揺らぎ(9)

文字数 735文字

 涙がぽたっと落ちた。

「泣くなよ。」

 課長は言った。

「悪い事ばかりじゃないぞ、きっと。」

 私は頷いた。

「そうだ。池袋のホテル行こうぜ。」

 ふざけ半分に言う。私は笑おうとするけれどどんどん涙が頬を伝い落ちた。

「・・・ちょっとごめんなさい。」

 そう言って私は急いで化粧室に行こうと席を立ち・・・

 そして自分の目がとらえたものに唖然とした。私からはちょうど死角になっていた。立ち上がった今、目に入ってきたもの・・・

 向こうも私たちに気づいて驚いた顔でこちらを見ている。

 私の顔を凝視した後、視線をずらして課長の顔をじっと見据える目は冷たく燃えている。

 ヒカルだった。

 ヒカルは黙ったままこちらへ向かって歩いてきた。

 (何?何なの?一体どうする気?)

 頭が飽和状態で事態についていけない。ヒカルは課長の脇まできて

「はじめまして。渡辺と言います。」

 と言った。課長を見下ろす目はほとんど睨んでいる。それから私に視線をずらして言った。

「泣いてるの?」

 私は急展開に自分が泣いていた事を忘れていた。

「何だ?」

 課長も怯まずにあの強い目でヒカルを見据え返した。

「ミズキを泣かせないでください。泣かせるなら俺はあなたからミズキを奪い取る。」

 ヒカルは言った。

「失礼な奴だな。いきなり人の所に来て。ミズキ、知り合いか?」

 私はただ催眠術にかかったように頷くだけだった。

「俺とミズキの間に首をはさまないでくれ。君には関係ないことだ。」

 課長は言った。

「関係ある。」

 ヒカルは反論した。

「俺はミズキが好きなんだ。だから関係ある・・・」

 言い終わらないうちに私が言った。

「お願い。やめて、ヒカル。」

 それから課長にむき直り

「行こう。」

 と言った。二人の男はどちらも視線を外す事なく睨み合っていた。
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