第37話 梅の花 エッセイ

文字数 3,667文字

平成天皇が退位され、上皇となられた。徳仁親王が令和天皇として、2019年就任された。この年は、世界中が疫病に苛まれる幕開けの年である。COVID19と名付けられ、日本中と言わず世界がコロナに感染し、死亡する者も多かった。未だに伝染し続けている。遂最近、直方市に住む妹家族5人も感染してしまった。義弟はガンは乗り越えているが、気胸、心筋梗塞、食欲が衰え体重四十を切るらしい。頭と口は健在で、盆と彼岸には我が家の仏壇に参りに来てくれる唯一の親戚である。五回目のワクチンを数週間前に打ち、症状は激烈ではないようにメールでは着信であった。令和五年も始まりだ。今年も目標達成のため、打ち破り、突き抜けるため、エッセイ作りをやってみよう。
 元号である令和の故事は、梅の花の咲く頃、姿鏡を見る乙女を連想させる和歌からきているようだ。実家の庭にも、樹齢五年の梅の木を前の年、植木屋で買い植えた。令和の年初め、この梅の木は白い花を、花嫁の如く、木全体にベールを掛けたように、艶麗な姿を楽しませてくれる。元号の始まりを祝っているような、咲きっぷりであった。
「今年こそ、梅の実も一杯つくよね」と相方は、期待をこめて、梅の木に話しかける。
「前、植えたのは、場所や日当たりが悪かったのか、三年で枯れてしまったから」と私は反省。枯れ木に、恨みがましく尋ねても答えてくれなかった。
 此処は父母が住んでいた家だった。五年前、既に両親は他界し、私が仕事場兼趣味の場として利用させてもらっている。私は定年後、三キロ先に終の棲家を建て妻と住んでいる。生前、母がよく言っていた。
「この家は、私たちが亡くなった後は、処分されてしまうのだろうね。」戦後引き揚げ、借家住まいの貧乏だった中を、少しづつお金を貯め、この土地と家を買ったのだった。
「僕が生きているうちは、引き継ぎ、大事に保管するよ」と言うと、母は嬉しそうに笑った。母たちが生きた証の古い家を、天国から眺めて、安心していたいのだろう。父母が没した後、私が実家を相続し、毎日通っている。幼い頃の思い出も詰まった古い家は心安らぐ。基礎部分は丈夫だが、老朽化したところも多い。食堂の床は、サンダーで削り、艶ありのペンキを塗ったり、あちこち手作りで修繕している。DIYとして、好きなように工作するのも楽しいものだ。
 リタイヤした後、無職になり、夫婦が一日中、面突き合わせていると、しょうもないことで口喧嘩になることが多い。家内は、三度三度食事を作ることに飽き飽きする。
「夫も交代で食事を作ればいいのだ」と、私も作ってみる。考えもない工夫もない料理はおいしくもない。妻から料理の欠点を指摘されると
「もう、二度と料理などするものか」と喧嘩腰になる。また、別の機会に
「食事後の茶碗洗いを、俺がやるよ」とかってでる。毎日洗ううちに、手が滑り、茶碗を割ることが頻繁になる。
「また。割ったの」と割れた音を聞きつけ、厳しく追及される。
「陶器は割れるものだ。また買えばいい」と責任転嫁の言い訳を主張する。
「私の気に入っている陶器なのに。片割れになってしまうのよ」と二の矢が飛んでく。
「もう、茶碗など二度と洗うものか」と喧嘩になる。争いが好きではない性格なのだが、叱られるような気がして、腹がたつ。人間が出来てないのだろう。
「うるさい。ばばー」と小さな声で反抗する。連れにも聞こえており、やり返される。
「この禿げ頭のクソ爺い」老人の喧嘩は、いやらしい。お互いをののしり合う。男は横暴で、口調で押さえつけようとする。「男女不平等だ!」と連れは、大声で批判抵抗する。四十年以上も同居しているのだ、深入りせず、私も観音様のような大きな心をもってすれば、丸く収まるのに。それが出来ない心の狭さ。
 時間が経つと、どちらも冷静に考えるようになるのだろう。このまま破綻するより、外に道はないのか。難問があっても、「時が、解決してくれる」と先輩がよく言っていた。何事もなかったかのように、妻も対応してくれている。「私より心が広く、賢いのだ。有り難い。」と、こちらも暫らく後に折れ、心の固さがゆっくり解けてくる。お互いにいたわりあい、尊重し合い、日々楽しく過ごすべきだろう。
 伯父さんが結婚式の祝辞で、述べてくれた。
「結婚前は両目を開け、長所短所を見極める。結婚したら相手の短所には眼を瞑り、長所だけを見なさい」と、結婚の金言極意だろう。基本、今だに続けている心算から、崩壊を免れている。
 我家にも梅の木があり、梅雨前に収穫する。家の梅の木は豊後梅といって大粒の果実をつける。バケツ一杯収穫できる。その後、連れに梅干しにしてもらい、一年間は夕食の御供として食べている。獲った青梅を小さな樽に入れ、塩を山のように振り掛ける。上に大皿を乗せ、さらに百科事典を五冊重しとする。一週間もすると浸透作用で、梅酢が上がってくる。赤紫蘇を入れ色を付ける。八月の太陽がカンカン照りつける日、庭で一個づつ梅干しを菜箸で大皿に、隙間なく並べていく。天日にあてて消毒し少し乾燥させる。再び、一個づつ裏返していく。この梅作りの一連の工程を、見るのがとても好きである。自分ではやらないのだが。連れがしている作業が、食の原点のような気がして、輝いてみえる。
 この豊後梅が、わが庭にやって来たのは、十五年前の二月頃だった。私は定年後の勤務に田舎の商工会に勤めることになった。事務的な仕事で気楽な職場だった。朝、出勤して階段を箒で掃くことを、率先してやった。
綺麗な職場で働くことは、気持ちの良いことである。二階へ続く階段を後ろ向きに掃いて、一段づつ下がって行った。毎日の事なので、目が後ろに付いているように、階段を掃けるようになった。ある日、何かのはずみで、片足が一段踏み外してしまった。
「アッ。失敗した」と心の中で叫んだ。踏ん張りも効かず、体が宙に浮いていくようである。
「幽体離脱の現象とはこのことか」と体感し、ゆっくり私の身体が、空間を飛んでいく。
「これは、やばい。左手で体を支え、地面に落ちた時のクッション代わりにしなければ、背骨をやられ、生涯麻痺がのこるかも」と瞬時に思った。ボきっと音がして何かが折れた気がした。打ち所は悪くなく、どこも痛くはない。麻痺したのだろうか。見ると、体の下敷きになった左手首が反対方向に折れ曲がっている。
「手が折れたかもしれない。病院に連れて行ってもらえんですか」左手にタオルを巻き付け、職員に頼んだ。久保田さんは、早速、車をだして、近くの新水巻病院に連れて行ってくれた。緊急時対応の大きな病院で、当時完成したばかりのものだった。複雑骨折で緊急手術となった。
 妻が着替え等をもってきてくれた。心配顔でいろいろ世話をしてくれる。このときばかりは、芯から妻の有り難さを感じる。即日入院である。麻酔が効いているので痛くはないが、手術後ギブスをはめられ手を動かせない。そのうち徐々に、神経が痛みで騒ぎだす。二週間の入院となった。ステンレス棒二本を手首に突き刺し固定。入院は完全治療をしてくれるのだが、やることもなく退屈になってきた。一週間で退院させてもらい、暫らく自宅療養で通院した。まだ職場へは行かなかった。労災扱いとなり休業補償や治療費は保険からでるという。前職では人事担当で、安全管理もしており、怪我を防がなければならない立場だったのに、リタイヤしてから気が抜けたのだろう。しかし痛い目に会うのはこりごりだ。今後は階段掃除は前を向いてやる事を心に叩き込んだ。
この骨折記念として、植木屋にしだれ梅のような仕立てをした百五十センチ高さの木を我が庭に植えたのである。左腕はギブスを首から吊ったままの格好で、右手だけでスコップを持ち、深さ三十センチの穴を掘った。過ちを忘れないように、
「この木を見たら、気を引き締め、事故が起こらないように注意する」と自戒の木にした。植えた当時、仕立てられた植木は淡い白い花を枝垂梅のように付け、まことに格好がいい。年が経つにつれ、形が崩れていき、今では番傘のような姿になってしまった。しかし、それが思わぬ恵みをもたらしてくれた。二月に花が咲き、春先にはメジロが蜜を吸いにやって来る。ガラス窓越しに見る、目の周りの白いメジロはとてもキュート。毎朝の楽しみが増えた。花が終ると、軸のほうから小さな実が顔を出してくる。やがて、大きな梅の実に成長していくのだ。この過程を観察し続けるのも、命の不思議を見届けているようで、実に嬉しい。
両隣りの家の庭にも、小梅の木があり、上手に剪定され、時期には小梅を沢山収穫されている。メジロが梅ノ木を渡り歩き、我が家の梅花も受粉し、毎年欠かさず実を付けてくれる。
 自宅の梅一本だけでは、1年間の消費する梅干しに足りない。そこで、実家の庭に新しく梅の木を買い足したのだった。しかし、数年経っても、実を付けないでいる。今年こそはと、毎朝、実家の梅の木を眺め、観察し、愛情を込め、花が咲き実を付ける姿を想像している。


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