†零肆† Ⅶ章エピローグ・千年後の君へ
文字数 3,831文字
ニーチェ
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その姿をどうやって知ったかは知らない────
だが、その姿を世界で一番知っているのは、この俺だ。
『……』
〝ポカン〟と開いた化物の口角が悪魔のように上がっていく。
『きゃっ……しゃっしゃっしゃっしゃっしゃ!』
神武の顔を見つめたまま、白い太腿を鶏のように叩き出した。
「何が
『ヒュヒュ……ッ! うぬし、強いのに面白い雄なの……きゃっしゃっしゃっしゃ!』
「冗談など言っていない」
〝化物の笑いのツボなど判るか〟と思うと同時、
『ワシは〝うぬしの希望なのじゃ〟って、言ったにょに……ヒュヒュヒュヒュ!』
「そう聞いた、だから————」
白霊は素早く手を向ける。
『やめるのじゃ! 〝天丼はお腹を壊す〟のじゃ!』
「……?」
その手を握って口にあて、内緒話のように『秘密』を教える。
『実は、うぬしの遺伝子は、このような姿と鳴き声に発情するのじゃ……どぅひゅ、ひゅひゅひゅ……エッチナノジャ』
神武は耳慣れない言葉の意味を————文末では無く文頭の方を考える。
「遺伝……子?」
どうしても殺せない『100%襲われない擬態』その意味を考える。
(おおよそ、俺が……人間が思いもしない概念……)
神武が下を向くと、白霊は身体を屈ませ、雑技団のように背を反らし、上目遣いで覗き込む。
見つめ合いながら真実を告げる。
『ワシは、月英とやらを真似ていないのじゃ』
真実はいつも残酷なものばかり。何故ならば────
『
月英とやらがワシに近いのじゃ
』真実は、誰の為の物でも無いのだから。
(やっと理解した────)
この化物はずっとこう言っていた。
〝お前はロリコンである。月英についても心ではなく昔の外見に惚れていただけ〟
何も言い返せない。実際に斬れない。
何も言わずに月英の元へ歩み出す。
神武が背を向けた途端、白霊の顔が悲壮に歪む。
『うあっ!? 待ってなのじゃ!』
失礼な事を言った自覚はあるのか、何処かのテレサのように慌てて後を追う。
『ちゃんと戻るのじゃ! 裏切ったら食べちゃうの、じゃ————っ!?』
何歩か走っただけで、尾がアンビリカルケーブルのように限界を迎える。
『のあ……っ!』
引き戻されるようにズッコケる。
『のぉぉぉ……!』
「……?」
振り返ると幼女が〝バタンキュー〟している。
その哀れな化物に、これからの味方に、神武は心なしの励ましを送る。
「……心配無用だ。誰にも触れさせはしないよ」
世界に向かって歩き出し、世界に向かって腕を広げる。
「黒殺龍亡き
理想の異性。 誰もが一度は想いを馳せるこの言葉は矛盾を孕んでいる。
人間に未だ見ぬ理想を想像する能力など無い────
けれど対象の遺伝子を解析し、未だ見ぬ理想を100%の精度で予測し、100%の精度で擬態する者がいたら。
「今にお前も上回る。さすればお前
が
、永遠に俺の物だ」神武に『世界を敵に回しても月英を助ける』といった
そんな
「俺は、俺より強い奴がいる世界が許さない────」
自暴自棄になっていた理由も
元
最強の楊汀を殺してしまったから。新しく見付けた『
理想的
な相手。おまけにその理想の相手は、
(カッコイイ……!)
強くてキモイ男を理想にしている。そういう『遺伝子』を求め悠久の時を待っていた。
その白霊は神武の後ろ姿に己の企みの成功を確信し、歓喜する。
(放射性物質……! これが〝運命〟と言うのじぇ……!)
白霊が生成した物は放射線で破壊されたDNAに反応し
更に攻撃する
ウィルスベクターに部位的変異ヌクレアーゼを搭載した『レトロウィルス』何でも作り出せる自分の大得意分野。まさに運命。
(うぬしが
ゲノム編集を行うナノマシン
なのじぇ)月英は遺伝子修復機能を得るが、ウラン238の半減期は
月英とやらには嫉妬もあるが、同時に永遠のキューピット。それに多少の嫉妬がある方が燃える。全力で行ける。やる気が漲って来る。
『〝さすればお前は、永遠に俺の物……〟』
その言葉を反芻し、青白い顔を紫に染める。
(天賦の雄に宿りし〝天賦の欲〟は寄りにも寄って、自身が最も弱いと認識する雌ガキからの嘲笑と
侮辱
……笑ってしまうほどキモイのじゃ)月英が〝もう良い〟と言う、
自分が〝もう嫌だ〟と投げ出す、
月英より優先するものが出来る。
そういったもろもろの可能性を潰す
「
詰まれたのはワシ
なのじゃよ? それって、もう……? キシャーッ! ちょっと煽るとすぐ絡んで来るのじゃ! キシャーッ! 二十六年生の雄、ワシより強いのにチョロいのじゃ! キシャーッ!」白霊は二つの自爆技を持っている。
【サクリファイス・サンク・ティフィカーテ・クワトリウス】
ホツカオ熙・ヌ、ケが量子を拡大させ、電子の回転半径を半減させる。粒子は光子に、有機物は無機物に、無機物はレゴリスに分解される。
射程50メートル、最速発動5秒、半減期15分、再発動一分、自身も逆相のイオン交換を行い防御せねばならない。
(もう一つは使えば死ぬし、大した効果は起こせないのじぇ……)
5秒も隙を見せれば神武は白霊の首を落とす。神武の自爆技は白霊の射程外から白霊を殺す。
好みの姿に化けて命乞いするしか生き残る方法は無かった。
でも、それで良かったのだ。
『ワシ、意外と弱いのじぇ……
〝自分を殺しに来る勇者〟を夢見て、色んな仕掛けを作っていたから。千年も。
(【地上へ至る天使創造大計画】に適応せし優性────あの雄が帰って来たらワシは……
守られて
シマウノジャ)蛇とは手足を持たない生物であり、それが行う『性交』は『寝る』『抱く』といった様相では無く、絡み合う『しめ縄状態』で、時にはその性交を数日間も続ける事がある。
何故それほど性交が長いかと言えば、オスがメスを追い掛け、いざ後ろから『ドッキング』を果たそうとすると、雌は急にスピードを上げて逃げ出し、それをまた雄が追い掛け————という焦らしと絡み合いを延々と続けるからだ。
その『
『さて、可愛く嘲笑う練習でもしておくのじゃ、ナノ』
雌蛇は性交で得た精子を
体内で保持することが出来る
。場合によっては数年保持し、多数の子供を好きなタイミングで産み落とせる
。その過程を隠語で表せば『地上へ至る天使創造大計画』といった表現になるのかは判らない。
そんな事を想いつつ、新しい
「なあ————」
『なのっ!?』
神武が戻って来た。
『も、もう帰って来たのじゃ……そ、そんなにワシに会いたかったのじゃ……二十六年生の雄、エ、エッチナノジャ』
「帰り道を忘れた……!」
神武は真顔に、白霊は〝あんぐり〟と口を開く。そして、
『ぬ、ぬぁ、なぁぁぁ……!』
青白い顔がみるみる怒りに歪む。
『来たのはうぬしなの! ワシが知る訳ないの! 小小に教えてもらうのじゃ! キシャーッ!』
地団駄を踏んで南を指差す。
「奴が執事という訳か。判った」
(やっぱり、コイツも馬鹿なの!)
千年に一度の勇者はまた背を向け、歩き出す。
(この世界、ワシ以外全員、馬鹿なのじぇ!? もう月英とやらも
その神武の足が止まると、
「しかし、困ったな————」
『……?』
地団駄もピタリと止まる。
「こう行き来に時間が掛かると、月英と会う時間は少なくなる……」
『むぅぅぅっ!』
青白い身体が紫に発光する。
「戻ったら色々考えようか。お前を
守る
やり方を」『────!』
青白いまぶたをパチクリさせる。
『そ、それは〝共同作業〟なのじゃ?』
「そうなる。あと寝床とかもな」
『寝床……エッチナノジェ』
「行ってくる」
『いってらっしゃい、なの……』
後ろ姿に〝ぼそり〟と呟く。
『猶予は、一日なのじゃぞ……?』
神武は振り返り、目を細める。
「二日だ、お前が自分で言った」
『……』
行ってしまった。
(ま、まあ別に、時間はたっぷりあるの……)
千二十六歳の雌なのにチョロい白霊は自身のチェックを再開しながら、自分に運命をもたらした月英という哀れな雌に想いを馳せる。
(中性子線に抗えず【引き寄せ】も出来ない生き物が、よくも知的生命まで進化したのじぇ……遺伝子を再構築するなら破壊は必須なのに……)
白霊は『放射性物質を選択濃縮する酵素』によって自己遺伝子を破壊、レトロウィルスで書き換え、再生することで擬態を行う。
(あれ、どうして中性子線で核分裂しないのじぇ?)
舌を出し入れすると、尾が青白く光る。
(青方偏移したアルファ線タキオン性反位体、量子相関ナンバリング済……ふむふむ、放射線を集めてしまう方なの────そう言えば下の跡地にも一基残存していたの)
人間には理解出来ない事を考えながら、白霊は下方を見据えて呟く。
『仕方ない、夫の玄関を作ってやるか……ナノ』
奇譚収遺使禄.Ⅶ:終