第34話

文字数 2,706文字


源三郎江戸日記(弟五部)34

2人の歩き方は中々足の運びで上手いな、あれでは暗闇でもあまり音はしないじあろう、剣術のすり足と同じなのじあなと笑うと、やはり、気づしいておられましたか、どうやら、私も、
年貢の納め時ですな、明日はここの代官所に自首して出ますと言うので、そなたは人を殺めた事はあるのかと聞くと、いいえ、人を殺めて盗む等外道のする事ですと言うので、そうか、
それなら自主する事もあるまい、

その300両は何処から頂いたのだと聞くと、この前の宿場の鎌イタチと言う高利貸しの蔵からですと言うので、高利貸しならもっと貯めていたろうというと、これ位が丁度良いのです、
又頂けば良いのですと言って、ついでに証文も何枚か盗み燃やしましたと言うので、誰の証文じあと言うと、宿場の近くの百姓達の証文です、証文が無ければどうする事も出来ません、
と言うと、

いや、やくざを使い又証文を書かせるじあろう、おまえは、明日そこに戻り、代官所の役人を同行させて、その金貸しの証文を総てお上のご定法通りに書き換えさせよ、わしが朱印状、
を書いてやろう、これには誰もさからえぬ、逆らえば代官といえど切腹になると言って、たまには合法的に人助けをせよ、不当にもうけた金を没収して、困窮している百姓に与える事、
じあな、

代官所にも少し分けてやれと言うと承知しましたと言ったのです、わしも目が届かぬ事があるので、これからはわしの手助けをせよ、その朱印状で盗むのではなく、不当に儲けた金は、
没収するのじあ、それを良い事につかえば良い、そなたの生きる糧に使うても良いぞ、罰は代官所に引き渡して代官に任せれば良い、今日からはわしの配下と言う事じあ、やった事は、
文でわしに知らせよ、

わしは川越藩の藩主でもあり、老中でもある江戸の川越藩上屋敷に文は送れば良いと言うと、恐れ入りましたそんな大役を私にやらせて下さるのですかと言うので、わしの目の届かない、
小さな宿場はそなたに任せようと言ったのです、白河の質屋はそのまま続けるが良いと言うと、目こぼし頂き、これからの張り合いも作ってくださり有難う御座ります、明日には前の、
宿場に戻りいいつけ通りにやってきますと言ったのです、

温泉から上がり一服しているとエミも上がって来て、女将が酒を持ってきたので杯を重ねたのです、時衛門は新吉に本来なら三尺高い木の上のはずが命拾いをした、いかに義賊であろう、
と盗っ人は盗っ人だな、これからは奥州街道筋を時々みて回り、お言いつけ通りに悪人を懲らしめよう、しかし、わし達では剣の腕はおぼつかないが、代官もグルだと命が危ない誰か助、
っ人を頼もうと話していると、

障子が空きご隠居ここでしたかと1人の浪人が入って来たので、江戸の用事はお済みでと聞くと、ああ、ご隠居の用立てしてくれた100両で妹の手当てをして来た、妹夫婦はこれで大丈夫、
じあよと言うので、それはよう御座いましたと言うと、金は返せんのであの刀は質草でとっておいてくれと言うとので、あれは売れば千両はする品です、大切にお預かりして置きます、
その代わりと言っては何ですがと、

経緯を話し一緒に旅をして頂けませんかと言うと、そうか、そなたの正体は見破られたか、中々の眼力じあな、承知したそなたには世話になっておるので、わしも加勢しょうと言うので、
有難う御座います、これで、百人力ですと言って酌をしたのです、それではご老中に加勢すると挨拶して来るかと言うと、色々と聞かれるとまずいのではと時衛門が言うと、いいのじあ、
よ、

村正の事を話したのなら、白河ではわしを調べるであろう、今話しても同じ事じあと言ので、余計な事を喋ってしまいました、済みませぬと言うと、いいのじあよ、あの刀は妖刀と言わ、
れているが、そうではない、たまたま家康公に仇名した者が持っていただけじあが、二本松藩にある事をうかつに殿が喋られたのじあ、それで幕府からのお咎めがあるかもしれぬと言う、
事で、

わしが盗んで逐電した事にしたのじあよ、盗まれてしかも行方を探していないとなれれば、徳川に反旗を翻す為に所有していたのではないと言う事になると言う訳じあよと言うと、しかし、
それが為に石田様は800石の禄を失ったのでしょうと言うので、両親も他界し、妻も子もおらなんだので丁度良かったという事じあよ、へたな者に託せば話して事が露見するかも知れぬと、
いう事でわしが引き受けたのじあよと言ったのです、

しかし村上様は幕府のご老中ですよと時衛門が言うと、今回の事をそなたに頼む人柄じあ、お咎め等されぬであろうと言ったのです、それに、そのような事で幕府が処罰するかを見極め、
たいのでなと言ったのです、源三郎の元に時衛門が連れて行き、助っ人の依頼をした事を話し、村正の持ち主である事を話したのです、源三郎がそれは有難いな時衛門これで安心じあな、
と言うと、

村正の事に御座いますがと言うと、言わぬでも良い、二本松藩にあると幕府が嫌っている名刀じあから、お咎めでもあると思うたのじあろう、全国の大名には村正を持っている者は多く、
いる、そのような事でお咎め等あろうはずがない、確かに家康公に仇名した者が持っていたのは村正だったと言う事で、旗本達はもたぬようにしているのは事実じあが、それは旗本達の、
勝ってであろうと笑ったのです、

それを聞いて安心しました、しかし、あれは二本松藩にはない方が良いのです、時衛門に終生預けますと言ったのです、石田常三郎宜しくたのむぞ、しかし、無理はするな危なくなった、
ら一旦引いて、何処かの藩に加勢を頼むが良いと言ったのです、それではそなた達の出陣祝いじあと膳を用意させて杯を傾けたのです、翌日は時衛門達と別れて、源三郎一向は白河に向、
ったのです、

白河までは15里の道のりですが、馬なら一日もかかりません、宿場宿場を巡察しながら白河に向ったのです、道中は不穏な動きもなく夕暮れ前には白河の城下についたのです、慌しいの、
で町人になにがあったのじあと聞くと、ここから3里いった菊川村で一揆が起こり、その鎮圧にに藩兵が出動するらしいのですと言うので、何故一揆が起こったのだと聞くと、執政の土岐、
様が年貢をお上げになったそうで、

隣の水上村が藩に嘆願書を出したら、庄屋が牢にいれられたので、百姓が代官所に押しかけて助けだしたそうなのです、藩は藩兵を出動させて庄屋以下3人を捕らえて、斬首して獄門台に、
並べたそうなのです、次は菊川村だと言う事になり、水上村と菊川村の百姓が菊川村の鎮守様に集まり気勢を上げているそうで、明日の朝には討伐に行くとの事ですと話したのです、何と、
言う事をするのじあ、

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