阿久津の置き土産 (11月3日9:30)
文字数 4,621文字
――スパイを出国させろ。
オフィスに来た
天笠は仕事があると立ち去り、オフィスには
「…つまり、俺等は今までずっと疑われていた、ということですか」
真っ先に口を開いたのは
今までの仕事の減りようが腑に落ちた瞬間だった。
まさか、疑われているから仕事を回さなかったとは。
考えはしたが、秘匿班と共闘したことによりその線を消し、裏の動きに注目しすぎていた。
――まだまだ甘い部分があるな、と反省する。
「あ、もちろん俺もやで?みーんな、昨日までは全員監視付きやったって訳。」
「なっ…!!一切気配を感じませんでしたわよ!?」
「当り前やろ。
「おうおうおうおう…
「…知らん方がええこともある。知らんかったからこそ、これだけの期間で解放されたんやで。」
わざと距離を取り、今日まで情報を伏せていたのは、天道なりのやり方だったのではなかろうか。
――もしかして、
今日の天道はやけに素直だ。
「誰もこの班を辞めなかったこともそうやけど、例のゴミあさり。あれが決定打って今朝聞いたわ。」
《ゴミあさりが?
天道は疑問に回答した。
「あー、なんかな?ゴミの中に危ない情報が混ざっとってん。…阿久津サイドからしたら絶対隠したいものが。大方、あんさんらはただの文章やーって見逃したんやろ?普通に報告上がって来た言うとったし。」
そういえば、
もちろんうちの班はテロと関係ないが、何とか窮地を脱せたようだった。
「なにはともあれ、もう大丈夫なのね?」
「ああ。
恐らく当分は
心配いらへんよ。」《まって何その不穏ワード。
そんな中、
「…おいコラ今回の仕事も
「…まさか…。いや、嘘ですよね…え…。」
「そのまさかや。概要を説明するで。まず、とある男性が、スパイに脅されていて助けを求めて警察に逃げ込んできたのが発端や。その男性はハニートラップで弱みを握られ、スパイに情報を売っていた。スパイからの要求が増したある日、怖くなって警察に逃げ込んできた。」
「担当したのが
「
「はぁ!?」
――ちょっと待て、どうやったらそんな状況になるんだ!?
班員全員唖然だ。
状況がこんがらがりすぎている。
これが本当なら、公安にマークされていて当然であった。
――というか、
一番怖いのは襲撃である。
自分たち班員なら、まだ自衛の手段がある。
だが、周囲は?
クラスメイトは?
家族は?
焦りと恐怖で絶句していると、
《いや、いやいやいやいやおかしいでしょ!?スパイに操られている上にテロ起こしに行くとか属性盛り過ぎ!!カオスじゃん!?》
「いや流石に盛ったっしょ!!?盛ったって言えよ!!なぁ!!?てか、上層部も
「いやぁ、それがどうやら大マジらしゅうてのぉ…。」
どうやら全て事実らしい。
「…
遠い目をした
「あー…。だから仕事、回ってこなかったわけか…。はぁ。」
「そりゃー、関係者全員、見張りも付くわなぁ…って思わへん?」
「当然でしたわね。はぁ…。」
「まぁ…。もう、この2ヶ月間ゆっくりできたと思うしかないわよね。」
「…ねぇ、天道。
「あー…。探ってみたが、詳しいことはわからんかった。阿久津は
1課2係7班の情報は
渡してへんって供述してはる。現にこの2ヶ月間、敵さんがあんさんらを監視している様子はなかった。せやから…恐らく漏れてへん…はずや。」「――それで、
絶望しても仕方ない。
「スパイの名前はアレクセイ。
意外にも天道は素直に答えた。
――公安の【表】作戦をすっ飛ばして、初っ端からPNGて殺意高いな。
PNGとは、ラテン語の
PNGが出されると基本的には48時間以内に接受国(今回の場合は日本)から出国させられ、相手はPNGを発行した接受国(今回の場合は日本)に2度と入国することができなくなる。
当然ながら、外交官が所属している国にも通達が行く。
なのでPNGが出た外交官は、外交官としての生命線を断たれる事態になるのだ。
簡単に言うと「さっさと出ていけ!2度と
また、PNGが出なくても、【相手国への抗議だけで】外交官の経歴に傷がつく。
PNGがどれほどの威力かはこの一文で分かるだろう。
PNGは他国でも使用されている。
だが現状、【不適切な外交官や外交官に扮したスパイ】に対して【日本が取れる最大火力の攻撃手段】である。
余談だが、今まで日本がPNGを出した事例は、片手で数えられるほどである。
(参考文献の中では4件との記載あり。)
…まぁ、名前を変えて別人に成りすまして再度入国するとか、背乗りするとか、汚い入国のやり口はいくつかあるのだが。
そして、「何か犯罪を犯したとしても、逮捕も触れることすら出来ない」とは、外交関係に関するウィーン条約の中の1つである。
これは外交特権、いわゆる治外法権だ。
外交官であれば、仮に他国で罪を犯したとしても、逮捕ができないのである。
だからといって、他国で好き勝手していいわけではない。
犯罪をしたもの勝ちに見えるが、良心をもとにした暗黙のルールが存在する。
スパイでなくても、お行儀の悪い外交官がトラブルを起こすことはよくある。
ひとたび事件が起これば全力で抗議するし、外交官担当(公館連絡担当班:通称リエゾン班)の警察官が大使館側と協議して、事態の収束を図るのである。
また、PNGを拒否したり、接受国から出ていかなかった場合は、所定の時間が経過後に外交特権がはく奪される。
よって、該当する外交官(正しくはPNGの出国期限が切れた元外交官)を逮捕できるようになる。
特に、きな臭い国や自国とギスギスしている地域に出向している場合は、命が危ない状況になる。
拷問まがいなことをされても文句が言えないのだ。
そのため、PNGを食らうと、ほとんど全ての外交官は直ちに帰国するのである。
外交官の身分で入国しているが、アレクセイはR国のスパイだ。
本当はスパイとして捕まえたいが、日本にはスパイ防止法がない。
だからこそ、国外に出るよう仕向けるしかないのである。
基本的には、公安部【裏】の調査と【表】の全力ストーキングを駆使し、国外に追い出す。
また、外交特権を持って入国しているスパイには、公安部【裏】の調査と【表】の全力ストーキングを駆使し、抗議や極稀に最終奥義PNG砲を使う。
今回の仕事も、このルールに基づき行うことになる。
なんともやりにくい仕事であった。
「追尾や情報収集は外事が継続的に行っとるから、心配せんでええで。あんさんらに求められている
「要するに、俺らは情報の集積所…警察の捜査本部のように、情報を集めて分析していけば良いんだな?」
「せやで。【表】に出ず【裏】で作戦を練るのは公安部の配慮やな。敵さんが既に
デスクに1枚の名刺が置かれた。
名刺には〔
口数が少なく余計な詮索をしない、とてもあっさりしている人なので、
だが、何で
今回の案件は、外交官に扮したスパイの追い出しだ。
分かりやすくまとめると、以下だ。
今回の任務は以下の通り。
1,R国のスパイを出国させること(目標:PNG)
2,スパイは外交官
3,ウィーン条約の外交特権により逮捕不可(触れることすら許されない)
4,1課2係7班が情報の集約拠点として動くこと
5,公安が行う出国任務のサポートをすること
班の情報漏洩に関しては以下の通りだ。
1,阿久津は「班の情報は漏らしていない」と主張
2,万が一のため、今回は裏でのサポート任務
3,家族にひっそりとボディーガード(兼監視)がついているから、任務に集中しろ
4,何かあれば、公安の【表】(斎藤さん)に要連絡
また、
1,なぜR国のスパイに協力(利用)されていたのか?
2,なぜ協力者の男性を通じてスパイに情報を売っていたのか?
3,どこまで情報を漏らしているのか?
4,見返りは何だったのか?
5,阿久津は結局何がしたかったのか?
「わかりました。開示できる情報はどれほどありますか?」
「せやな、まずはこの資料から――」
こうして、スパイの追い出し任務が始まった。