†拾貳† キリスト正統教会
文字数 5,108文字
差別に震える薄い肩にヴァリキエが手を乗せると、その身体が〝ビクリ〟と跳ねる。
「────ッ!」
「気にするなルシラ。お前のせいじゃない」
地下五階────夥しい被害をもたらした炎帝神武 最期の一撃。
阿鼻叫喚の中でルシラも右腕を切断されていた。皮膚、筋繊維、神経、骨。ひとつだけでも耐えられないのに、それらが同時に焼き斬られ、ショック症状に陥った。
それでもルシラは【
おかげで気付いた者もほとんどいなかった────たまたま発見された相手が悪かった。
「でも……でも……!」
右腕が繋がった時、心の底から安堵した。〝この腕を一生大切にしよう〟と誓った。皆が苦しみ死んでいく様を見下ろし、自分だけが救われる『それ』に悦んでしまった。
今までの人生で体験した事も無いような、自分の知らない世界の悦びを知ってしまった。
頭痛薬でさえ半分にして飲む気弱な女が、初体験でヘロインでもキメられたように。
「でも、ヴァリキエ────……っ!」
そしてヴァリキエが、いつも『それ』を抱えていた事を。
自分より十歳は歳上だろう〝先輩〟の純心さに、呂晶は〝ボソリ〟とほくそ笑む。
「……ウケる」
一体どれだけ箱入り娘で育てられれば、あの年齢で十歳のような倫理観を保てて、何故そんな者がこの場にいるのだろうか。多分、元々貴族か何かで、家が没落して放浪の身になった所を運良く
それら全てが面白いし、あのヴァリキエが『それ』を無駄に守ってやろうとしているのがまた面白いし、だからこそもっと、もっとイジメたくなってくる。
(早く答えてよ、勿体ぶらずにさァ……)
戒律を曲げることなど、キリスト教にとっても、呂晶にとっても得意技なのに。
おまけにヴァリキエは、冷徹を纏うその実、
「いいだろう。了承した」
かなりの〝
(
より罪深き者とは、果たして誰か。
質素に満足すれば、悔いたりしない、何も思わない、次の日には忘れている。悔いたり自分を罰してる時点で〝もうそれの事しか考えられない〟という程に
ドハマリしている
のに。性格の悪い阿片中毒者が、満面の病笑を浮かべる中、
「ちょっ……!」
ヘレンだけが驚きの声を上げる。
「良いワケありませんわ!
主への冒涜
でしてよ!?」「……────ッ!」
ルシラが右腕を抱える中、ヴァリキエは自分に言い聞かせるように返す。
「この地の者が従うのは、この地の神だ。我々もこの地にいる以上、ある程度の柔軟性を持つべきだ」
バレてしまった以上、
けれど、ヘレンが反対する理由は他にある。
「そんな……っ!」
ヴァリキエの治療術は、ヘレンとヴァリキエの大切な出会いであり、大切な絆。
本当はルシラにも
使って欲しくなかった
────この岩場に善人などいない。そこへ無神論者が口を挟む。
「アタシは神とか信じないけど?」
意地悪な踏み絵に、ヴァリキエは無難な返答を行う。
「価値観、という意味だよ」
「さっすがキリスト教徒。慈悲深い詭弁だ」
そう言って二人は立ち上がる。
「お? 終わったかァ……」
ウェイ達も重い腰を上げる、休憩は終わりだ。
「あの雌猿の言う通りにするおつもりで……!?」
食い下がるヘレンにヴァリキエが耳打ちする。
「もうすぐ私の
身体は治癒できても装備はそうはいかない。
落とせる
崖っぷちで交渉術を巡らせていたのは黄色人種だけでは無い。
「ですが……!」
「問題無い。お前以外に奴の首は落とせはしないよ」
「ですが、わたくしは……!」
「ヘレンはもう少し休め。顔色が悪い────」
「わたくし、は……」
その先の言葉は、声に出来なかった。
「バルは鱗を片付けろ。
「
先駆け
。『
禁じられた武器を持つ
ヴァリキエは呂晶に問う。
「シーナへの説得は任せて良いのか?」
呂晶は両手を広げて返す。
「当然だ。アタシはお前らと違って人気があるから、逆に人気者になり過ぎないよう注意を────」
言葉を遮り、ヴァリキエは指示を続ける。
「治療と加護は私、神父、ルシラで行う。ルリア、ヘレンを頼む」
「ヘレンっちぃ、おいでぇ~♪」
「……」
「♪」
トボトボと歩み寄るヘレンをルリアが抱き締める。
「念には念だ……人を虫ケラのように殺せるまで落ち着かせろ」
ヴァリキエがそう耳打ちすると、ルリアはハープを掲げる。
「ばっちこぉ~い♪」
ヴァリキエは、自分の魔法を信頼してくれている────
「……」
けれど、それは自分が欲しい気持ちとは違う。
「……────目が三つになっても知りませんのよッ!」
メンヘラは苦笑う。
(目が三つね、ヴォエ……ぜひ見たいってもんだぜ)
「つー訳で————イエン、アンタは救助の間、本陣の注意を引け。動いてれば地面のヤツにはそうそう当たらない」
続けて、前線に向かって呼び掛ける。
「戦闘中の者ォーーーッ!! 手の空いている者ォーーーッ!! 距離を取り、雑魚を掃除しろォーーーッ!! 異邦人が協力し、態勢を立て直すッ!! ────アーシは蘇生の手伝いすっから」
イエンは眼帯では無い方の目を細め、遠くを見る。
「別に……あの白蛇を倒してしまっても、構わんのだろう?」
もう一度、他隊に呼び掛けようとした呂晶も振り返り、目を細める。
「て言うか……お前
が
倒されてしまっても、構わない感じだけど?」「何だと。それが物を頼む態度か」
イエンが睨むと呂晶も睨み返す。
「何だよ、お師匠様の指示だぞ」
「教えを乞いたのは気の迷いだ。貴様の言うことなど聞かん」
「おい、厨二。〝ワガママ〟って言葉は知ってるか?」
「知っている……お前にだけは言われたくない言葉だ」
ヴァリキエが歩み寄り、ギリシア語で話し掛ける。
「
「……ほう?」
怪訝なイエンに続ける。
「
最後に呂晶へ目を向ける。
「なんと言った?」
イエンが問うと、呂晶は棒読み気味に通訳する。
「……────恐ろしき力を持った暗黒剣士、君の力の解放は危険過ぎる。奴は突付くと子を生むから攻撃は控えてくれ」
イエンが眼帯では無い方の目を向けると、ヴァリキエは静かに頷いた。
「なるほど────そういう事情であれば道化に徹するも
リスク
を伴うからな……」暗黒微笑で見つめる、己が手を握り締める。
「まあ、解放すればあっという間ではあるが……クックック……だがその
「早く行けよ」
「お前の為では無い————」
一人、戦場へ歩むイエン。
ウェイがイタズラな声を掛ける。
「おっ、カマ掘られ役か? ご愁傷様だ」
イエンはウェイを一瞥する。
「この俺の、真の力を見るが良い……!」
ヴァリキエが言ったのは〝そこの武人、奴は突付くと子を生むから攻撃はしないでくれ〟だけだ。
「戦闘中の者ォーーーッ!! なあ、下がれつってんだろ? 下がれァアアアアーーーッ!!!!」
呂晶は再度、前方へ叫んで回る。
「お前ら、ジリ貧だろうがッ!! どう見てもよォッ!! 分っかんねーのかなァ~!? 馬鹿だからッ!!!!」
『『 …… 』』
戦闘中の者達が振り向いたが舌打ちと共に前を向いてしまった。
正直過ぎる物言いとは、往々にして逆効果を生むものだ。
一回りした呂晶が不貞腐れた顔で戻って来た。前線に親指を向けて言う。
「ウェイ、お前がやれ────偽善者の出番だ」
ウェイは笑いを堪えながら返す。
「俺が、偽善者なんじゃ無くて……誰かさんの人徳が、無いだけじゃないか……?」
意気揚々と前方に駆け出し、大きな身体を広げる。
「みんな、すまなーーーいっ! これ以上、怪我人を出したくないんだーーーっ! 頼むっ! その眼帯よりこっちへ来てくれーーーっ!」
武侠の中でも評判の良いウェイ、
『誰だ、あれ?』
『真夜中の旅団の
『アイツが〝身体と器のでかいウェイ〟か……』
そのウェイが政治家の如く呼び掛けると皆、顔を見合わせながら後退を始める。
「ありがとうっ! ありがとーーーうっ! 元気な者は、子供を減らすのに協力して欲しいーーーっ! 怪我してる者は異邦人が手当てして回る! 適当に休んでてくれーーーっ!」
無礼者の後に信用ある者が呼び掛ければ、やはり前者とは逆効果を挙げ易い。
イエンは後退する一人に声を掛けられる。
『兄ちゃん、
フレンドリーに肩を小突かれると、イエンは左手を仮面のように添える。
「フン……────貴様こそ、巻き添えを喰らいたく無くば、後ろで牛乳でも飲んでいることだ」
『……?』
困惑する相手に、暗黒微笑を向ける。
「巻き添えと言っても
俺の力に巻き込まれると面倒だから
、という意味だが……俺には他者を思い遣る感情というものが欠落しているそうだからな……クックック……」『……』
「フン」
声を掛けた者は何かを察し、イエンから視線を逸らした。
自信溢れるその背を眺めながら、ヘレンは演奏中のルリアに尋ねる。
「あの方……そんなにお強いのですの?」
ルリアは歌うように返答する。
「片目にぃ、すごぉ~い力が宿ってるってぇ、言ってるぅ~♪」
「ワタクシにさえ視えない
「可哀想だからぁ、そこまでにしてあげてぇ~?」
呂晶はウェイの背に言い返している。
「おぉいッ!! お前が〝器がデカイ〟って言われんのは、アタシの面倒見させてやってるお陰なんだぞッ!!」
その背に、不貞腐れた花雪が声を掛ける。
「二つ縛りよ────妾は見張りをして偉いのじゃ。もう休むぞ」
呂晶は振り返り、花雪を指差す。
「ダメだ。アンタにはそこで
踊ってもらう
」花雪の顔が悲壮に染まる。
「この、か弱い妾に……〝徹夜残業せよ〟と申すか!? なんというブラックな
ムスリとした顔で問う。
「────で、どっちの踊りじゃ?」
見世物としての舞か、そうでない方か。
「
どっちもだ
」ユエが片手を上げて申告する。
「呂晶。私もあの
呂晶は片手をヒラつかせて返す。
「ああ。よっくんはケツが重いからな────」
去り際の一言に、ユエは〝ビクリ〟と痙攣する。
「————ッ!」
目を見開いて
「ねぇ……私のお尻……
「気にするな、普通じゃよ」
花雪は優しく肩を叩いて言う。
「
気にしていると
、どんどんデコうなってしまうぞ
?」「────ッ!」
ユエは絶望の瞳を返す。
「なんて残酷なことを言うの……っ!」
花雪はジェスチャーを交え、ルリアに声を掛ける。
「失礼じゃが、
「……?
「まあ……スタイルの良い方もいらっしゃいますのね」
「踊り子さんでぇ、踊りたくなっちゃったみた~い♪」
「どうりで……白人とのハーフで無ければ、踊り子にはなれませんわ」
「それはぁ~……偏見かなぁ~?」
「意外と通じるものじゃ────無音で舞うのは気が引けるのは万国共通のようじゃぞ?」
「花雪……呂晶と出会ってから、悪い冗談ばかり覚えてる……!」
「フフン。お前は頭痛を治しておれ」
「あちらの方、目に付けている器具は何かしら? お尻も魅力的でキュンキュンしておりますわっ!」
「
「し、失礼————あの方、なぜ怒っていらっしゃいますの……!?」
「ヘレンっちぃ、それはねぇ~……」
白霊は時折細長い舌を出し、一点だけを見ている。
サーモグラフィーで、岩の向こうに隠れた少女の体温を。
「まったく、判らない方ですのね!
この国の者達は
っ!」