秘匿班ε (11月3日11:20)
文字数 7,658文字
「…さて、外出頑張りますか。」
外行き用の20dB低減の
久々にみんなの顔を直に見て、行ってきますと言った。
――
聴覚過敏では多くの場合、
会話は聞き取れないし、疲弊するし、痛みに近い感覚を覚える。
換気扇の音、靴音、人の声…まるでありとあらゆるの音のボリュームが大きくなっているように聞こえるのだ。
特にざわついている室内では、すべての人の声が同じ音量に聞こえるため、目の前の人の発言を判別できない。
一斉にすべての声が耳に入ってくるため、目の前の人が口パクに見えてしまうのだ。
また、車のエンジン音などの低音だと「音に殴られる」ような感覚が、歩行者信号の青の時の音や子供の声などの高い音の場合は「針のような鋭い感じで音が刺さる」ような感覚になってしまう。
いつも使っている
メーカーはL●op、圧迫感を殆ど感じないため愛用している。
また、
不安障害は日常生活に支障が出るほど強い不安や恐怖を感じてしまう精神疾患の総称だ。
人間関係、電話のコール音、満員電車など、その人によって不安の対象は様々。
定義が広く、その中で特に有名なのがパニック障害だろう。
自分だけの時ならまだ何とかなるが、狭い中に人が複数人居ると圧迫感と恐怖感で動悸が出て、心臓が握りつぶされて苦しくなるような感覚に陥り、上手く息ができなくなるためだ。
パニック発作――精神的な要因で過呼吸の状態になる、と言えば分かりやすいだろう。
一応、ソラナックスが処方されているが、あまり薬を飲みたくなはい。
人数に関しては、部屋の広さと他人との距離で「何となく平気」「ここに人が来たら無理」となる。
明確な数値があるわけではない。全て自分の感覚なのだ。
息を切らしながら、
時計を見て、指定された受付時刻になっているのを確認する。
秘匿班らしく、個人を明かさないために時間差で入室し、身バレを防ぐのだ。
僕が所属しているうちの1つの秘匿班は所属メンバーが伏せられている。
年齢も性別も、所属も分からない。
噂では、どこぞの企業からヘッドハンティングしてきた警察所属のホワイトハッカーや、自衛隊の情報部門に居る激やばハッカー、自衛隊の秘密組織の別班員がメンバー内に居るらしい。
どこまで本当なのかは知らないが。
なので、チャット上では馴れ合っても良いが、面と向かってやり取りをするのはご法度なのだ。
中で待っていた秘匿班の上司の1人に挨拶をし、リーダーにネクタイピンをかざす。
この班での僕の名前は【ナンバー6】だ。
この秘匿班
6番の防音室のある位置に進み、中に入り鍵をかけた。
防音室内はコンパクトに整えられている。
事務机の上にデスクトップPC、マウスとキーボード。ボイスチェンジャー機能付きのマイク、椅子のみが置かれている。
早速、PCを立ち上げ、チャットアプリを開いた。
チャットルームには3名の上司の名前が書かれていた。
――今日の上司のリーダーは…っと。サインさんか。
この秘匿班には3名の上司が居て、案件によってTOPが変わる。
今日はサインさんがリーダーで、コサインさんがサブ、タンジェントさんが書記をしていた。
コードネームは安直である。
秘匿班での名乗りなんて、こんなものだろう。僕も番号だし。
防音室は全部で12室あり、使わないブースももちろんある。
会議室は他の秘匿班も使う共有施設なのだ。
特に秘匿性を高めたいときに、この会議室が使われる傾向にある。
長辺に5つのブース、短辺に2つのブースと上司陣が座る席が向かい合っている。
いわゆる長方形…横に長いロの字型に設置されていた。
長辺のブースは上司の席に向くように、斜めに設置されている。
ブースの前面はマジックミラーになっており、外から防音室内を見ることは出来ない。
基本的に班員は個室ブース内のPC内蔵アプリのチャットでやり取りをする。
ボイスチェンジャー付きのマイクも手元にあるが、言葉を発するのは稀だ。
まずは挨拶からだ。
〔乙〕と送ることにした。
乙はネットスラングで「お疲れ様」という意味だ。
すると、すぐに返信がきた。
〔乙〕
〔乙〕
〔乙っすwwオナシャスww〕
〔乙乙ww【悲報】ワイ、徹夜明けで死んでるwwww〕
〔上に同じくwwおまいら乙www〕
〔乙乙らんらんるーw元気出せw〕
〔乙カレーライスww〕
〔お疲れサマーパーティーww〕
〔季節無視るなwもうじき冬だぞw〕
〔乙乙wwまた会ったなおまいらw余は嬉しいぞwww〕
〔乙ww【悲報】ワイ、帰宅途中に呼び戻されて家に帰れないwww〕
〔ブフォww〕
〔そwwれwwはww辛wwいwwwwwwww〕
〔家が遠いwwwww〕
〔ワイ、元帰宅部。同じく社会に大敗北。あるあるですなwww〕
〔情報系あるあるwww昼夜逆転、システムトラブル、帰宅途中のオフィスUターンww〕
〔あ、自分もUターンしてきましたww寝れないの辛いww〕
〔草wwwwwwww〕
〔大草原wwwww〕
〔ちょ待ってwこの班寝不足3名居るけど
〔あるあるにサーバーダウンも入れてもろてwwww〕
〔ファーッwwハッキングに負けてんの草wwwww〕
〔カワイソスww乙ww〕
〔平々凡々な会社員時代の話ぞwそこらへんの一般企業がハッカーに勝てるわけないだろw今は絶対負けんwwww〕
〔腹減りハラ〕
〔可哀想だけど、会議終わるまで我慢してもろてw〕
〔ア〇パンマン「僕の顔を食べなよ」〕
〔唐突な飯テロwww〕
〔草ぁww〕
この秘匿班
チャット欄を見て分かる通り、文章はネットスラング多めだ。
そして、チャットの流れる速度が非常に速い。
9人が一気に書き込むので、荒れ放題だ。
時々チャットの流れの速さに上司が苦戦しているのが笑える。ネット世代なめんなよ。
まぁ、僕にとってはこんな空間が心地良いのだが。
余談だが【w】【草】【大草原】は「笑い」を表している。
wが多くつくほど、または大草原と書かれると大笑いしている描写になる。
そんなことを思いながら負けじと書き込んでいると、上司たちが入室してきた。
着席し、今回の書記であるタンジェントが会議の開始を合図する。
発言したのは、今回のリーダーであるサインだった。
「揃ったな。これより秘匿班
〔ヒュー、太っ腹www〕
〔ボーナスあざす!!〕
〔いやっほうwwww〕
〔金だーwwあざますww〕
〔ざますざーますww〕
楽しそうなチャットが流れてくる。
事務机に設置された引き出しの中を見てみると、厚みのある茶封筒が入っていた。
数えてみると、なんと、40万入っていた。
1人当たりこの金額なら、この班に追加で360万かかっていることになる。
大盤振る舞いだ。
それだけ前回の事件が大事だった…ということなんだろうな。
ちなみに、報酬は外部の人間であっても、秘匿班に所属するなら受け取って良いことになっている。
なので、仮に警察やら別班の噂が本当であったとしても、こっそり懐に入れて持って帰っていいのだ。
これは、特捜とそれ以外に所属している人との格差を生まないための措置でもあった。
――後でまた、デスク用の駄菓子を買おう。それと、班員みんなに差し入れを発注しよう。何が良いかな。
オフィスに戻り次第色々ポチることを心に決め、
〔確認済。ボーナスあざますwwうまうまww〕
チャットを確認し、サインが口を開く。
「今回も緊急案件だが、引き続き頑張ってほしい。そこそこ長丁場になると思われるから、呼び出し回数が増えると思うが、よろしく頼む。もちろん国家の危機に関するので、報酬は弾む。手付金は各自の口座に振り込んでいるので、後で確認するように。」
〔承知ww〕
〔(^^ゞ〕
〔('◇')ゞ〕
〔りょ〕
〔了解ww〕
〔うぃすww〕
〔っすっすw〕
〔ラジャー〕
〔イエッサ〕
全員の返答が書き込まれたところで、サインが新たに発言する。
「今回の任務は
――嘘ぉ!!?ピンポイントで同じ案件に当たったんだけど!?
しばらく
どうせ同じ案件だ。
サインが続ける。
「また、内事の秘匿班から上がった情報で、西園寺グループが狙われていることが判明している。会社も、社長一家もだ。とくに社長一家は誘拐の可能性がある。その為、社長とその家族の持つスマートフォンにGPS機能付きのアプリを入れさせてもらった。後で監視時間の割り振りの資料を渡すので、それに従って監視して欲しい。もちろん、公安の【表】班が監視という名の護衛についているが、君たちは有事の際のバックアップ要因として、監視してもらう。」
今度はコサインが会話を引き継いだ。
「今回は仕事量も多くなるため、泊まり込みになることが予想される。こちらで仮眠室の利用申請をしておくので、安心して業務にあたってくれ。また、こちらからも伝えているが、1課2係7班があまり外に出ないよう、出来る限りでいいから注視していてくれ。彼らの上司の
――最悪だ。希望が持てない。何やってくれてんだ、阿久津!!?
確かに僕は引きこもりだから良いかもしれないけど、他の人は学校や家族との時間があるわけで。
――てか、ポチれるんだろうか。お菓子と差し入れ。通販NGとか言われたら僕、泣くよ?
「まずは、この資料に目を通してもらいたい。10分後にミーティングを再開する。」
サインの発言と共に、チャットでファイルが共有された。
共有されたのは、漏洩したとみられる情報と、
漏洩した情報については、班で見たものと変わらなかったので、さらっと流す程度にした。
次に、共有された西園寺グループの社長一家の情報に目を通す。
社長の名前は
妻、長男、長女、次女の情報も以下に書かれているようだ。
1人ずつスクロールし、添付された画像を開く。
誰もが綺麗な黒髪で、美形揃いだった。
――うっわー。やっぱり金持ちは美男美女遺伝子大きいよなぁ。
そんなことを思っていると、1人のご息女の情報に目がとまる。
3兄妹の末っ子の次女だ。
…僕と年齢が近い。どんな子だろう。
名前は
プロフィールを見ていく。
現在16歳、有名私立の女子高通いの正真正銘のお嬢様。
…僕らとは住む世界が違う。
添付された写真を開く。
学生証の写真を流用したのだろう。西園寺桜子は学校の制服を着ていた。
黒髪黒目、ツインテールにサイドが2段の姫カット。
ツリ目がちで大きな瞳の和風美少女。
…って。おい。
――
写っていたのは、1課2係7班の班員の、
他の特捜在籍メンバーも気付いたようで、チャットが爆速で流れていく。
〔おいおいおいおいおいおいおいいwwwwww〕
〔ファーッwwwwww〕
〔流石に草ぁwww草不可避wwww〕
〔ねぇww見たことあるwww見覚えあるんだけどこのツインテールwwww〕
〔クソワロタwwwワロスワロスwww〕
〔草ぁwwwwww〕
〔無理wwwww死ぬww大草原wwwwww〕
〔え待って、俺外部の人間だから全員見たこと無いんだけど、誰か知り合い居たりした?〕
〔まってwwこれ大丈夫なんwwwwwww〕
〔個ww人ww情ww報ww流ww出ww乙ww〕
〔むりいいいいいいwwww腹痛いwwwwww腹筋崩壊wwwwww〕
〔オラこんな流出嫌だwwwwwww〕
〔どういうことwみんな何か知ってんのw??ツインテってことは、次女??〕
〔え、待ってwwwwwwこの子、
〔誰だーw俺は知らんwwカラスのみんな教えてクレメンスww〕
〔絶望
〔なんと、ドキがムネムネしますなぁ(絶望)〕
〔【悲報】1課2係7班
〔雨宮ー!!お前かー!!やっぱりお嬢様かー!!上品な雰囲気は遺伝かー!!!ww〕
〔まじ!?マジでカラスの子なの!?なんか流れで身バレしたけど大丈夫か?〕
〔んえ!?1課2係7班の巻き込まれ率高くない!?班員のみんな息してる?こないだもなんかあったよな?〕
〔HAHAHAHAHAHAHAHA〕
〔あ、こないだは
〔てかマジ
〔なんとまぁ、ダイナミックな死亡フラグですねぇ…。〕
〔やめれww1級フラグ建築士降臨すんなww帰れしwwww〕
〔m9(^Д^)プギャー〕
秘匿班のチャットは、
チャット欄を見た、上司のタンジェントが口を開く。
「あー、もうばれてるな。うん。…
〔【悲報】
〔置wきw土w産wwwwwwwブフォwww言い方草ぁwwww〕
〔カwwwオwwwスwwwww〕
〔どっちかってーと地雷だろwww爆弾の類wwwそんな可愛くないからwwwww〕
〔エグすぎて草wwwwwwwwwwwww〕
〔みんなー…1-2-7はきっと毎日がハートフルで楽しいんだぜ……
〔ハートフルボッコの間違いだろw〕
〔1課2係7班やばすぎ大丈夫かマジで俺心配なんだけどいや俺外部だけどさ〕
〔え待って?あの班めちゃくちゃ優秀だから、わざと問題がある上司つけまくってんの???そういうこと??新手の
〔いじめ通り越してパワハラだろwwww〕
〔え、何コレ酷すぎるwww〕
〔かわいそすぎて俺が上司になってあげたい…何も出来んけど。〕
〔高IQ捜査部隊だからハッキング関係ないしそもそも無理だろww〕
〔上司ヤバいwwww新しく来たのが倉木とかwwwww〕
〔まて、倉木の情報あるならプリーズ!!この前ちょい関わった時、なんか色々怖かったんよ!!隠しきれない腹黒さというかなんというか!?〕
〔え、アイツ?終わってるよ。何もかも。
〔絶望すぎて草ぁwwwwwwww〕
〔てか、
〔
〔カラスの誰かー。メンケア任せたw〕
〔だからこそ班員が団結してんの?信頼構築できてんの?逆に?そういうこと?〕
〔確か同じ班にヴォイド…
〔まじかww任せたwww〕
10分が経ち、上司であるサインが口を開く。
「さて、資料は読んだな?これより任務の詳細を説明する。まず、今送ったのが恐らくデータが流出したであろう時期のログだ。各自USBに保存して、持って帰ってくれ。怪しいところを見つけて、手がかりを掴んでほしい。その後、分かり次第、西園寺グループの本社システムに入り込んで、ハッカー側が削除したり加工したであろう証拠を押さえてくれ。また、同時にセキュリティーの脆弱性を調べ、侵入されそうなところに罠を張ってもらえると非常に助かる。叶うことならハッカーのパソコンにウイルスを仕込んで、相手の情報を盗んでくれ。以上、質問が無いなら解散する。」
〔なし〕
〔おk〕
〔ないっす〕
〔なーし〕
〔大丈夫です〕
〔解散でおk〕
〔お疲れ様です〕
〔解散で〕
〔〇〕
チャットを確認し、サインが解散の合図をする。
「次の会議は11月5日の11時だ。よろしく頼む。では、9番から1人づつ解散。」
〔乙した!ノシ〕
〔また次回ノシ〕
〔家帰って寝まーすww乙ノシ〕
〔乙!腹減ったんで飯食って帰りまーすノシ〕
〔ア〇パンマンじゃ足りなかったかww乙っしたwwノシ〕
〔乙!俺も帰って寝まーすノシ〕
〔乙!めんどくさいのでこのまま泊まり込みまーすノシ〕
〔寝る前にシャワールーム行けよwwみなさん乙でしたwwノシ〕
〔頑張ろーなーw乙ノシ〕
即座に別れの挨拶を書き込み、1人ずつ時間差で退室する。
ちなみに、ノシは手を振る様子を表している絵文字だ。全角半角どちらでも使える。
――どうしようかなぁ…。本当、みんな大丈夫かなぁ。特に