†貳† 学級委員長の性被害申告
文字数 7,642文字
καλώς ήρθατε σε ένα υπέροχο ταξίδι
撤退開始まで1時間53分00秒。
深層六階。半人黒蛇が尊厳を捨てて守った、狭くて湿った通路。
「まったく、命を賭すにしては、みすぼらしい道じゃ……」
花雪は眠気とストレスを紛らわせるため、前を征く背をからかう。
「どうやら【黒き者】とやらは、ほとほと犬死ぬ【属性】のようじゃな?」
黒を基調とした盗賊・イエンは、壁に手を付けて進み、独り言のように呟く。
「俺もそうなら……
「……!」
期待していたものとは違った返答に、花雪も独り言のように呟く。
「……フン、何が〝天に反旗を翻せし者〟じゃ……」
花雪はイエンの〝死ぬことと見付けたり〟という美学を嫌っている。そしてイエンはそれを
そのイエンの戦友を殺してきた張本人とは、花雪
「天に反旗を翻せし〝者〟にあらず」
その花雪牙行長様の御言葉を、イエンはめざとく訂正する。
「天に反旗を翻せし【黒】にして追憶の贖罪にまみれし【
「……」
花雪は前を征く背に目を細め、くびれた腰に括った鞘から【
「では反旗を翻せるよう、お前
も
あちらに送ってやろうぞ────」真っ黒な柄に、金の装飾が施された骨董品のような剣で、イエンの背を
突っ付く
。「うあっ……! いっ、痛いぞ!?」
〝チクリ〟と走った刺激に振り向き、イエンは眼帯では無い方の目を丸くする。
「なっ……!? 貴様、背中の傷は武人の恥なんだぞ!」
この狭い通路で、背後のヒスった女が自分に刃物を向けている────
これが家庭内や町中の日常なら、たとえ包丁や笹塚の百均の果物ナイフであっても110番され、銃刀法違反や軽犯罪法に引っ掛かる一大事。
付けられた傷は血が滲む程度の小さなものだったので、裁判沙汰にはならず〝カップルの痴話喧嘩〟といった具合で処理されるかもしれないが────それでも武人が背中に傷を付けられしは、生娘が処女を貫かれたに等しい一大事。
一方、武人の破瓜を奪った張本人は、一切の罪悪も冗談も無い、真剣な眼差しで言い放つ。
「貴様は犬死が好きなのじゃろう? 遠慮するでない、派手に逝かせてやろうぞ」
これはイエン達盗賊を抹殺する際、横陣弓隊に『放て』の号令を下す時の顔だ。
イエンは憎むべき仇敵、花雪牙行会長・花雪に対し、なんとか反論を絞り出す。
「そういう意味では無いっ! こう……アレだ! 〝死ぬことと見付けたり〟とは、後に続く者達に大いなる何かを託す【意味のある死】的なアレであって────……」
その反論も終わらぬ中、花雪は得意の剣舞から繰り出す、ほぼほぼ本気の『連突き』を放つ。
「下らぬことッ! ほざいて、おらぬでッ! 早う、進めェ────ッ! ケツが詰まっとるんじゃァッ!」
人に刃物を向けること自体問題ではあるが、実際に刺しては通り魔そのものだ。
イエンは狭い空間を目一杯に使い、フラダンスのように回避する。
「ちょっ! おまっ! 頭がおかしくなったのか!?」
当たりそうで当たらないその動きに、花雪のストレスがますます募る。
「
「メチャクチャだ、この女ッ!」
走り出したイエンを花雪が追撃する────その後方。
背後の大男と二人きりにされてしまったユエは、華奢と
「あっ、あの……」
誰にも聞こえていないけれど、誰にも聞かれぬように。
「命令、違反……叱らない……の?」
親も、家臣も、家庭教師も、あらゆる面で発揮される天才性に驚くばかり。もちろん叱られることなど無かったし、そもそも優等生だけに叱られることなど無かった────この間、自分を助けた大男が『馬鹿野郎』と怒鳴り付けるまでは。
「ん? ああ……」
そんな〝初体験〟を奪ったことも知らない大男は、頭をぶつけないよう天井に手をあてがいながら
「引き返す時間も無かったしなァ……むしろ、よく決断してくれた」
褒められているのに、ユエは不満気な声を絞り出す。
「そう……だけど……」
それは〝結盟の副長でありながら頭領に背いたことを反省をしている〟と言うより〝もう一度
「叱るって言やァ、散々
アイツ
に〝無駄〟て判らされたよ。最近じゃ、大抵のことは頭に来なくなっちまった。ハハ……」「そう……」
「
アイツ
に比べりゃ、お前はホントに出来た子
だよ」「……っ!」
ウェイが励ましで放った言葉は、ユエが物心付いた時から言われ続け、ウンザリしていた言葉────いいや。
今まで何とも思っていなかったのに、なぜか最近、急に嫌いになった言葉。
「違う────……」
更には〝自分が欲しいものを独占している者がいた〟という事実が、何不自由なく育てられた優等生に火を付けた。
「私は、ムカつく相手をぶっ殺さないと気が済まないの。
アナタも気を付けることね
」つい、その者のように〝ワル〟な台詞を口にし、
(……え?)
焦燥が込み上がる。
(わたし、今……なんて言ったの?)
明晰な頭脳を持つ本人さえ、それが〝対抗心〟から出たとは気が付かない。何故ならそれは優等生には全く似合わぬ台詞で、つまりは全く対抗できていなかったから。
本人さえ意図不明な言葉に当然、背後からも驚きの声が上がる。
「えっと、
その声が益々、ユエの巨乳を締め付ける。
(どうしよう、慣れないことを言うから……!)
振り向かなくても判る。後ろの大男は今、自分に怪訝な目を向けている────顔が熱い。きっと暗がりでも判るほど、真っ赤になっている。
(振り向いては、ダメ……!)
今、後ろの者に顔を見られる────それだけは〝最優先で回避しなければならない事項〟であることは判る。
そうやって今判ることを羅列し、少しずつ、木陰で黒唐詩編を解読する時のように、冷静に状況を把握していきたいのに、
「良いんだぜ? 気に障ることがあったら、何でも言ってくれ」
そんな猶予を与えるどころか、後ろの大男はいつも、こちらの心をかき乱し、かき乱した心を更にかき乱すように、言葉の槍で何度も何度も突いてくる。
(違う……ウェイは何もしていない……)
気に障るも何も、自分の心理状態さえ判っていない。
「お前が副長になってから、世話ンなりっぱなしだからなァ……実のとこ、マジで助けられてる」
頭が追い付かない。
(違う、助けてもらったのは……っ!)
もう、今判っていた事さえ判らなくなった。
一生懸命勉強しても、勉強したそばから消えていく。まるで悪夢のような現実。
「なんつーか、俺も頭領として、もっとお前を理解しないとなァ~……みたいなさ」
(お願い……少しで良いから……待って……)
自分の意思とは無関係に、自分の明晰な
(思考の、時間を……ほんの少しで良いから……っ!)
自分もイエンのように、スカートひらり翻し走り去ってしまいたい。
けれど頭の良い自分には、そんな事さえ出来る勇気が無い。この大男から逃れることが出来ない。この大男はユエにとって、もはやレイプ魔と同義。
(いえ……? でも、何もされていないなら、そもそも私があんなことを言うハズ……────あ、そうだ……)
自身の非を認めぬ優等生は、ハタと思い出したそれを批難し、レイプ魔に儚い抵抗を行う。
「私のことを、その……ロリ————と、呼んだ」
けれど大人しい優等生は、その批難も〝最初の二文字〟しか口に出来ない。『他の子より大きいかもしれない……』と、気にしているのは〝その後の二文字〟なのに。
「いっ……そんなこと言ったか? すまねぇ、十八って言やァ、もう大人だもんな」
「そうでは、無く……」
ユエの巨乳が更なる後悔に押し潰される。
(誤解まで、招いてしまった……)
誤解とは例外無く良くないもの────いいや。このレイプ魔に誤解されることが耐えられない。
些細なことでも一番に理解して欲しいのに、いつも自分勝手で、こんなに近くにいるのに〝理解したい〟なんて嘘ばかりで、こんなに近くにいるから顔が熱くて、苦しくて────自分がどうなってしまうか判らない。
(誤解を解く必要がある……! 一刻も早く、最優先に……っ!)
今にも沸騰しそうな頭で、それでも優等生は平均以上の思考を行う。
そう────『
後半の二文字
こそが問題であり、前半と合わせると尚問題である』そう説明するだけで良いのだ。「……っ……ぁ……!」
答案は作成できたのに。なのに────
(声が、出ない……? どうして……言わなければならないのに……頑張って、言わなければならないのに……!)
〝セクハラ被害の申告〟とは痴漢被害のそれと同様、大人しい女子が行うには山よりも高いハードルがある。特に相手がこの男の場合、
自分のコンプレックスを自分で告白させられる
────そんなこと、この大男に対して、絶対に出来るワケが無い。(〝あの二文字〟に触れず〝あの二文字〟について……どう説明すべき……?)
優等生が慣れないパニックに陥っている最中────背後の大男は歯切れの悪い心中を
(〝ロリ系〟てのは、チャームポイントっつーか、誉め言葉だと思うんだがなァ……)
大男も、その言葉には大層心当たりがある。『ロリ系なのに
色々
しっかりしてる所がソソるんだよなァ……』などと、近頃よく想っていたところだ。だが、こちらにとってはチャームポイントでも、本人はそんな所が嫌なのだ────変わりたいのだ。
(確かに、花雪みたいな女が近くに居たら……そういうコンプレックスも持っちまうだろうなァ……)
自分としては変わらないで欲しい。今のままの君でいて欲しい────既に自分にとってこれ以上無い存在で、それが変わってしまうと思うと、黄金比が崩れてしまうような不安が込み上がる。
しかし、自分もいつも『好みは人それぞれだ』と〝あの者〟に説いているではないか。その度に『生物の進化上、人間の好みには一貫性がどうのこうの』『好みが人それぞれなら、どうして〝人気〟という概念があるのか云々』と、ムキになって反論されるから、近頃は面倒で言うのをやめたけど────
ともあれ自分とて、もうアラサーともあろう大人である。男子高生のようにウジウジした事は言っていられない。悩める女子高生を導いてやらねばならぬ立場。
(いや、待てよ────? 俺も十代
コーハン
時と言やァ、ガキ扱いして来る連中に〝ぶっ殺す〟とか言って、殴り掛かってたじゃねぇか……っ!)過去の自分を思い出し、ウェイの頭に朧げながら、掛けるべき言葉が思い浮かんでいく。
(なんてこった……〝まだまだ若い〟と思ってたが、俺もいつの間にか、頭がオッサン化しちまってたらしい……たっはァ~~~っ!)
男とは、女優やアイドルを見ては『あんな女と付き合いたい』と言う────それは大いなる間違いだ。
女とは原石────接する男の器こそが、その輝きを研磨する。そして、研磨されたその輝きの色は、その女だけが秘めている光。個々の協調は美しいけれど、個々を失わせて一様に光らせたものは美しくない。だから千年後でも『人口ダイヤモンドを贈るのは失礼』などと言われるのだ。
『人間は一様にクソである』などと抜かす〝あの者〟に唆されてはならない。
俺だって、君だって、自分自身に自信を持てば良いだけなんだ。
「いやァ、なんつーのかな────……」
自称〝女心の判る男〟は、多少の反省の後、その女子の
イケボ
で囁く。「
後ろ姿
なんて、スゲー大人
だぜ? よく言う〝ギャップ萌え〟ってやつだよ」その言葉に、眼鏡の奥の瞳が見開く。
「……!」
「人にはそれぞれの……魅力、つーのか? が、あるもんさ。俺は、その────お前だけのその魅力を、
大きく
していって欲しいんだ」「……っ!」
(ウェイは、今……私の────を……?)
自身の
アレ
を指す。今、背後の大レイプ魔は、あろうことか自分がコンプレックスを抱いている
アレ
をしげしげと眺め、物思いに(聞いたことが……ある!)
脳内に渦巻いていた〝アレ〟と〝叱咤〟が融合を果たし、それは優等生に〝とある平民の風習〟を想起させた。
(
普通の家庭
では子供を叱る際……ケ————を、大きな音が鳴るくらい、思い切り……!)皆の模範たる優等生の自分が、反論も抵抗の余地も無く、背後の大男から乱暴な『それ』を受ける。
瑞々しく弾ける甲高い音。それが響くと同時、積み上げてきた自分の優等性が喪失していく。それを何度も、何度も。涙を流し、人形のように尽き果てるまで────
明晰な頭脳は、その情景を脳裏に鮮明に
(クックック……ロリ系の癖に、こっちはこぉ~んなに風紀を乱しやがってェ……イケナイ優等生にはキッツイお仕置きだぜェェェーーーッ!!)
「……────ッ!」
〝フワリ〟としたショートボブが〝ビクリ〟と跳ねる。
〝フワリ〟と戻っていくそれと反比例して、怒りと屈辱が湧き上がる。
顔は更に赤く、炎のように熱くなっていく。
優等生は振り返り、か弱い拳を震わせながら、憎しみの瞳でレイプ魔を睨み付ける。
「許せない……! 屈辱的……っ!」
「いっ────!?」
今度はウェイが焦燥する。
(ヤべ、オレ何かマズッたか!? 十八の女心、全然判んねェ!)
〝叱られフェチ〟という特殊性癖に目覚め掛けてはいても、遅めの思春期を迎えた優等生に〝スパンキング〟は刺激が強過ぎる。
ユエは〝プイ〟と前を向き、スタスタと歩き出して言う。
「その発言は、結盟の長として著しく不適切────今の件は記憶から
副長の普段の涼しい声に、五十名の
「そう……してくれると……有り難てぇ……ッス」
一回りも歳下の眼鏡委員長をたぶらかした報いをウェイが受ける一方────
洞窟を抜けたイエンが呆れた声を吐き出す。
「あの黒蛇……〝小小〟と言ったか。あの巨体で皮肉が効いている……」
全高十五メートルで〝小小〟とは皮肉が効いているが、やはりその道は皮肉にも、十字路に分岐していた。
此処まで来てまたの三択────精神的にウンザリする中、イエンは眼帯では無い方の目を瞑り、片手を虚空に掲げる。その手を左から右へ、ゆっくりと振る。
「この感覚……────こっちだ」
その手は何かを捉えたように、
北
へ〝ピタリ〟と静止した。花雪はイエンの手の先を覗き込み、その眼を怪訝にイエンに向ける。
「また、いつに無き自信じゃが……根拠を聞いてしんぜよう」
疑いの目を向けられたイエンは何かを掴むように、己の掌を握り締める。
「そうか……【堕ちたる黒】である俺にしか、視えぬのだな……」
それは、憂い、哀愁────寂しさにも似た声だった。
「この、我が
「暗黒の……鼓動じゃ?」
〝鼓動を
視る
〟とは、共感覚のようなものだろうか────〝殺気〟だの〝闘気〟だの、武術に日が浅い花雪にとってけれど、自分もユエという理解者が現れるまで、寂しい日々を過ごした記憶がある。
『呪いについて調べると呪いに掛かり易くなるのでやめなさい』
『
『お前の母もそうやって、周りを不幸にした』
我儘で聞き分けが無かった自分は幼少時代、こんな強引な言葉で親や家庭教師によく説教されたものだ。
(災いに共鳴……災いと〝同質〟の者……?)
自分の意思とは無関係に〝それ〟を背負わされた者とは一体、どんな気持ちなのか────
誰にも理解されないのは辛いこと。
誰にも信じてもらえないのは辛いこと。
だから今だけは、疑いも諍いも忘れ、耳を澄ましてみようと想う。
(暗黒の……鼓動……)
彼のように虚空に手を伸ばす。
感覚を高めるべく、彼のように目を瞑ろうとした、その時────
「……っ!」
大きな眼が見開き、腕ではなく顔を四方に振る。
「他は全部、
上り
ではないか────っ!? なにが、左眼じゃァ……!」此処まで来れば何となく、もう法則性は判っている。ただ安直に下れば良い。
『安易な道には罠がある』そう思いきや、そうやって深読みする者ほどハズレを引く。捻くれ者の彼らには相性の悪い迷宮。
「この、クソ雑魚平民めェェェエエエーーーッ!!」
先刻も半ばヤケになりイエンの【共鳴】に賭けたが、やはり一番大事な三択で
「おい、蹴るなよっ! 痛いぞっ!?」
この墓は
現在────
宋暦139年 元符2年、
ヒジュラ歴492年、
カトリック暦1099年 11世紀末、
皇紀1759年 承徳3年、
世界創造紀元6607年、
地球が一兆何千億回回った夏、寅三つ刻、
撤退開始まで1時間45分55秒においては、そのほとんどが残存し、拡張工事までされている。
けれど、栄えある降下作戦に傭兵された
「早よう進まぬかァッ! 男は三歩ォォォ……────前なんじゃァァァアアアーーーッ!!」
花雪はその最深部へ、イエンを蹴り進める。
「ぐはぁあああッ!」
イカれた者達はそんな道に惹かれ合い、人知れず殺し合う。