第91話 脳は眠りで大進化する 上田泰己

文字数 5,304文字

〇睡眠は、外界の環境から自分自身を切り離すことのできる最良の機会です。その間に脳の神経細胞は環境から得られた情報を整理し、神経細胞のつながりを強くするべきところは強くして、間引くところは間引いてと、以前とは違った脳の働き方になってくれます。
〇新しい発想はアイデアは、成長の原動力となって行くものでもあります。
〇本書を読んで多くのみなさんが睡眠の常識を変え、新しい常識のもとで睡眠を捉え直すことが出来、充分な睡眠を確保しながら日々の活動を満喫出来るよう研究者の一人として願ってます。
第1章 私たちの体にひそむ時計の機能と睡眠
〇睡眠研究の現在地ー「睡眠の意義」と「睡眠の機構」
 ヒトの生活体験としての睡眠にはどんな意味があるか、何のために睡眠はあるか、という「睡眠の意義」。これまで睡眠は、脳全体の脳波を観察することで捉えられていた。脳は情報の伝達と処理を担う無数の神経細胞によって構成されているが、覚醒時には神経細胞が神経細胞が活発に活動するものの睡眠時にはそれが収まる、よって睡眠は活動が低い状態だとされた。覚醒の時に人は学び、睡眠の時に忘れる。睡眠は人間の活動としては常に脇役のように考えられてきた。
 しかし、近年は、一つ一つの神経細胞の活動を厳密に観察できる環境が整ってきて、実験データーによると、睡眠時の活性は覚醒時よりは確かに低くなる。ところが神経細胞の単位でよく見ると、活性化する部分は起きて安静にしている時よりも活動性が強いようである。もちろん、私たちが新しい情報に接するのは覚醒時なので、新しい刺激を受けた場所については、覚醒時に神経細胞同士がつながるシナプス(ものをを記憶する際の素子だと思われている神経細胞と神経細胞のつながり)が強くなるはず。しかしそれ以外のシナプスはどんどん切れていく。逆にいうと、刺激を受けた場所以外のシナプスは、どうも睡眠時に新たに作られたり、強くなっていると言えそう。カルシウムが覚醒物質の候補として研究されている。「覚醒の時に人は忘れ、睡眠時に覚えている」と言うことができそうなのです。
 また一方の理論研究では、神経細胞が非常に活性化した活動的な状態でなければ眠れないという一面があることも見えてきた。もしかすると睡眠は「無意識下の不活性な状態」の活動というこれまでの理解ではなく、「脳がとても活動的な状態」の活動と言える。意識の面での逆転がある
 なぜ眠気が起きるのか、どんな仕組みで人間は脳や体の疲れを感知して眠ろうとするのか、という「睡眠の機構」の観点があります。1909年、我々の体の中には「睡眠物質」が存在すると考えらた。研究手法が進歩し、睡眠物質は存在しないかも知れないいうことになった。体の緊急事態(風邪など)に直面して体を休める場合に分泌される物質で、ふだんの睡眠には必ずしも必要無いという解釈になっている。現在は、逆に「覚醒物質」というような覚醒に密接に関連する物質を感知することで、私たちは眠気を感じるという考えが出て来ることになりました。
 睡眠の意義や仕組みが根本的な概念が今までとは正反対になりつつあるのが睡眠研究の現状。
○ヒトの睡眠の三つの仕組み
「どのような仕組みで眠っているのか」ここでいう睡眠とは睡眠の制御機構の事です。
①サーカディアン(概日)制御=プロセスC
 これは体内時計の制御です。朝になると起きて夜になると眠たくなる。
②エモーショナル制御=プロセスE 危険だから眠らない、危険だから眠るという制御。
③ホメオタシス(恒常性)=プロセスS(Sleep) 一定量の覚醒時間、睡眠時間を確保する制御
これは「疲れたら眠る」というのだが、何が疲れなのか、何か眠気なのか分からない。
①のサーァディアン制御は、体内時計の仕組みが見えてきたことから、解明が最近進んでいる。
〇ヒトの体内時計にある時計(体内時計、概日時計)
私たちの体のなかに1日のリズムがあらかじめ備わっていて、それが体内できざまれている。
「腹時計」のように時計を見なくても、およそ時間のあたりをつけられるのは体内時計による。
例えば朝顔、昼顔、夕顔がそれぞれ朝、昼、夕に咲くのは太陽の光を感知するからではなく、まさに24時間周期の体内時計を内側に持っているから。太陽だけを頼りにすると生き抜けない。
 リネンの花時計は午前6時から正午まで開く花、正午か午後6時までに閉じる花、こういった花が1時間ごと順番に並べられている。花は「いつ咲くべきか」を内側の時計で分かっている。
〇概日時計と概年時計
地球の自転のもたらす1日24時間という周期に合わせてサイクルをつくりだす機能のことを「概日時計」といいます。概日とは、「およそ1日」の意味。 原始的な単細胞生物であるバクテリアにも、体内時計がある。地球の公転がもたらす1年365日という季節性の周期を把握する機能もあって、これを「光周性」といい「概年時計」も考えられている。動物の受胎や繁殖という定期的に実行される活動も季節を示す時計とかかわっている。時差ボケや不眠症という体内時計の狂いは現代人の生活とも無縁ではない。体内時計の異常は、夜間勤務するひとの体調不良、児童や生徒の不登校の一因になっているとも言われます。
〇生物にはなぜ体内時計があるのでしょうか?
有力な考えは、地球が24時間で一回りしているため、24時間周期で変化する外部環境の変化を予測する目的で、体内にそのレプリカが作られたというものだろうというのです。地球上に生命が誕生して間もなくから、生物は地球の「朝・昼・晩」に対応する体内時計を持った。
 体内時計は、菌類や植物、私たちヒトを含む動物と様々な生物にありますが、原始生物の段階からの長い長い進化の過程の中で進化したとも考えられている。一つは植物の葉緑体の祖先として考えられているシアノバクテリアのようなバクテリアの時計、もう一つは哺乳類あるいは真核生物(動物・植物)の時計です。体内時計が自分の最初の研究テーマとなったのです。
生物は時間をどんな風に数えているのか、どうやって巻き戻して次の1日に移っていくのか、そのメカニズムが明確ではなく、どうにか解明したいものだ、と考えました。
○体内時計が持つべき三つの性質
 体内時計には「定義」があります。1960年米国シンポジウム各国生物学者により、三つの性質が導かれた。(時間生物学)
・1日周期で振動すること・・・約24時間で一回りするべき。
・光や温度という外部環境でリセットされること・・時差ボケなど修正されていくべき
・「温度補償性」があること・・気温が変化しても約24時間の周期は一定であるべきこと
一つ目は、体内時計は地球の自転に同期しているため24時間周期が基本。
二つ目は、飛行機に乗って時差や気温差がある環境に行き着いたとしても幾日か経つと体内時計の周期は修正されてくる。
三つ目は、「温度補償性」生体内の様々な反応は、温度によって変化する。真夏の暑い日には細胞の分裂は早まる。暑い時期に食物が腐敗し易い、このためです。地球の何処に住んでも気温の高低は影響せず、人間の生活リズムの周期は24時間です。温度によらず周期が一定に保たれるには、それを補償する何か特別な性質があるはずと考えられ、「温度補償性」と名付けられました。
○体内時計は体のどこにでもある
1970年ショウジョウバエの研究で、「時計遺伝子」も実態が特定された。90年代ヒト版、マウス版といった哺乳類の時計遺伝子が報告された。
「細胞を作る構成要素の中の特定の分子に時計があることがわかった」2000年の生物学。
ほぼすべての臓器にはあるけれど、すべての細胞が体内時計を持っているわけではない。
○観察しにくかった時計遺伝子
 時計遺伝子はそのままでは見ることが出来ない。時計遺伝子が作られる様子を観察する技術が発明されて、ようやく見る事が出来るようになった。それは、蛍の発光に関わっている発光酵素「ルシフェラーゼ」によるものです。時計タンパク質が作られる際に、時計タンパク質の代わりに、蛍の光るもとであるこのルシフェラーゼを作ってもらうようにするのです。すると、24時間周期の体内時計の刻みの元である振動を、光の強弱として見る事ができます。時間が経つうちにバラツキが出てきますが、バラツキを補正する仕組みがあるようです。
 実は、時計の中枢として働き、全体の時刻を合わせる役割の細胞が発見されました。その細胞は「視交叉上核」という場所にある。脳内の視床下部の深い所にあり左右の視神経が交差する「視交叉」に乗っている神経核で、左右に約1万個づつの神経細胞が入っていいます。この神経細胞(中枢時計)の刻むリズムは時間が経ってもバラバラにはならず、ずっとそろったままです。
そこで、細胞がお互いにコミュニケーションを取り合って時刻合わせをしているようです。
〇体内の時刻を測る
 体内時計の仕組みが分かってくるにつれ、私たちは体内の時刻を読み取ることもできる。抗がん剤治療の場合、昼も夜も同じ濃度で行うが、時刻により「メリハリ」をつけると、治療を受けた患者の生存期間が延び、副作用も少し減ってきた。これを「時間治療」という。
自然が作った体内時計では時刻がさっぱり見えません。これまでの体内時刻の測定法は、体温の移り変わりや血中ホルモン量の移り変わりを基準に測る方法でした。24時間にわたり測定しなければなりません。
 一度の測定で体内時刻を知るために、私は「リンネの花時計」のアイデアの応用を考えました。「リンネの花時計」では朝に咲く花が咲いて、昼に咲く花が咲き始めいて、夕方に咲く花が閉じれば、今の時刻は朝だと知ることが出来る。そこで朝遺伝子、昼遺伝子、夕方遺伝子、夜遺伝子を探しました。その結果、2002年に数百以上の時計関連遺伝子をを見つけることに成功した。2004年には、時計関連遺伝子を利用して、たった一度の測定で体内時刻を知る方法を発明し論文化しました。この発明は、時間治療の基盤になります。農業では作物の体内時刻を測定したり、法医学ではヒトが亡くなった時間をヒト組織の時計関連遺伝子から測定したり、薬学では薬の主作用、副作用が起こりやすい時間の予測に用いられたりしています。
〇ヒトの体内の時計ー「移りゆく」時間と「巻き戻る」時間と
 画家クリムトガ描いた「女の三世代」というのがある。赤ちゃんがお母さんになっておばあさんになっていくという、移り行く時間。一つの系の中で繰り返される時間も描かれています。私たちの体は、たった1個の細胞から始まる。その細胞は母親と父親から来て生まれ、成長し、やがて年老いていく移りゆく時間の中にあります。私たちが生まれてから死へと向かって行く時間であるとも言えます。それと同時に、おばあさんからお母さんに、お母さんから赤ちゃんへと生命は受け継がれていくことから、体の一部の細胞は、移り行く時間をリセットし、時間を巻き戻すような機能も持ち合わせています。「巻き戻る」時間なしには生命は続いて行かないからです。
生命細胞も、「移りゆく」時間の影響を受け、必ずしも世代を経て劣化していくわけではありません。劣化しないためには体の中で時間が巻き戻っているはずです。
 1日24時間のサイクルで日々繰り返される体内時計も、この「巻き戻る」時間の一例と言えます。寝たり起きたりを繰り返す睡眠と覚醒のサイクルも、「巻き戻る」時間の一つです。「移りゆく」時間とは異なる「巻き戻る」時間も、私たちの体には流れているのです。
〇体内の時間の数え方
 体内時計の研究では、歴史的に物質の量が細胞の中で増えたり減ったりすることによって時間を数えていると考えられました。朝遺伝子、昼遺伝子、夕方遺伝子、夜遺伝子の産物が細胞や組織の中にたまっていくことで時間を数えているというわけです。2005年のシアノバクテリアの体内研究では、時計遺伝子の産物である時計タンパク質を試験管の中で見たところ、タンパク質の量は全く変わらず、そのタンパク質につく印が24時間で増えたり減ったりすることが分かりました。私たちの体内時計の温度補償性の研究のように、ヒトの体内時計に関しても、時間の印を考えることで初めて説明できる現象が見つかりつつあります。
〇生命の不思議を探求することへのこだわり
 私が小学4年生の頃、母も仕事をして、妹と私はカギっ子でした。帰宅し妹も居なく一人ぽっちでした。その時、得も言われぬさみしさを感じました。私は外側の世界に目を向け始めただけでなく、内側にも目を向けるようになっていました。自分自身はどこから来た何者なのだろうと、自分が存在する意味について考え始めていたのです。大人になった今も、あの黄昏時を原始的な体験として思い出します。私の体内時計のしわざ、、夕方遺伝子の作用だったかもしれないし、思春期の感傷なのかもしれません。それでも私が、「人間とは何か」「自分とは何か」を考えていくきっかけとなった大切な体験です。

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