を打ち込んだ。勝負は〝殿方〟の前から始まっていたのだ。
(さあイエンよ、集中を取り戻せ……! こうやって呆けている間に、外功を撃ち込まれたらどうする? あの艶めかしき女の事を思い出すのは、アジトに戻ってからだ……!)
出会い頭に斬り捨て、今日始まり、今日終わるハズだった出会いが、その後も心に悶々と残り続ける————
イエンにとって遊珊は、今夜『何か』の為に想い返すことを決意するほどに『気になる女』と相成った。
(芋虫様の根本を指で弄びながら……もう一度浅く、九回……こそばゆくて堪らないのでありんしょう……? あら、嫌がっていたのに、もう腰を動かし始めてしまうのでありんすえ……? 〝九回も焦らされる〟と聞いて、耐えられなくなってしまったのでありんすえ……? こっちのお口と違って、こっちのお筆は正直さんでありんす……)
遊珊の方は既に、平行世界で二回戦に突入している。
(でも、ダメ……まだ四回でありんす……若武侠様が動くならわっち、この責め苦をやめるでありんす————そう、正直さん……お亀を浅く刺し込んだまま、根本を指先で弄られると、とっ……てもこそばゆくて……頭が焦げ付きそうになるでありんしょう……? ゆっくり引いて……ご……ろく……しち……はち……きゅう……そして一回、深く————……っ! ほら……たった九回の焦らしで、せき止められていた感覚が一気に溢れ出して、芋虫様が蕩けてしまいそうでありんしょう……? わっちの顔を見ながら、その感覚をじっ……くり堪能して……蕩けたお顔を、わっちにじっ……くり見られてる……良いのよ、自分の心に身を任せて……心のままに身体を動かして……良いの、自分よがりで良いの……性玩具を扱うように、自分よがりが良いの……! アナタが〝イイ〟と感じる時が、私も〝イイ〟と感じている時……! ほら、修行や戦いなんかより、ずっとイイしょう……!? 全部投げ出してしまいたくなるでしょう……!? 考えないで……! アナタは気付くとまた、獣のように私を犯しているから……それに気付いて謝りながら、それでも華奢な私を壊すほどに、腰を打ち付ける事をやめられなくなっている……! いけないのに、大変なことになってしまうのに、意識が無くなるまで、命を吐き出すことがやめられない……! もうやめたいのに、芋虫様に身体を操られ、芋虫様を操る私に、操られてしまう……! いけないのに、自分の意思では無いのに……なのに、なのに、死んでしまうほど気持ちが良い……操られることが気持ち良い……! さあ、もっと……! もっと私の中に……貴方の命を、全部、全部、全部吐き出して……!)
「先生…………先生…………っ!」
(
「先生……先生ッ!!」
(あら、此処からが良い所とおっせんすのに……? 武左で、七夕で、野暮なトンチキの声が聞こえんし……)
「先生、大丈夫————ッ!? アタシの後ろにっ!」
恐怖で放心している遊珊を庇い、呂晶が歩み出る。
「……呂晶、ごめんなさい……」
遊珊は悔しさを堪えるように涙を滲ませる。
「私、いつも……アナタに助けてもらってばかり……」
呂晶は『イケボ』で返す。
「いいの、気にしないで————」
女は他人の泣き顔を見ると男以上にその感情を共有する。胸が締め付けられ、恋愛にも似た感覚を想起する。
「先生は死なないわ。アタシが守るから」
遊珊の本能に囁く
(怖がってる先生、めっちゃ可愛い……! よーし、アーシだってカッコイイとこ見せたっぞォッ!)
遊郭にはお忍びで女性のお客様も訪れあそばれる為、プロは全てのお客様に対応出来なければならなかったからだ。
ウェイも駆け寄り、心配の声を掛ける。
「おい、遊珊! 大丈夫か、怪我は無いのか!?」
「見れば判るでしょう」
「えっ……? うん……」
自分を見もせずに冷たい声を返す遊珊に、ウェイは得体の知れない焦燥を感じる。
(遊珊……なんか、俺には冷たくね?)
以前はその才能を溢れるまま垂れ流し、同僚遊女は愚か姉分にまで嫉妬と憎しみと愛情を買い、最後には重大な政治殺人犯に仕立てられてしまった。
(ごめんなさいね、ウェイ————)
マフィアの頭領を虜にすれば結盟自体の崩壊を招き、所属する自分も不利益を被る。そうなった時のマフィアの復讐は、遊女のそれより遥かに凄惨だ。
そういったことが無いよう、西欧の絵画ギルドは女人を禁制するのだ。そして、そんな場所だからこそ
(嫉妬を買うこと自体に問題はありんせん……問題はわっちが、組織のパワーバランスを崩壊させてしまう事にありんす……)
能ある鷹は爪を隠すのでは無い。能ある鷹は歪みを生み、自ずと爪を隠すようになる。
(私、オタサーの姫に収まる気はありんせん————そんなお茶っ葉みたいな役、
この子
に譲るわ)遊珊もまた、成長しているのだ。
ちなみに歳は呂晶と同じく二十歳、イエンよりも一つ歳下だ。
「大事な荷を奪われと言うのに、随分と悠長に構える————」
『「 ————ッ!! 」』
イエンの声に、五人は敵意の眼差しを向ける。
「なんだと、テメ————……ッ」
呂晶は出しかけた声を引っ込める。
イエンが自身の集中を掻き乱すあの悪しき女を『絶対に意識しないよう意識』しながら、
箱に手を掛けている
からだ。「……っ!」
その鬼気迫る表情は〝攻撃したくばいくらでも来い〟という、自信の顕れにさえ見える。
一人、『目的』を忘れていない遊珊が、弱々しい声を上げる。
「その積荷だけは……持って……行かないで……!」
(くっ————!?)
イエンの表情が強張るが、
(そのような見え透いた懇願……! 【堕ちたる黒】は靡きはせんぞ!)
すぐに冷酷さを取り戻す。
「ほう……この箱の中身は、大層高価な代物と見える……!」
男とは女に揺らいだ時ほど、非情な振る舞いを取ってしまうものだ。『好きな子ほど何とやら』という習性である。
イエンもその例に漏れず、箱の紐を強引に、見せ付けるように、遊女の服にするように乱暴に引き千切る。
『「 ————ッ!! 」』
場に緊張が走る。
(開く……)(開くぞ……!)
全員ポーカーフェイスを作り、荷を解くイエンに注目する。
(さすが先生だ……!)
(でかしたぞ、遊珊!)
そして、
「……何だこりゃ、種籾か?」
きた————