†零† 秦始皇帝陵の守護者
文字数 4,113文字
男の中にはもう一人の子供が隠れている。この子供が遊びたがるのだ。
────ニーチェ
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
中華最強の気功家、炎火帝 神武は想う。
(この化物と戦い始め、どれくらい経っただろうか────)
何日も戦い続けているように思えるし、ほとんど経っていないようにも思う。陽の光が届かぬため感覚が狂うのか、それとも知らぬ間にそんな術でも掛けられたのか。
こうしている間にも月英は苦しみ悶えていると言うのに。戦いに集中し、戦う理由さえ忘れてしまいそうな自分に焦燥する。けれど、そんなこちらの焦燥など無視して巨大質量は致死性の薙ぎを仕掛けてくる。
「オォォォーーーン!」
知人達から『変わっている』と言われる叫び────それを放ちながら、槍の石突で地面を打つ。
『『 ────ッ!! 』』
同時に数メートル先から高圧の炎壁が吹き上がり、熱を嫌がった巨大質量が軌道を変え、屈んだ頭上のスレスレを通り過ぎていく。
地面から静電を打ち上げる【
(防御に使う日が来るとは、夢にも思わなかった────……!)
遅れて身体を叩く強風が〝アレ〟を喰らった際の惨状と、生物としての隔たりを理解させる。
顔を上げると〝失敗した窓〟のようなものが二枚、舞い落ちて来る。それに向かって急いで左の掌を掲げ、人差し指と中指の間に捉える。
「オォォォーーーン!」
速射炎功【火矢暴焔波】を二連射してブチ当てる。硬質的な外見に反し、窓は柔らかく屈曲して燃え尽きた。
(もっと軽い気功で十分だったか……本体が堅い分、余計に力を込めた……!)
〝プラ板〟という表現が一番近いが、神武はそんな近代的な物質も、あの柔らかく燃えやすい鱗と燃えにくい鱗の積層構造が気功の威力を半減させている事も知らない。
ともあれ、面倒でも焼き払わねば、新たな生物に生まれ変わってしまう。生まれたばかりの子供は、子供と言えど意外に速く、毒牙で噛み付いてくる。最も厄介なのは人間の子供のようなその断末魔。まるで自分が何処かの虐殺者のように思えてくる────まあ、実際そうだが。
「なんとも……厳しい攻撃だ……」
瞬間移動雷功【神歩幻影】でバックステップし、仕切り直す。
乱れる息を整えながら、炎帝神武は
(振り回される尾……降り注ぐ
炎帝の
意を決し、捨て身で斬り付けた傷口さえ、もう塞がり掛けている。
(〝胸〟に手を掛けたのは失敗だったか……まさか、あれほど柔らかいとは……くっくっく……)
もう同じ手は通用しない。おまけに奴は、まだ力の深淵を見せていない────そんな気がしてならない。
(こんな小さな槍では……奴の首は落とせない……!)
黒殺龍を屠り、江湖のみならず中華最強と謳われる炎帝が、その命を賭し、妖怪一匹に弄ばれるなど、厳し過ぎて笑えてくる。
もっと真面目に鍛錬を積んでおけば良かった。親友だった、あの龍のように。
『『 …… 』』
(もはや、生きては帰れぬか……待つ者がいる身は辛いな)
『『 …… 』』
(月英……そう、俺は月英の為に戦っている……)
武人をじっと見下ろす巨躯。
『『 …… 』』
悠久を生きる白蛇は、武人の筋肉が僅かに弛緩した様子に、象棋で言う
詰み
の気配を感じ取る。『『 ……ッ…………ァッ…………アァアアあア…… 』』
神武の目が見開く。
「────ッ!?」
上半身を人間の女に擬態している白蛇は、口を動かさず大音量を発する。
『『 うヌワ、ナンねンイきタ 』』
化物が喋った。
(なんという、不気味な声だろうか……)
〝あの姿なら喋れそうだ〟そう思っていたが、いざ喋られると面食らう。
『『 ……うぬは、何年生きた 』』
巨大な白蛇は問い掛ける。
『『 ……うぬは、何年生きた 』』
返答など求めていない、壊れた機械のように。
(敵と会話したとて、良いことは起きん────)
異種族の交流に興味は無い。そういうのは
(だが……少しは休めるか?)
距離を置いている間に子供を産まれても厄介だ。
『『 うぬは──── 』』
「二十六年だ」
神武は多少の打算と引き換えに、悪魔の囁きに耳を貸す。
『『 にじゅうろく…………二十六…… 』』
「……」
壊れたアナウンスが、放送内容を変更する。
『『 あ、は、は、は 』』
「ふっ、ふふ……」
神武の口角も思わず上がる。
『『 あ、は、は、は 』』
(ああ。そりゃあ、そうだろうよ————)
力が抜け、膝に手をつく。
(〝千年さん〟に比べりゃ俺の人生など……笑えるほど短いのだろうよ)
とても腹が立つ────化物如きに笑われているからではない。誰も救えない、自分自身に。
(笑えるような、人生……!)
最近、ずっと自分を卑下してばかりだった。それでも心を奮い立たせて戦ってきた。
月英の為を思って。少しでも為になれると思って。
「ふ……はは、ははは……っ!」
『私の為に〝死ねる〟と言うなら今すぐ死んで。それが私の為だから』そう言わしめるまで嫌われた自分の行いが、彼女のために戦うことで、少しでも元に戻ると願って────
それでも、ずっと思っていた。誰にも言うつもりも無いけれど、ずっとこう思っていた。
(俺は正しい事しかしていない────ッ!!)
畜生如きに笑われたことで、最後の糸が切れた。
「化物よ、よくぞ笑ってくれた……」
神武は獣のような姿勢で、見開いた顔を上げる。
「晴れやかな気持ちだ。雲間に差込んだ光を浴びたように……」
炎帝神武は二つの〝自爆技〟を持っている────
類稀なる才能が可能にし、類稀なる才能が『それだけはするな』と警告してきた、単に本気を出すだけの、技とも呼べぬ技。
【炎功】暴焔波系列 最終陣 太陽
おそらく
半径一〇〇メートルの熱核爆発を引き起こす。【炎功】炎刃系列 最終陣 火槍神武
半身が焼失する代わりに、
おそらく
長さ一〇〇メートルのレーザー刃が形成される。放てば死ぬような技は修練しようが無く、器用に扱うことは出来ない────それでも自分が天才の自信を持ち、頂点に君臨することを疑わなかったのは、この〝
(果たして、どちらにしたものか……)
まるで少年のような笑顔で〝一番
カッケー
死に様〟を選ぶ。けれど、類稀なる才能は、そんな時でも欲張りな願いを叶えてくれる。
(どうせ死ぬなら────ハッピーセットだ)
まずは石突で地面を打ち、左掌を前に掲げる。
(……何か、違うな)
構えを解き、槍を背当てに納める。
(うむ、こうだな……)
芸術家しかり、音楽家しかり。達人も過ぎればこのように、傍から見ても意味の判らない動作になっていくのだろう。
左掌を天に向け、手刀を模した右腕を構えたその心中は、至ってシンプルなものだが。
(自身を槍とすれば、もはや手に持つ必要も無い)
これから死ぬのに、胸が躍る。
類稀なる才能が『それだけはするな』としつこく言い続けるから『いつか絶対使ってやろう』と思っていた。天才の最期を飾るに相応しい、華々しい炎を上げることを。
(千年生きたお前は、二十六年の俺と共に死ね────!)
その狂気で見上げた顔が、呆気に変わる。
格好悪いポーズのまま、格好悪く口を開ける。
「……────
いつの間にか、巨躯が溶けるように萎んでいる。全長
二十六メートル
が、今は正常細胞を栄養源として取り込み、いつしか元の組織に取って変わる〝
「────ッ!」
神武は慌てて槍を取り出す。着物の下で〝何か〟蠢いたからだ。猫が布団の中に潜り込んでいた時のように。
『オ……イショ……オ……イショ……』
化物が消えた代わりに、別人の声が聞こえて来る。
(今……何って、言った?)
新たな術による攻撃か。それとも〝コレ〟は始めからこういうもので、
蠢く者は着物から這い出ると、尚もこちらへ這い寄って来る。
「……っ!」
どこかのテレビから出て来る悪霊のように。真っ黒な身体の悪霊が、生まれ立ての子鹿のように立ち上がる。
「あ……あ……ああー……」
真っ黒な身体では無い。真っ黒で長い髪に、真っ白な肌────どこからどう見ても
裸の幼女
。「あー……あーーー……」
それが声を出している。歳相応の人間の声を。
(そんな、そんなハズは……!)
全方位に垂れ下がる艶のある黒髪は、まるで黒いベールでも被っているかのよう。
幼女はそれを左手で鷲掴む。
『……ジャ……マ』
右手の二本指で挟むと、
広げた左手からはバラバラと髪の毛が舞い落ち、落ちなかった毛は足に擦り付け、足に付いた毛を払おうとすると、バランスを崩してよろける。
その無防備な幼女に、神武は悲壮の
(あり得ん、あり得ん、あり得ん……!)
誰もが恐れるあの巨躯よりも、もっと絶望した
恐ろしい幼女は神武と己を見比べ、言語のような声を発する。
『しゅこし、ちいしゃ、しゅっ……! ちいしゃ、すぎ……た、の────まあ、
丁度良いの
』(お前……お前は……!)
神武が恐れる理由────それは白霊が幼女に変態したことでも、指で髪を切ったことでも無い。
顕わになるその前から、その〝顔〟に恐怖し、実際にその〝顔〟を見て、恐怖は確信に変わった。
(お前の、その顔は────……!)
真黒な髪、真白な肌、裸の幼女。
それも幼馴染の、
(月英……!)
もう十年も昔。彼女を〝好き〟だと自覚した────
初恋の時分の姿。