†氷の炎† ハイエナイエン
文字数 3,964文字
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「そこの隊商────止まれ」
馬に跨る黒装束が進行方向に歩み出る。単騎だ。
「馬上より失敬……死にたく無くば荷を置いて去れ、命までは取らん」
鼻に掛かった演劇のような喋り方は、まるで予定調和のように空虚。つまりは〝そうなってはつまらないが、一応言う決まりなのでな〟という言い方だ。
その空虚な男に、護衛の一人が威圧で返す。
『なんだァ、テメェ?』
数の優位から舐め切っているのか、その様はどちらが盗賊か判らない。
盗賊経験のある遊珊が呂晶に確認する。
「あの人、眼帯よ? もしかして────」
呂晶は肯定と共に拳を握り締める。
「ハイエナの……イエン……!」
古い二つ名で呼ばれ、イエンも呂晶に気付いて馬を降りる。
「その名は好かん」
盾を持つ左腕を〝ダラリ〟と落とし、右手で細身の剣を引き抜く。
その剣を地面と水平に掲げ、脱力した半身で歩み寄りながら、最低限の言葉と共に殺し合いを申し込む。
「────
あの時の借りを返す
」ウェイも
「全員、円陣で防御しろ……遊珊は馬車から降りておけ」
護衛達は遊珊を囲むように展開していく。
呂晶は陣形の最前線に歩み出る。
「気を付けろよ。アイツはまぁまぁ
速い
」〝肝心な所が抜けた痛い奴だが〟という一言は、仲間の油断を誘わぬよう心の中で呟いた。
(借りを返すのはアタシだよ、ハイエナ野郎────)
戦ったのはかなり前、自分は成長している。その成長を確かめるには打って付けの相手。やはり護衛に転身したのは正解だった。
「スゥー……ッ」
息を吸い込みながらイエンは深く腰を落とし、素早く護衛全員に目を配らせ、視線を呂晶に固定する。
直上の恒星を剣で指し示すその構えは、他に類を見ないほどの『前傾姿勢』
「フゥーッ……!」
構えたイエンの呼吸に、
『「 ────ッ! 」』
呂晶以外の全員の顔が強張る。
ウェイは呂晶の言葉の意味を理解する。
(なるほどな……)
夏季に入っていると言うのに、イエンの吐いた息は
白い
。目を凝らすとイエンの周囲だけが、冬のように薄い(氷魂────剛体か、ありゃ……)
【氷功】氷気護体系列 第四位 氷魂剛体
自身の周囲に微細結晶の『雪』を降らせる。その雪は術者の脳波によって『振動結合』され、分厚く希薄なフィールドを形成する。
このフィールドを物体が押した時、振動結合している内部、つまりは術者の身体も若干ながら
押し出される
。結果として相手の攻撃を避け易くなる。ウェイが形成できるのは第二位の【氷魂神位】までであり、その効果はクリームでも塗った〝すっごいスベるよ!〟程度の気休め。あちらの強度はその数倍、綿の装甲でも着ているような状態だ。
とは言え、所詮は防御をいくらか高めるだけの術────けれど呂晶の評価は〝硬い〟ではなく〝速い〟
(それと、玄氷護體……!)
【氷功】玄氷護體
全身の筋肉を、自身の筋力を越えて『硬直』させる。
筋肉は硬直と解放を繰り返して躍動する。硬直が大きいほど解放のパワーも大きくなる。
あの細身の割に隆起の激しい身体は、それに秀でている証拠。
(あの〝白い息〟なんかより……アイツの〝速さ〟は脅威ってか……!)
そして、氷魂剛体には副次的な効果がある。それは雪の『表面張力』が空気を裂き、『空気抵抗』を軽減すること。
それはラムジェット機構のように
速く鋭利に動くほど
効果を増す。「シッ────!!」
イエンは一歩目から、トップスピードで地面を蹴る。
盾持ちとは思えない超人的な速さ、一気に巨大化する姿に呂晶の顔が強張る。
(前より早ェ────でもッ!)
呂晶が
半端
に使うことを得意とする炎功。【炎功】炎刃系列第四陣 火魂陣
指向性を強めた炎で炎刃を形成、相手を甲冑ごと溶かし斬る技————なのだが、体質のせいで炎が刃を形成せず爆ぜてしまう。
(今のアタシは……
これ
を自由に使えるんだよッ!)この斬撃を爆裂加速させる『邪法』はイエンと斬り合う最中に完成させたもの。あの時のように、イエンのトップスピードに
間に合わない
タイミングで振りかぶり、居合の構えで炎孔を集中させる。自分は炎刃を形成したい────なのに自分の
信じて
。間に合わないタイミングだから、タイミングが合う。
(もらったァッ!!)
蘭州の森に湿った破裂音が響く。
『『————ッ!!!!』』
爆裂加速で振り抜かれた大刀は、多少の雪と空を斬った。
「そう来ることは読んでいる────」
トップスピードだったイエンが両足を前に出し、靴裏のスパイクが地面を
(なっ……にィ……!?)
上半身を間合いの一寸外で停止させた————走り込みスウェーバック。
イエンの足を見てタイミングを図っていた呂晶はフルスイングを空振り、背中まで見せる絶望的な隙を作る。
(フェイント……馬鹿が治ってやがる……!)
イエンの100から0になったスピードが、再び100に戻る。そのスピードから繰り出される空気抵抗を無視した斬撃が、呂晶の無防備な背後を襲う。
イエンが踏み出した気配に、呂晶は背を向けたまま笑う。
(だが────
やはり抜けている
ッ!)今
全力の数分の一
。(死ねェッ!!)
間髪入れず二発目の炸裂音が響き渡り、
『『————ッ!!!!』』
それに高い金属音が混じる。
「二連撃か……!」
呂晶の顔が驚愕に染まる。
(受けやがったッ!?)
呂晶はイエンの踏み込みに合わせ、
後ろへ踏み込みながら
裏拳のように大刀を振るった。イエンは咄嗟に腕を交差、盾でブロックし、その盾も膝で止めている。
(ヤッべ、二回しか考えてなかった……!)
こんな突飛な斬撃を放つのは世界で自分だけ。それを容易く受け止める者がいるとは思わなかった。
(どうする……この後どうするッ!?)
無茶な攻撃について回る代償────体勢がおぼつかない。
リボルバーに弾は残っていても、ここから可能なあらゆる選択肢がイエンのスピードに負ける。
(えっ?)
そう思った顔が怪訝に歪む。
「ぐっ……!」
イエンの身体が木の葉のように流れていく。
(軽っる!?)
男とは思えぬ軽さ。あちらも無茶な止め方をしたため、踏ん張る力がゼロなのだ。
イエンはそのまま呂晶の斜め後方、ウェイがいる方向へ吹っ飛ばされる。
(あっ)
イエンをウェイに『パス』した形になった。
イエンは空中で猫のように身を翻し、身体を大の字に広げる。
「ふん————ッ!!」
空気に対しての『羽打ち』で受け身を取り、不安定な体勢から脱した。それでも吹っ飛ばされた慣性は止まらない。
ウェイは槍を短く持ち、呂晶とは違う本来の精度で【火魂陣】を炊き上げる。
(二人掛かりで悪りィが……────殺らせてもらう!)
手加減できる相手では無い。
この炎のブレードは、イエンの『雪』を容易く蒸発させ、その効果を無効化する。
「ツッ!!」
コンパクトな袈裟斬りを放つ。だが、またも槍は『雪』を裂き、
「!?」
一万度の高熱が地面を吹っ飛ばす。
『『————ッ!!!!』』
(どこ行きやがった……!)
土煙が爆散する中、ウェイは咄嗟に視点を緩め、どこにも向けないようにした。どこにも向けない方が目のどこに映っても反応できるし、こういう場合は『土煙の微細な変化で相手の位置を見極める』と相場が決まっているのだ。
だが、いない————土以外に動く物は映っていない。
(つー、コトはっ!)
穂先を振り下ろしたが為に上がった、反対側の槍の柄先。
僅かな重みを感じる
。「甘い────ッ!!」
ウェイは槍を背負うように、左後方『後頭部』を防御する。同時に高い金属音が響く。
『『ッ!!』』
(ドンピシャ!)
イエンはウェイを飛び越え、槍の柄先に着地していた。そこから半円を描くように剣を振り下ろし、後頭部を斬り付けた。
『背中』を斬られていれば死なずとも痛い思いをしていただろう。だが、
(……軽っる!?)
すこぶる軽い剣撃。無茶な体勢で放った為に体重が乗っていない。これなら背中でも大して痛くなかったかもしれない。
(
だから
かよ!)驚異的なスピードと変幻自在の剣撃————それだけに重さに欠け、おまけに威力の低い氷系氣功。
優位に戦いを進めはするが、相手を倒すのに時間が掛かる。倒した頃には仲間は荷を奪い終え、自分は最後に残り物を漁る。故に『ハイエナ』
そのイエンも呂晶と同じく、成長している。
「遊珊、行ったぞ────ッ!」
イエンはウェイを無視し、馬車の傍らにいる遊珊へと駆ける。
刃物を持った通り魔の青く輝く瞳、それと遊珊の視線が
遊珊は身体を縮こませ、甲高い悲鳴を上げることしか出来ない。
「きゃあっ!!」
完全な無防備状態。
白く華奢な柔肌の好きなところを斬り裂き、真っ赤な急所に深々と剣を刺し込める。その絶対優位の状態からイエンは、
「女は殺らん────……」
以前は呂晶に決闘を申し込みながら矛盾する言葉を吐き捨て、雪の残像だけを残して飛び去る。その頬は、何故か赤らんでいる。
目をキツく閉じた遊珊の髪と薄手の服が、イエンが巻き起こした雪風に舞い上げられる。
「うっ……」
通学路でも走り抜ければ、女子高生達のスカートをまとめて捲り上げることも出来そうだ。
「先生————ッ! んぁっ!?」
「うおっ!」
呂晶とウェイはようやく、自分の身に起きた事に気付く。