第51話

文字数 2,714文字


源三郎江戸日記(弟五部)51

時津屋が、何をするのですかと聞くので、鉄の長い箱を売り込むのに実際にうなぎを焼いてみせるのじあよ、まあ、みておれと言ったのです、おかねが戻って来たので、桶にまな板、包丁、
に鉄串を持ってきてくれと言うと、持ってきたので、うなぎを裂いて串に刺して、タレを作り、鉄の箱はまだないので七輪に炭をいれ火を起してくれと言うと、おかねが火をおこしたので、

タレにつけて焼くと、あまだれの良い臭いがして来たのです、丁寧に焼いて、このくらいで良いじあろうと言って、皿に移し食してみろと言うと、政吉、おかね、時津屋が食べて美味しい、
これがうなぎですかと言うので、酢と酒が泥臭さを取り身をふっくらさせるのじあよ、鉄の箱を作り炭で火をおこし、うえに載せて焼けば沢山焼けるし、臭いが立ちこめてみんなが食べた、
くなるわけじあよ、

このタレを取っておき、継ぎ足して同じ味にしてこれに漬けて焼くのじあよ、手間がかかっているとして、少し高値でもうなぎ焼はうれて、居酒屋は大儲けするぞ、居酒屋に持ち込み実演、
すれば必ず鉄の焼箱は買ってくれる、買ってくれたらこの焼き方を教えるのじあよ、作るだけではなく、何に使うか、これを使えばいかに儲かるかを知らしめるのじあよとイモの料理も作、
り、これは鉄鍋を売るときに教えれば良いと言ったのです、

それでは、これが5000両の為替手形じあ、必要な分だけ変えてもらえば良いと渡して、この中から時津屋の借金を返しておけ、貸し借りはハツきりしなくてはいかんと言ったのです、政吉、
とおかねが有難う御座いますと平伏するので、このうなぎを食っても病気は早く治るぞと言うと、政吉がハイ、なんだか元気が出てきましたと言ったのです、玄海屋の宮古の番頭をここに、
来らせるようにしようと言うと、

時津屋が私が宮古まで行きますというので、それでは文を書いてやろうと言って、したためて時津屋に渡したのです、鉄正、おかね、頑張って儲けよと言うと店を出て旅籠に戻ったのです、
時津屋が鉄政さんおかねさん良かったなあと言うと、こんなに良い事が起こって、これは夢じあないでしょうねと手を抓り、イタタタ、ヤツパリ本当だ、おとつさん、早く病気を治してと、
言ったのです、

おかねがあのお方は、本当にご老中なのですかと聞くと、時津屋が間違いなくご老中だよ、川越藩8万石の殿様でもある、しかし愕いたご老中じあ、知恵もさることながら、料理の腕も板前、
より上じあとしきりに感心していたのです、さつそく工房の建屋を探さなければなりませんな、私に任せておきなさいと言うと、店を出て行ったのです、源三郎は旅籠に戻り、ここは問題、
なさそうじあから、

明日は弘前に向うぞと言って湯に行き、汗を流してサッパリしたのです、湯からがり、エミに夕餉は入るかと聞くと、ハイ、なんだかお腹が空いてきましたと言うので、やはり、蕎麦では、
腹は持たぬのじあなと笑ったのです、それぞれにわんこ蕎麦を食べたみたいなので、宗憲殿と新之助も食べたのかと聞くと、新之助が宗憲様と勝負したのですが2杯程の差で負けてしまい、
ましたと言うので、

ほう何杯食したのだと聞くと、宗憲様が38杯でわたしが36杯でしたと言うので、それは凄いと言うと、宗憲が蕎麦は好物に御座いますと笑ったのです、それぞれに聞くとみな30杯以上食べ、
ていたので、エミが一番の負けは殿に御座いますなと言うので、山形が何杯食されたのですかと聞くと、エミが12杯であったと言うと、殿にも不得手の物が御座ったかと喜んだのです、

翌日朝出立して一路弘前に向ったのです、疾風と春風も随分旅をしたなと顔を叩くと、ひひひんと鳴くので、もう歳じあからこれが最後の旅じあな、帰りに相馬により、相馬の牧場で余生、
を過ごさせようと言ったのです、盛岡から弘前までは大きな宿場もなく平穏な旅だったのです、人が少ないと悪人も儲からないとみえていないなと言うと、エミが良い事ではないですかと、
言うので、

食えなくなると盛岡か弘前に出て行くのじあろう、この街道筋は山が多いので新田開発も難しいなと言うと、畑で作る特産物を奨励するしかありませんねと言うので、果物と言う事になる、
が、外から苗をもってくるしかないな、寒いところに育つ果物を探してみようと言うと、ぶどうやりんごと言うところです、江戸の加賀藩邸や福井藩邸には植えてあるそうです、国元で、
栽培が盛んだそうで、

仏事に供えられると聞きましたと言うので、なる程弘前にもあるかもしれないなと言うと、すこしすっぱいですよ、女子は好きな味ですがと言うので、それなら、わしはダメじあな、あの、
酸味は不得手なのじあよと言うと、油粕を畑にまけば甘くなるのではと言うので、そうか、品種を改良していけば100年後には甘いりんごが出来るかもしれぬなあと笑ったのです、山形が、
米沢でも林檎は取れますよ、

りんごを半分に割り大きな鉢にいれて上から蓋をして空気が漏れないようにして、一晩置くと甘くなりますと言うので、ほう、なぜじあと聞くと、祖母の話によりますと、林檎から物を甘、
くする物が出て周りの物もそれと交じり合って甘くなるのだそうですと言うと、エミがそういえば切ったものを置いておくと表面が甘くなりますが、色が黒くなり見た目はよくはありま、
せんがと言ったのです、

南蛮の本によると寒い所に育つそうじあが、我が国で取れる林檎とは種類がちがい、実は大きいそうじあ、我が国には中国から室町幕府時代に入って来たそうじあ、それが全国に広がった、
のじあな、甘い種類ができれば良い商いになるじあろう、又南蛮では煮詰めてジヤムと言う物を造りパンにつけて食すと書いてあった、蝦夷地に植えても育つかもしれんと言ったのです、

途中一泊して翌日の昼過ぎに弘前に到着したのです、この城下も賑わっています、旅籠にわらじを脱ぎ一服して町の巡察に出掛けたのです、いつものように居酒屋に入り酒を頼み、ここは、
海から1日の距離じあから、いわしもあるじあろうと言って、いわしはあるか聞くと、アジの塩焼きならありますと言うので、それを頼むと言って、なぜいわしはないのじあと聞くと、あれ、
は肥料には使いますと笑ったのです、

沢山取れすぎると価値がないのじあな、勿体無いというと、エミがアジで良いではないですかと言うので、いやじあ、いわしの丸焼きが食べたいと言うと、ここから1日かかるので日持ちし、
ないいわしは無理なのですよといったのです、酒が来たので杯をかさねて飲むと辛口の酒です、中々美味い酒じあな、このアジの塩焼きも美味いと言うと、やっと海の魚の場所まで来まし、
たねとエミが笑ったのです、


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