†花雪の悩み③† ハンコ、ガバガバメント
文字数 3,608文字
オカッパちゃん、今日遊べるかのぉ?
————うん、遊べる
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ユエは涼しい声で言い放つ。
「記憶力が良いなら覚えていると思うけど————
この封蝋は花雪が押した
」その涼しさはエアコンの設定温度を27度から26度に下げた程度なのに、まるで草食獣が肉食獣に豹変したような。花雪はその豹変の意図を早々に読み取る。
「たかがメモを取るかどうかの、何がお前をそこまでさせるのじゃ……!」
この〝花の印章〟とは、とある独立
花雪の印章
であり、この印璽を持つ者は世界で花雪だけ
。その花雪御会長様の言葉を無視してユエは続ける。
「証拠が無効化されたかのように振る舞い、安堵した相手の
言質
を取ってから〝本物の証拠〟を提示する────さっきのように証拠を見た後の言い逃れはできない
」先程の〝白塔山スタンプ〟は花雪にまんまと無効化されてしまった。けれど、そもそも『証拠を提示したらどうするか?』という取り決めさえ無かった。言うなれば金を賭けない麻雀。だが、今の花雪は『証拠を提示されれば
物忘れのヒドさを認めて反省する
〟と明言している────ユエは〝白塔山スタンプ〟という〝捨て石の証拠〟を布石に、花雪の言質
を賭けのテーブルに引き出した。しかし、「なぜ、月の印章ではなく妾の……一体それを、どうやっ————」
言い終わる前にユエが返答する。
「この封蝋は十日前、〝護衛組合へ提出する活動レポート〟と言い、
花雪に押してもらった
」「白塔山に泊まった……酉の刻……ッ!」
花雪は商品部門や経理部門を管轄し、ユエは情報部門や警備部門を管轄している。〝護衛組合へ提出する活動レポート〟そんなものはユエが確認していると思っているし、ユエもこの手の書類は部下に確認させ、花雪へ
スルーパス
することが常である。そして企業の会長とは確認もせず判子を押してしまう
もの。秘書を雇うのもそういった確認作業を代行させるためなのだから。そのような〝管理体制の盲点〟を突き、ユエは書類の束にこの封書を滑り込ませたのだ。
「花雪は内容の精査もせず、
迂闊にも封蝋を刻印してしまった
」「お前が〝護衛組合へ提出する活動レポート〟と言うたからじゃッ!!」
封蝋────それは昨今の商業組合が重要書類をやり取りする際に使う
いない
ならば、それは〝一度も開封されたことが無い〟という確たる証拠。花雪牙行も企業として〝封蝋プロトコル〟を採用している以上、その信頼性にケチを付けることは出来ない。そして花雪はこの封蝋の〝偽造〟も疑うことは出来ない。偽造ならば鑑定で指摘できるが、これが本物なのは花雪自身が一番判っている────と言うか、自分が書いたと思しき〝十日前の日付〟まで記載されている。
この封蝋を〝偽造〟と疑えうことは『自分が押している判子は全て偽物です』と言っているようなもの。
「私は予告する————」
ユエの声は更に冷たく、寒々しくなっていく。
「これはさっきのような生易しい証拠では無い。この密書が開かれた瞬間、〝花雪が偽証を繰り返していた〟という恥ずべき証明が成される」
眼鏡の奥の
「くっ……!」
十日前、
花雪自身
に封蝋させた密書。中には当然〝逃れようの無い証拠〟が入っている。この封蝋こそ、ユエが十日前に仕掛けた時限爆弾────本物の〝バスケットカウント・ワンスロー〟
「偽証が証明された花雪の主張は却下され、私は私の偽造の濡れ衣を払い、完全勝利を納める。それが司法というもの────そうは思わない?
高飛車なお嬢様
」「────……ッ!」
言い返すことも出来ない花雪に、ユエは最後の恩情を与えるように声を掛ける。
「花雪、約束したよね……? 花雪の物忘れのヒドさを証明したら〝反省してメモを取るようにする〟って────」
その声色が変わる。
「米門には、あの約束はメモしてもらって
いない
から、安心して?」「────ッ!」
花雪の瞳が一気に憎しみに染まる。
「この封蝋を開ける前に、花雪が『さっき自分がした約束を忘れました』と言えば、私は『
お可愛い子
』と微笑みながら、水に流してあげる」「キッ……サマァ……ッ!」
恩情など微塵も無い。ユエの言葉は『
〝今しがた約束した事まで忘れる〟など最早、物忘れを通り越した道化────いいや、〝忘れた演技で煙に巻く〟という行為を楽しみはしても、忘れた演技を
させられる
とは、権力者の花雪にとっては天上の屈辱。「でも、これを開けた後では全ては手遅れ────容赦はしない」
「誰が……そのような……ッ!」
貴族とは『芸を見せて媚びてみよ』と言う立場。その貴族が芸人のように道化を演じ媚び
させられる
など、靴を舐めるに等しい屈辱。(かと言って……かと言って、この封蝋が開かれれば……妾が辱めを受けるは必然……っ!)
花雪には〝負け確〟の末路しか残されていない。この嬲られている状況自体が、既に屈辱。
「そう────言い訳が無いなら、米門。その蝋封を開けて」
「……ッ!」
花雪の身体が〝ビクリ〟と跳ね、
『ハッ、不肖ながらこの私めが、開封させて頂きます』
秘書が脆い封蝋を摘んだ瞬間。
「米門よ────」
『……はい?』
花雪は秘書を〝ギョロリ〟と見下す。
「貴様が無礼にも、その印を砕きしば……
貴様の月俸を八割減に処す
ッ!」秘書は聞いたことも無いような声を上げる。
『へぃっ!?』
勝ちを確信したユエの〝嬲り〟────それが敗北を何より嫌う貴族、花雪を追い詰めてしまった。
『は、八割……減俸、ですか……?』
「再考は無いィィィッ!! 八割と言うたら八割じゃァァァッ!!」
花雪は最後の手段に出た────ブラック企業の社長がするような〝従業員への恫喝〟
『あの……私は、その……』
秘書は当然の弁明を行う。
『私はユエ様に、この封書の管理を任されておりまして……秘書の業務と言いますか、その、何の罪も無いと言いますか……』
花雪の眉が八の字を描く。
「罪が無い————……じゃと?」
『は、はあ……』
「貴様、それを本気で言うておるのか……?」
『えっ』
失態を暴かれる————それは貴族にとってこの上無い屈辱。『必死に逃げたけど怖い人に捕まっちゃいました』という、チンケな犯罪者と同義。
「貴様がユエのコネで推薦されし〝ユエ派閥〟である事は承知しておる……じゃが、貴様の業務は妾の秘書じゃ」
『は、派閥など、とんでもない……私は忠実に業務を果たす、一従業員にございます……』
人を殺して罪に問われるのが平民、人を殺す権力を持つのが貴族。
平民なら死刑になる罪を犯し、無罪になるのが貴族の証。
〝上級国民は母子を轢き殺しても逮捕されないなんて間違ってる〟そんな下々の言葉など、上級国民にとっては賛美でしかない。
「黙れ────どのような立場たろうと、貴様如きがその印章を砕くこと即ち……」
本物の貴族は『逃れようのない証拠』を握り潰す。
「この妾への、侮辱と知れェェェーーーイッ!!」
『ええーーーっ!?』
たとえあからさまだろうと、
たとえ全国民が〝アイツが悪いに決まってる〟と罵ろうと、
「妾は言ったことは必ず実行する女ぞッ! 八割減と言うたら八割減じゃァァァー--ッ!」
堂々と開き直って隠蔽する。それこそが
『そんなァ、それはあまりに……』
「貴様は妾を貶める密書を処分もせず、のうのうと持ち歩いておったッ! これが失態で無くして何と言うッ! 弁明があるなら答えてみよォォォーーーッ!」
今の今まで追求されていた花雪が、もう叱る側に回っている。
「はあ……」
ユエが溜息を付き、
『し、しかしですね……』
秘書が困惑する中、
「じゃが、お前がその密書を今すぐ〝処分〟すれば————」
花雪は〝悪魔の囁き〟を行う。
「貴様の給与を
五分増しにしてしんぜよう
」『なっ!?』
秘書は驚嘆し、ユエは〝信じられない〟という調子で首を振る。
「さあ、選ぶが良い────……八割減俸か、五分の昇給を受けるか……!」
花雪は悪魔のような笑みを浮かべる。
「なァに、簡単なことじゃ……〝ちょっと用を足す〟と言って隊列を離れ慌てて戻り、〝イキんだ拍子にうっかり炎孔で書類を燃やしてしまいました〟と、報告するだけで良いのじゃよ……クックック……!」