†帝王学† 夢を与える塩対応
文字数 3,995文字
ウェイは心配の声を掛ける。
「大丈夫か。唾が気道に入ったか?」
「かなりの……上流階級……!」
花雪は空き箱を並べた階段を昇り、これまた空き箱を並べた壇上に立つ。
「そうなんだよ。花雪さんも貴族の娘さんだ。よく判るな」
呂晶は檀上を睨んで言う。
「ああ、
アタシと同じ匂いがする
……!」「ぶわっは!」
ウェイが唐突に吹き出した。
「……なに?」
〝 ジトリ〟とした視線に顔を背け、震える手を上げる。
「いや、ナイスジョーク……!」
「ちっ……」
呂晶は殴りたい笑顔をスルーする。
(まあコイツには、ウチが金持ちって言ってねぇからな……言ったら言ったで面倒くせぇし)
気を取り直して説明する。
「あれは訓練で身に付ける歩き方だ。先生のあざといのとは違う。人の上に立つのが決まってる────そういう奴が受ける訓練だ」
「そうなのか、別に自然に見えたが……」
「そう見えるまで訓練すんだよ」
「ほぉ」
ウェイも檀上を眺め、呆れと感心が混じったように言う。
「歩き方まで訓練するなんて〝アレ〟じゃねぇか」
呂晶も呆れと感心が混じったように頷く。
「ああ、その〝アレ〟だ……!」
人格、所作、その他もろもろ、徹底的にエリート教育を施す、俗に言う『帝王学』
それは先祖代々の集大成とも言える『独自教育』
内容は家によって様々だが、大抵は先祖代々従事している家庭教師が施す。
「て言うかお前、何でそんな消耗してんだ? まだ何も始まってないぞ」
「……別に」
たとえばあの歩き方を平民が────いいや、
あの清楚で派手な髪型も、
地味目なデザインを光沢素材に置き替えた服装も、
チラリと覗く肌着に施されたレースも、
傍目には分からない高級アクセサリーも、
どれも平民が真似すれば滑稽に映ってしまうもの。
あの容姿と、スタイルと、偉そうな振る舞いだから様になる。選ばれし者以外には逆効果、それが『帝王学』
それが意味する所は────
「科挙で成り上がった士大夫は所詮〝新興貴族〟だ……あの御令嬢は、先祖代々からの〝伝統貴族〟なんだよ」
「それって、何が違うんだ」
只の金持ちさえ〝貴族〟と揶揄される昨今、
「あれが
本物の貴族
だ……!」ずっと想いを馳せていた。
歴史的文献のみに存在し、全貌を見る事は永遠に叶わない、千年に一度の女。
もしそれが、自分の目の前に現れたら。
それはきっと、それはきっと────
(楊貴妃……!)
それはきっと、『あんな姿』なのだろうと。
「それを先に聞いてりゃ、お前の渾身のギャグも、帝級クラスに笑えたんだがなァ?」
「……」
ウェイの嫌味も聞こえないほど、呂晶は『楊貴妃の生まれ変わり』に釘付けになっている。
(文句の付け所は────無い……!)
ああいう高飛車な御令嬢を組み伏せ、あの馬鹿みたいな胸を無理やり揉みしだき、大事に仕込んだ帝王学にトマトソースをぶっ掛けたい────
想像すると股間に手が伸びそうになる。
(あの楊貴妃を穢せば……アーシこそ帝王を越えた、
平民が引いてしまうほどの
あんな『権力専用のトロフィー』がいるから戦争は無くならないのだ。
(やば、想像したらムラついてきた……コポォ……)
呂晶の趣味は『ノンケの女に自分の性癖を暴露し、わざわざ嫌がらせてから腕力で組み伏せ、女の良さを教え込む』という、貴族同様に褒められないものだ。
(イイ~~~ッスゥ……イイ~~~ッスゥ……!)
欲望の視線を当然のように浴びる花雪は、肩に掛かった艶やかな髪を優雅に、偉そうに払う。
(さあ、お高い子猫ちゃん……その上品なお口から、どんなに可愛いらしい声を聞かせてくれるのかしら……?)
呂晶の心の声も上品になる中、
「そこの貴様────」
不敗の安全神話を誇る花雪象印商隊の長・花雪が、旭日に飛翔するガビチョウのような声を発する。
「〝来た〟では無い────〝いらっしゃった〟————じゃろう?」
呂晶の口が
ひょっとこ
のようにすぼむ。(ジャローン!?)
間髪入れず、
『よっ、商隊長ッ! 今日もお美しいッ!』
という世辞が飛ぶ。
花雪はそちらを見ずに命ずる。
「黙れ────」
まるで、群衆全体が『一個の平民』なのだと、
自分に
言い聞かせるように。「皆の者。今回も
皆がその
幾人か
が顔を歪めるた。(わら……え?)
自信が無い訳でもない。
高貴で無い訳でもない。
けれど、なんと言うか〝それをしない方が良く見えるのに〟と言いたくなるような、
(キャラ……付け?)
年相応と言えばそうだが、あのスタイルでされると、アラサーが制服コスプレしているような違和感が否めない。
(なんだアイツ……逆に〝親近感〟狙ってるとか?)
花雪が偉そうに腕を広げると、秘書と思しき男が、『リスト』と思しきものを献上する。
「「 ────ッ! 」」
跳ね上げるように受け取ると、末尾の数字を見下している。
(うわ……偉っそう……)
目線を聴衆に戻し、花雪は薄い唇を開く。
「今回、お前達が命を賭して守る馬車数は————五十じゃ」
広場が振動する。
『『 オオオォォォ……ッ!! 』』
まるで地属性魔法だ。
(五十……ッ! そんなにいたのかよ!?)
日本円で一台、数千万から数億を輸送する馬車────長旅なので生活物資を積んだものも混じっているだろうが、とにかく五十。
盗賊がそれらを奪うには、同じく五十の馬車隊を用意せねばならない。
そんな戦力が調達できるなら、そもそも盗賊業などしていない。
(何をそんなに運ぶ必要があんだよ……戦争でも始める気か?)
その規模が生み出す利益、成功の暁に支払われる報酬を想うと、興奮の気持ちが沸き起こる。だから歓声が起きたのだ。
いいや────
(だから〝不敗の安全神話〟か……!)
『成功の暁』など考える必要は無い。この商隊に『失敗』の二文字は無いのだから。
花雪が続けて放った、
「護衛の数は────
百
じゃ」という言葉に、更なる歓声が上がる。
『『 ウォオオオオーーーッ!!!! 』』
「百……だと……!」
腕に自信のある呂晶も、同時に戦える限界は四人。
歓声の中、隣のウェイも口を開く。
「敦煌じゃ一番多いな! この商隊も知れ渡って来てるらしい!」
「……長安の時は、もっと多いのか」
「ああっ!? 長安は大体
倍だ
! 毎回増えてるから判らんがな!」「へぇ……馬鹿みたい」
「俺らもいっちょ活躍して、実力を認めてもらおうぜ! ウォラァーーーッ!!」
ウェイは周りと同じく、拳を掲げる。
呂晶は冷ややかな横目を送る。
(なァ~にが、〝認めてもらう~〟だ。相手は小娘だぞ?)
おそらく男達は、花雪のアレが『ぶりっ子』と判っていないのだ。
小倉優子などの
そう、花雪のアレは────
(〝
最初に『コンセプト』を設定し、それに自分を近付ける『キャラ付け』
メタル系アイドルだったり、委員長だったり、お嬢様系だったり、白人女子が日本語で配信したり。
二十一世紀ではお馴染みの光景だが、この時代では────いや、二十一世紀でも初頭はかなり馬鹿にされたものだが。
(アイツは〝楊貴妃の生まれ変わり〟なんかじゃない……!)
楊貴妃をライバルと認定する『楊貴妃マニア』だからこそ、気に入らない事がある。
(アイツは〝楊貴妃の生まれ変わりを演じてる女〟だッ!)
違うのだ────
見た事は無い、でも判る。
知らない連中は〝アレ〟だと思っているけれど、本物はもっと、何と言うか親近感が持てて、
(あれならまだ、
眼鏡
の方が……!)花雪は『コンセプト』に忠実に、白く伸びる腕を大袈裟に滑らせる。
「お前達の積荷の安全は保障しよう────」
そのスタイルだから様になる、ソシャゲでよくある〝私と冒険の旅に出ましょう〟的なポーズに忠実に、美しく妖艶な笑みで言い放つ。
「平民共。今回も妾の手となり、足となれ────
頼りにしておるぞ
?」武侠達は〝我こそは〟と飛び上がり、どこかで聞いた西方語を叫ぶ。
『『
今にも量産PVが流れ出し、Live2Dで微妙に動作するキャラ群が多少の紹介テキストと共に登場してきそうな雰囲気だ。
(オイオイ、家庭教師……お前一体、何を目指したんだよ……)
呂晶は〝ウッゼェわ〟とばかりに、小指を耳に突っ込む。
(タイプじゃねーし————)
この商隊の人気がどういうものか、何となく判った気がする。
(男ってやっぱ、あーいうのが良いのか……クソだな)
それがいつの間にか病みつきになり、給料の全てをCDに捧げたり、検索すれば出てくるイラストに八十万円も賭けたりするものだ。
(〝塩対〟ってんなら、アタシもそっち系なのに……ま、アタシは先生一筋だし)
これ以上考えると苛つきそうなので、呂晶は小さな声で、
「ダッセ……」
と、けなして終わりにした。
(よく判らんけど、こりゃあ長い旅行になりそうだぜ————)
花雪は壇上から、一人の女に目を細める。
(────あの生意気な顔、どこかで見たことがある)
けれど壇上にいる者には、群衆一人一人の顔が、誰よりも見えている。
ステマを
ハマり出しのカモ。
お祭り騒ぎが好きな白人。
流される人生経験の無い若者。
異端気取りの
お零れにあやかる事が目的の
(奴のような者は、最も警戒すべき者じゃ……)
そして、明確な敵意で執着する────
迷惑なアンチ。